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千手観音の御手に山菜

2020年春、海辺から山間部に家族で引越した。
同じ高知県内とはいえ、環境が驚くほど違う。

以前は冬でも夏のような日差しが注いだ温暖なところだったが、今いるところは春先に雪が降ったり水道管が凍結するような山の上だ(引越し早々、水道管破裂の洗礼を受けた)。

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山の上から土佐湾を臨む

引越し作業は、田舎でも疫病のニュースで持ちきりとなった頃で、お世話になった人にろくに挨拶もできないままだ。未だ「引越しのお知らせ」も出せず心苦しく思っている。

兎にも角にも、荷物と人間は移動できた。
せっせとダンボールの山を切り開き、何年も空き家だった新居と作業場にDIYを施したりと、気ぜわしく日々はすぎた。

予定では、私たちは新しい仏像修復事業の準備に取り掛かるはずで、娘は新しい保育園に4月から通園する段取りだった。しかし、国内での新型コロナウイルス感染拡大を受けて、当面自宅で自粛生活を送ることになった。

作業場に夫を見送ると、私は土間にパソコンを持ち込み、家事と仕事と保育を担う。だが、三食作るだけではなく合間に娘の「おなかすいたー!」「あそんでー!」の声に応えていると、仕事も子供相手も思うようにできない。

余裕がなくなる上、様々なメディアから目や耳に流れ込んでくる情報に揺さぶられた。ときおり混じって入ってくる扇動的なメッセージ、ミスリードされそうな見出し、フェイクな発信……。そうかと思うと、重要な情報を見逃しそうになって焦ったりもする。一つ一つは些細でもそれなりに疲労した。

そのうち、なんともいえない不快感が腰のあたりで粘つき始めた。いかにも毒のありそうな澱が溜まっていく印象がちらつく。「これは黄色信号だ」と直感したが、いかんせん、この状況ではケアが追いつかない。こんな時、お寺の坐禅会などに行くと心が晴れることが多いのだが、最寄りのお寺での坐禅会は中止されていた。

引越しして一ヶ月たつ頃には、ちょっとしたことにイライラしたり、笑えなくなったりして、微熱が何日も続くようになってきた。澱が放つ毒が体内に充満し始めたかのようだった。

すると、ある日突然 <千手観音様のお姿を拝みたい、すがりたい、お助けください> そんな叫びが腹の底から湧き上がってきた。

あとから思うに、千手観音は子年(2020年は子年)の守り本尊ということで、少なからず意識していたかもしれない。または、「千手観音のようにたくさんの手で仕事や家事ができたら……」という単純な願望だったのかもしれない。自分でもわからないが、千手観音様が心の声を聞き入れてくださったのだろうか。この日から間も無く、澱に変化が現れることになる。

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強風で散った桜の花。娘が大事に集めてきた。

どんな疫病が流行ろうと季節は巡る。
今年の桜も綺麗に咲いて、道端には土筆(つくし)がニョキニョキ顔をだしていた。

近所の人や家主さんから、畑や山の季節のおすそ分けが玄関先に届くようになった。タケノコ、やまみつば、山椒の葉、セロリ、わらび……。加えて、夫と娘も野草をおぼえて採ってくる。クレソン、ふき、ユキノシタ。

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娘が最初に覚えた山菜、ユキノシタ。天ぷらやおひたしに。

次々とやってくる山や畑の元気な植物たちは、互いにもたれ合い重なり合って、台所に存在感を放つ一角をつくった。我が家の冷蔵庫にはとても入りきらず、せっせと保存食やおかずに加工する。集落の人はこうして山の恵みを分かち合い、生活してきたのだろう。

刻んだみつば
煮物にのせた山椒の若葉
ふっくらとしたタケノコの奥ゆかしい香り
ひと噛みで鼻を抜けていくクレソンの青さ
ふき独特の苦味と芳香

どれも春らしい香味とともに、心身をサーっと清めてくれるような気がした。

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山椒の香りと緑が煮物を引き立てる

ところが、「気がしただけ」では終わらなかった。

生活はそれまでとほとんど変わっていないのに、山菜に触れ、食べているうちに、いつの間にか消えていたのだ。あの毒々しい澱が。山菜の薬理作用もあったのかもしれない。

なぜか急に身も心も軽くなった私は、仕事と家事育児に加え、志半ばになっていた畑を再び耕したり用水路を作ったりと、活発に動きはじめた。

どうも澱は三毒(貪・瞋・痴)が煮詰まったものだったような気がするが、どこへ行ったのだろう?抑圧されたとか消えたというよりも、別なものに変換されたと言った方がしっくりくるぞと、身に起こった不思議な感触を確かめていた。

その時ふと、「煩悩も佛の働きで、全部自分の味方になってくれる」とおっしゃったある和尚さんの言葉が思い出された。

「佛の働き」といえば、たしかに千手観音に助けを乞うた。そこで、「千手観音が(人を通じて)山菜を届けてくださり、煩悩を活力に変えてくださったのではないか」と考えてみることにした。

すると、「抜苦与楽(ばっくよらく)」とはかくやあらむ、なんとありがたいことだろう、運んでくれた人が、届けられた菜が、仏の慈悲そのものではないか……!と、無性に沁みて仕方がなくなった。

いてもたってもいられず夫と感動を分かち合おうとしたが、彼は採れたてのイタドリの皮を剥きながら「……まぁ千手観音の持物(じもつ)に山菜はないけどね」といつも通り淡々としていた。

疫病に乱れる心と
巡る四季の香り。

救いを求める声に
差し出されている仏の御手。

繰り返す歴史の中で消えていった
星の数ほどの物語。

これもその中のひとつ。

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千手観音懸仏(桜、2016年、個人蔵、安成謹刻)

参考文献:「一行一貫 玄忠和尚追悼文集」護国禅寺 発行 2001年3月
【連載】ほりごこち
仏像が日本にやってきてから1500年の間、御像の数だけあったであろう幾多のエピソード。仏像を造ったり修復したりする造佛所で、語り継がれなかった無数の話。こぼれ落ちたそんな物語恋しい造佛所の女将がつづる、香りを軸にした現代造佛所私記。
前回の記事:白檀の香りと記憶の明滅

【著者】吉田沙織
高知県安芸郡生まれ。よしだ造佛所運営。看護師と秘書を経験したのち結婚を機に仏像制作・修復の世界へ飛び込んだ。夫は仏師の吉田安成。今日も仏師の「ほりごこち」をサポートするべく四国のかたすみで奮闘中。
https://zoubutsu.com/

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