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ふられたほうが楽なのは知っている

先日も書いたのですが、林伸次さんの「恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。」がすごくいいんです。

私は単行本で読みましたが、cakesでも一話ずつ公開しています。


特にこの話「この恋がうまくいかないことは私がいちばんわかっている」が好き。

この小説は、バーに来たお客様がマスターに自分の恋のことを語る物語です。

ふと思いついてしまったんですが、舞台をバーから山小屋にして、マスターを私にして、ジャズをJ-POPにして、お酒をコーヒーにして……って置き換えていけばこの作品の山小屋バージョンになるのでは?

と思い、書いてみました。だけどその置き換えだけでは成立しなかったので(当たり前だ)、作中の恋のエピソードも変えました。

「この恋がうまくいかないことは私がいちばんわかっている」のオマージュです。林さんの文体と世界観を踏襲した(つもりな)ので、普段の自分の文体とはまったく違い、読み返しても自分が書いた感じがしません。

書いたはいいけど「公開したら林さんに失礼だよなぁ」と躊躇していたところ、なんとご本人から「楽しみです」とリプライが。お言葉に甘えてどーんと公開します。

タイトルは「ふられたほうが楽なのは知っている」。cakesでは山小屋エッセイを書いてますが、これは「山小屋小説」。架空の物語です。

本家を先に読んでから読んでいただけると幸いです。


◇◇◇


 ななかまどの実が雨に濡れる九月のある朝。北アルプスの山小屋もすっかり秋だ。

 私はiPhoneを売店のスピーカーにつなぎ、GO!GO!7188の『こいのうた』を流した。

 この曲は伝えるつもりのない片思いを歌う。

「きっとこの恋は口に出すこともなく 伝わることもなく叶うこともなくて」

 秘めた恋心がとても切ない。

 歌声に耳をすませていると、従業員通用口の引き戸が開き、後輩スタッフのあっこちゃんが入ってきた。あっこちゃんは年齢は二十五歳だが大学生くらいに見える。黒髪のショートカットで、化粧っけのない日に焼けた肌がツヤツヤしている。ゴアテックスのレインパンツを脱ぐと、ショートパンツからのぞくサポートタイツの脚は、細いけれどきれいに筋肉がついていた。

 彼女はビショビショのレインジャケットとレインパンツを干し、丸椅子に座ると、ストーブに手をかざした。そして元気いっぱいの高い声で話し始めた。

「今朝は本当に疲れました。サキさん、昨日団体さんの宿泊があったの知ってますか? もう九月でしばらく平日のツアーなんてなかったのに、昨日に限って団体さんが二組かぶったんです。

 私、今朝は早番だったんですけど、久しぶりにお客様が多くて大変でした。八月いっぱいで短期のスタッフが三人も下りたし、休暇も回ってるし、人手が足りなくて忙しくて」

「大変だったね。疲れてるところ、こっちの手伝いに来てくれてありがとうね」

「全然大丈夫です。でも、仕事前にコーヒーを一杯飲んでもいいですか?」

「だったらスタッフ用のインスタントじゃなくて、お客様用にドリップしたのを飲んだらいいよ」

「ありがとうございます。お客様用なのに飲んでもいいんですか?」

「この雨だとお客様も来なくて。さっき落としたのがポットに余ってるから飲んでいいよ。私も飲みたかったし」

「一緒に飲みましょう。……ねえ、サキさん、ほっとしたいときはなんでコーヒーが飲みたくなるんでしょう?」

「コーヒーの香りにはリラクゼーション効果があるからね。カフェインが入っているから覚醒作用があるけど、カフェインに弱い体質じゃなければ、リラックスして逆に眠くなるって人もいるらしいよ。

