ゲストハウスなんくる荘15 トラウマ
あらすじ:那覇にあるゲストハウス・なんくる荘にやってきた未夏子。気ままに生きる彼女は、次第になんくる荘の長期滞在者たちと打ち解けていく。ある日、地元にいる弟からLINEが届き、初恋の人の近況を知る。
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◇
まどかちゃんがキレた。
その日の夜はヒロキ君の週に一度の休みだったので、リビングでまどかちゃんと三人、酒を飲んでいた。
発端はヒロキ君が酔って口にした言葉だった。
「ここにおる人たちって、みんな何かしらのトラウマみたいのあるから、こういう生活してるんやろ。ジンさんは親いないし、アキバさんは離婚したし、まどかちゃんは女友達いないし。オレはそういうのないからこんなうすっぺらいんかな。オレ、みんなが羨ましいわ」
ヒロキ君にしてはめずらしい酔い方だった。いつもは缶ビールをちびちびと飲んで気がついたら眠ってしまっているのに、その日は飲み始めて一時間でもう泡盛のストレートをコップに二杯は飲んでいた。
「あたしだってそういうのないよ?」
あたしが言い終える前に、まどかちゃんが立ち上がってテーブルの上の灰皿を手に取り、ヒロキ君の頭の上でひっくり返した。
……!
みんな、唖然とする。灰と吸殻まみれになったヒロキ君は涙を流してむせた。
「心的外傷。トラウマって、心的外傷っていうんだよ」
まどかちゃんの視線は、まっすぐにヒロキ君の目を刺していた。その視線が痛そうで、あたしは思わず目を逸らした。何かの映画で見た、眼球を鋭利な刃物で刺されるシーンを思い出す。
「心の傷だよ。そんなもん、ないならないに越したことないでしょ」
ヒロキ君は、まどかちゃんから視線を逸らさなかった。彼女に救いを求めているように見える。
「あとさぁ、和田まどかって人間は、女友達いないって要素だけでできてるわけじゃないから。安易な決めつけしないで」
自然は善で文明は悪、田舎の人はあたたかくて都会の人は冷たい、インスタント食品より手料理のほうが美味しい。
安易な決めつけの例を思い浮かべていると、
「それに、今は女友達いるもん」
と、まどかちゃんがあたしのほうを見た。照れくさいけど、頷く。
「まどかちゃんの苗字って和田っていうんだ」
我関せず、という顔で和室でマンガを読んでいたアキバさんが呟いた。
◇
翌朝、リビングで起きぬけの一服を吸っていると、モンちゃんが帰ってきた。
「おはよ。遅かったね」
いつもなら朝の六時には帰ってくるのに、もう九時だ。
モンちゃんの匂いを嗅ぎつけたのか、クーラー部屋からネコンチュが出てきた。モンちゃんは「ネコンチュ~」と言いながら床に寝転がり、同じく寝転がったネコンチュのお腹に顔をうずめた。
「バイト仲間が送別会してくれて。ファミレスで」
ネコンチュのお腹に顔をうずめたまま言ったので、声がくぐもっている。
「送別会してくれて?」
「オレ、昨日でバイト最後やったの。オレもうここ出っから」
「え!?」
知らなかった。
「だって旅は終わりがあっけん旅でしょ。いつまでんここにいるわけにいかんし」
「みんなもう知ってるの?」
「どうやろうね。マナブさんにはチェックアウトの日言ってある」
「いつ?」
「明日」
「嘘」
嘘じゃないことはわかっていた。
あたし自身、今までさんざんしてきたことだ。今まで何度も、こういうふうに突然ゲストハウスを後にしてきた。どんなに長く滞在したところでも。
「じゃあ今日、送別会しなきゃね」
「わーい。ありがと」
煙草の火を消し、立ち上がる。そろそろ顔を洗って着替えてバイトに行かなくては。今日から夏休み限定クラスが始まるので週六日の勤務になる。
「ねぇ、モンちゃん」
「んー?」
「ゴールするのってさ、怖くない?」
モンちゃんはごろりと仰向けになる。
「怖いね」
「ね。ゴールがないのも怖いけどね」
「そうそう」
もっと、モンちゃんと話をしてみたかったな。
階段を上りながら、そう思った。
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