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ゲストハウスなんくる荘18 胸が苦しい

あらすじ:那覇にあるゲストハウス・なんくる荘にやってきた26歳の未夏子。旅するように生きる彼女は、滞在日数を決めないままダラダラとなんくる荘に居つき、長期滞在者たちと打ち解けていく。ある日、地元にいる弟からLINEが届き、初恋の人の近況を知る。

前回まではこちらから読めます。


久々にアキバさんと二人、海で飲むことになった。

マツダマートで泡盛とつまみを買い、ビーチのコンクリの階段に腰かける。

風の音しかしなかったいつかの夜と違って、砂浜では観光客らしい二十歳そこそこの男女が十人くらい、花火をしていた。かしましい歓声が響く。

海と空はどちらも濃紺で、境界線がわからない。海と空のグラデーションの手前に、黒い人型のシルエットがいくつもうごめき、その手元から緑や朱色の炎が噴き出していた。

「俺、そろそろなんくる荘出ようと思って」

アキバさんの言葉に、あたしはそれほど驚かなかった。

「いったん実家に帰ろうかと思って。宮崎なんだけど。貯金もちょっとあるし、資格とるための講習受けようと思って」

「資格って、介護の?」

以前、アキバさんは宮古島で介護の仕事をしたいと言っていた。

「うん。講習とか実習受ければ資格取れるんだ。俺の場合は介護職の就労経験ないしホームヘルパーの資格もないから、講習の時間多いんだけど。やってみようと思って」

「目指す方向が定まったんだ」

「方向は定まってたんだけどね、なんか動き出せずにいた」

モンちゃんといいアキバさんといい、いつ動き出すタイミングを掴んだんだろう。

「動き出せずにいたってことはさ、たぶん、傷を癒す時間が必要だったんだって思う。自分で言うのも何だけど」

「もう傷は癒えたんだ?」

「癒えたかな。まだときどき、思い出すと辛くなる。でも、思い出さない日も多くなってきてる」

アキバさんは、なんくる荘にいる間に目指す方向を決めた。

あたしの旅は、ゴールをどこに設定したらいいのだろう。どこに向かって、いつまで、進めばいいのだろう。

「あたし、やりたいことってないなぁ。今まで、そのときの気分で移動ばっかりしてた」

「いいんじゃない」

「いいんだけどさ」

悩んでないのにアドバイスされたような、ちぐはぐな気持ちになった。

「あたし、なんくる荘出たら次どこ行こうかな。今、行きたいところがないんだ。今までこんなことなかったのに」

そう口に出して、あっ、と思う。

そうか。あたしは今、行きたいところがないんだ。

かといって、ずっとなんくる荘に居たいというわけでもない。

「いったん旅をやめてみたら?」

そういうと、アキバさんはコップに三分の一ほど残っていた泡盛を一気に飲んだ。

「いったんやめたからって、それはゴールじゃないでしょ。また行きたいところが見つかったら行けばいい」

あたしは、旅のゴールが怖かった。自由じゃなくなることだけがずっと怖かった。

あたしがゴキブリを素手で殺したとき、まどかちゃんは「ミカコちゃんって怖いものないでしょ」と言った。

そのときは咄嗟に訂正できなかったけど、あたしは今、まどかちゃんに言いたい。

あるよ。あたしにだって、怖いものくらいあるよ。

あたしはなんくる荘になじみすぎてしまうことも怖かった。居心地が良すぎて次の場所に行けなくなるのが怖かった。

「ミカコちゃん、七夕のときさ、短冊に書いてたでしょ。『家族と生徒たちとなんくる荘のみんながずっと自由でいられますように』って」

「そうだっけ」

覚えているのに、なぜかしらばっくれてしまった。アキバさんは、ビーチサンダルの足をぷらぷらさせながら続ける。

「あれ見たとき、思ったよ。ミカコちゃんは今まで、色んなとこで色んな人たちにいっぱい出会ってるでしょ。でもあの短冊には『なんくる荘のみんな』って書いてあった。だから、もし来年の七夕にミカコちゃんがなんくる荘にいなかったら、まぁたぶんいないと思うけど、そしたら来年の短冊にはそのとき一緒にいる人たちの名前が書かれるんだろうな、って」

出会ったときは淡々としていると感じたアキバさんの話し方は、ふわっと包みこむタオルケットのようにやさしくて、ちょっと胸が苦しい。

「来年の七夕、ミカコちゃんは俺たちのこと覚えてるかな、って思ったよ」

「覚えてるよ」

「ホントかなぁ」

砂浜からけたたましい笑い声が聞こえ、それに似合わない線香花火のささやかな光が一粒のビーズのように見えた。
 


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