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【方位磁針(仮) vol.1】

-2012年4月-


「よーい、はい!」

水しぶきの音と共に、乾いた声が弾ける。

北海道は札幌、まだ雪の残る4月。

電話が来たのは、プールサイドで野田と選手がフォームチェックをしている時だった。

部下の田島がコーチ室から出てくるや、大声を上げる。

「野田コーチ!人事部長から電話です。」

《人事部長??》


「指導が終わってから、こちらから折り返すよう言ってくれないか?」

「それが、なんか急らしくて、、」

ふう。

正直、人事部は嫌いだ。

親会社が変わってからは、ジグソーパズルの穴埋めとも言える異動が頻発していて、それならまだしも、人の補充が無く、現場で何とかするようにというのもザラだった。

コーチ業は人と人との信頼関係、地域密着の取り組みが重要で、そこを把握しているかどうか、定期辞令を見るたび、野田の頭には疑問符が打たれていた。

「分かった。ここを代わりに見ていてくれ。」

誰も居ない応接室に行き、いつもよりも深くソファーに身を埋める。

テーブルに置かれた電話は、保留音と共に赤い点滅が光る。3のボタンはグループ会社のみのIP回線だ。

野田はおもむろにTVをつけると、そこには震災から1年後の被災地の様子が映し出されていた。
まだまだ復興とは言えない状況にあることを感じつつ、また一つ溜息がもれる。
ふう。

鉛のような指で、ボタンを押した。

「小室人事部長、遅くなってすみません。"ちょうど"指導中で現場を離れられませんでした。」

明らかな嫌味を、その部分だけ強調してみせた。

「いやいやこちらこそ。あれ?もう指導時間は終わってるはずなんだけど、、」

「練習後の時間こそコーチと選手の大切な時間なんです。」

《そんなこともわかんないのかよ、、》

『天王スイミングスクール』

野田が勤めている30年以上の歴史あるスイミングスクールグループ。オリンピック選手も多数輩出している名門だ。

2008年に大手の塾を経営しているアヤセという会社に買収され体制が一新。小室はそのタイミングで役員として派遣されてきた。

超エリートだと、もっぱらの評判らしいが、スイミングのことは野田から見れば何一つ、ド素人、だ。

「手短にお願いします。」

「いやいや実はまだ内示の段階ですが、、、スクール長への昇格が決まりました。社長も野田主任には期待をしていますよ。おめでとうございます。」

《まじか、、》

先月あった東京での綾瀬社長面接が頭をよぎった。

綾瀬は、株式会社アヤセを一代で全国トップクラスの塾に築きあげた。全国に高いレベルの学びの場を提供しようと、ネット配信を主軸に移し多くの生徒を獲得してきた。

その手腕と経営方法は、各界からも注目されていて、東大現役合格率はトップを走る。専属講師がコマーシャルで言った『いつやるの!』という言葉は一時流行語になったほどだ。

野田からすると雑誌などで見る方が多い有名人といったところだ。

面接は時間にして15分くらいだったか。

その間、綾瀬社長の目の奥から鋭く光る眼差しは印象に強く残っている。

自分だけの道を歩んできた社長の言葉、その一つ一つが野田にとっては新鮮で、面接というよりもマンツーマンでの講義のような時間だった

確かに感触は良かったが、このタイミングでの昇格は同期としてはかなり早い方なので、正直今回はないだろうとも思っていた。

「ありがとうございます。頑張ります。」

野田は社交辞令よろしく、返答した。

「6月に辞令が出ますが、勤務先についてはまた追って連絡します。」

その言葉で、電話が終わった。

ふう。

椅子にもたれて正面を見ると、オリンピック誘致についてのニュース。

震災の1カ月後に都知事選が行われ、菅原知事が再選した。震災直後は『震災は天罰だ』と言って大批判を受けて謝罪したなんてこともあった。

再選後の所信表明で、オリンピックの誘致を宣言し、テーマに掲げたのが、

「復興五輪」

だ。

しかし被災した福島の知事は態度を保留したり、その時の世論調査では5割程度の賛成だったと認識してる。

自由党から民自党に交代していた政権は震災の対応、情報の隠蔽疑惑など、支持率は急落していた。

兎角昨年から、復興かオリンピック誘致か?自由党か民自党か?都度都度、天秤にかけられた論議が繰り広げられ、今に至っている。

《どこもかしこも、バタバタしてるな、、》

それから2週間後、出社した野田のデスクのパソコンキーボードに付箋があった。

『人事部長から電話あり』
 

一旦会社を出て、携帯から折り返した。

「勤務地は、、、東京です。」

空は、小雨まじりの灰色だった。

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