三日坊主からの解脱


※注意


筆者はエッセイ投稿が

三日坊主になるかならないかの狭間で

文章を書いております。



そのため焦りから一部錯乱している

内容の文面がある可能性がございます。


どうか温かい目で

読み進んで頂ければと思っております。




お疲れさまです。



吉田酸素です。



今日で私の内容のない書き物も

四日目を迎えました。




そして感じるのです。



三日坊主へのプレッシャーを。



私は実は一年前に

同じようにエッセイブログを

始めました。



そして一日で終わったのです。



もはや三日坊主ですらなく

体験坊主で終わったのです。



という経緯から、

今回は四日目を迎えることが

私の目標であったのです。



そして今まさに。


三日坊主へと

着実に歩を進めています。(現在22:45分)



なぜこんなにも四日目は

遠く感じるのでしょうか?



今回は数字の“三”と“四”に

隠された秘密を紐解いていこうと思います。

(三日坊主まであと50分)




1.優遇された数字 “三”



“仏の顔も三度まで”


“三度目の正直”



なぜこんなにまで“三”という数字は

優遇されるのでしょうか?



そしてなぜ少しでもその分け前を

“四”にも向けてあげられなかったのでしょうか。




2.不遇の運命を辿る数字“四”



死を連想してしまう。


くじ引きのハズレは大体四等。


四分たつと麺が伸びている。


第四金曜日の不燃ゴミを出し忘れる。



いかがだったでしょうか?



こんなにも“三”と“四”の間には

数字格差が生まれてしまっていたのです。



私はなぜか無性に

“三”に腹が立つのです。



生まれながらの勝ち組の

“三”に私は負ける訳にはいないのです。

(三日坊主まであと30分)



そしてもうすぐ

私は三日坊主のプレッシャーから

解放されます。


立派な坊主へと生まれ変わるのです。



そして今度は百日連続投稿を

目標にしていこうと思っています。



それが達成した時に私は坊主から解脱し。



“百日菩薩”



となるのです。





※最後まで読み進んで頂いた皆さまへ



冒頭の注意書きを

くれぐれもご覧お願い致します。








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