 この豆は松本のTという喫茶店から取り寄せてるんだけど、なんだか山で飲みたくなる味なの。特にこんな雨の日はね」

 私は売店からポットを取ってくると、スタッフ用のプラスチックカップにコーヒーを注ぎ、彼女の前に出した。自分のマグカップにもなみなみと注ぐ。

 彼女はコーヒーにそっと口をつけた。

「おいしい。コーヒーって子どもの頃は苦くて飲めなかったなあ。大人になってよかったって思うおいしさですね」

「大人になるっていいものだよね」

「大人かあ。サキさん、私、今、二十五歳なんです」

「知ってるよ。もっと若く見えるけど」

「まあそうやってみんな言ってくれるんですけどね」

「調子に乗って」

「えへへ。……でも、いくら若く見えても大人だから、未成年の男の子に恋しちゃだめですよね」

「ええと、どうしたの?」

「私、十九歳の男の子を好きになっちゃったんです」

「そうなんだ。ところで、差し支えなければ相手を聞いていいかな? この閉鎖的な状況で恋をするなら、相手はスタッフだと思うんだけど。十九歳というと、八月に下山した大学生の翔太君だね?」

「はい、そうなんです。一応、ここに来る前は予備校の先生をしてたので、十九歳くらいの子と出会うことはたくさんあったんですけど、私そんな気持ちにはまったくならなくて。どちらかといえば落ち着いた大人の男性に甘えたいほうなんです」

「そうなんだ」

「でも、翔太君は違ったんです。あきらかに年下なのに、あんなに子どもっぽくて弟みたいなのに、恋に落ちました。ああ、私でも年下の男の子に恋をしてしまうことってあるんだ、って思いました。

 今まで付き合った人って、年齢だけじゃなく精神的にもすごく大人で、あまり感情を出さなくて、私が泣いたり怒ったりしても優しくなだめてくれるケースばかりだったんです。

 だから翔太君みたいに子どもっぽい子を好きになるなんて自分でもびっくりしました。

 でも彼は未成年だし、高校から付き合っている彼女がいるんです。

 この気持ちはずっと隠そうと心に決めました。向こうから見たら、それこそ予備校の生徒と先生みたいな関係でしょ。途中からは『私、手のかかる生徒を心配するような気持ちで翔太君を見ているんだ。だから普通に先輩として指導するような気持ちでいよう』と考えるようにしたのですが、やっぱりそういう気持ちじゃないんです。

 翔太君とデートしたいし、正直、翔太君の彼女になれたらどれだけ幸せだろうって思ってしまって……」

「翔太君とは仕事中も仲が良かったの?」

「はい。みんな仲良しだけど、私と翔太君は特に仲が良くて、みんなから『お姉ちゃんと弟みたい』って言われていました。翔太君、ドジだから失敗ばかりで、たまにお客様から怒られるんです。そういうときに私が代わりにお客様に謝ったり、仕事を教えてあげたりしました。そしたら『あっこさん、さすがお姉さんだなあ』って言うんです」

「翔太君はあっこちゃんの気持ちに気づいてたのかな?」

「まったく気づいてなかったと思います。私、絶対にそんな素振りは見せないようにしていたし、翔太君はあのとおり鈍感ですから。

 先週のことでした。サキさんもご存知のとおり、翔太君がバイト終了で下山することになりました。

 翔太君が『オレ縦走してから下山するつもりなんですけど、あっこさん、その日から休暇なんですね。せっかくだから一緒に行きませんか?』って言ってきたんです。翔太君と縦走できるなんて、夢のようでした。私は『もう、しかたないなあ。一緒に行ってあげる』って答えました。

 待ちに待った休暇の日、私たちは一緒に縦走に出かけました。夏山シーズンの終わった平日の山は空いていて、お天気も良くて、遠くの山々の稜線が綺麗に見えました。翔太君もはしゃいでいて、すごく楽しかった。

 私、この縦走中に翔太君に告白するって決めました。彼女がいるのは知ってるけど、告白して振られてスッキリしようと思ったんです。

 歩き始めて一時間もすると、息が切れてきました。山岳部だったから体力には自信があったんですけど、やっぱり六歳年下の男の子には敵いません。だけど、翔太君に遅いって思われるのも悔しくて、なんとか彼のペースに合わせて歩きました。

 ようやく着いた山頂は私たちしかいませんでした。雲ひとつない青空で、どこまでも稜線が見渡せて、本当に綺麗な景色でした。翔太君は『やべー!』って興奮していて、スマホで動画を撮ったりしてすごく楽しそうでした。

 そんな翔太君を見ていたら嬉しくなっちゃって、私もつい『ヤッホー』って言っちゃいました。普段は絶対にそんなこと言わないんですけど、はしゃいでしまって。

 私はこの勢いで翔太君に告白しようと思いました。だけど、翔太君がスマホの電波を気にしてるんです。『どうしたの?』って聞いたら、『動画撮ったから彼女に送りたいんですけど、やっぱり電波入らないですね』って何気ない感じで言うんです。『こんな最高の景色見ると、好きな人に見せたくなりませんか?』って。翔太君に彼女がいることを思い出しました。

『そうだね、見せたくなるね』なんて言いながら、目を逸らして景色を眺めました。

 急に冷静になりました。そうかあ、翔太君は彼女のことを本当に大切にしているんだなってあらためて思いました。彼女がいることはとっくに知っていたし、忘れてたわけでもないのに、いつの間にか期待してしまっている自分に気づきました。

 そのことに気づいたとき、私ばかだなあって自分で呆れて、少し笑ってしまいました。山頂でお弁当を食べてから下山しました。

 翔太君はとても優しいんです。何度も私のほうを振り返っては『あっこさん、疲れてませんか? もし疲れてたら無理しないで言ってくださいね!』って言ってくれるし、岩場では手を貸してくれるんです。たぶん翔太君、彼女にもこのくらい、いや、もっと優しいんだろうなってその時やっと気がつきました。

 しばらく翔太君のペースに合わせてなんとか歩いてたんですけど、私、足がつってしまって。歩けなくてなってその場でうずくまりました。山で足がつるなんて生まれて初めてで、情けなくなりました。私、ずっと自分は体力があるって思ってましたから。

 ああ、私、どうしてこんなに無理しちゃったんだろう、どうして翔太君に『もうちょっとゆっくり歩いて』って言えなかったんだろうって後悔しました。

 そしたら先を歩いていた翔太君が気づいて、血相を変えて私の方に駆け寄って来て『あっこさん、大丈夫ですか!?』と言いました。

 私が『翔太君、ごめんね。私足つっちゃったみたいで。すぐに直ると思うから、気にしないで先に行ってて』って言ったら、翔太君が私をお姫様抱っこして木陰に運んでくれたんです。木陰にそっと下ろしてくれて、『足が治るまでここで待ちましょう。オレ、頑張ってあっこさんのこと笑わせます!』って。

 私、胸が苦しくなって、翔太君に好きって言ってしまいそうになったんですけど、グッと飲み込みました。代わりに、『ごめんね、迷惑かけて』って言いました。

『迷惑なんかじゃないですよ! もしかしてオレ、歩くの早かったですか? オレが誘ったのに、あっこさんに無理させてごめんなさい』

『そういえば、なんで私のこと誘ったの?』

『オレ、あっこさんといると楽しいんですよ! 高校の部活の仲間とか、大学のサークルの友達といるみたいで。あー、今回の縦走もめちゃくちゃ笑ったなあ! あっこさん、家、東京でしたっけ? オレ、千葉なんです。わりと近いですよね。下山しても遊びましょうね!』

 翔太君の屈託のない笑顔を見て、ちょっと泣きたくなったけど、嬉しくなりました。彼が笑ってることが幸せで、他には何も望まなくていいやって思ったんです。そのまま二人で下山して、バス停で別れました」

あっこちゃんはコーヒーを飲み、目を伏せた。

私が口を開こうとすると、あっこちゃんはさえぎった。

「告白しないほうが苦しいのは知っているんです。告白して振られたほうが楽になるって、最初から知っているんです。

 翔太君はもう大学の日常に戻っていて、山の日々なんてもう忘れてると思います。だからあのとき私が告白していても、翔太君の日々にはなんの影響もないんです。だから、告白してもよかったんです。そんなことはわかっているんです。

 でも私、今この瞬間、翔太君が何をしてるのか、何を考えてるのか、離れたところから想像するだけで幸せなんです。こんなに好きになったの、人生で初めてなんです。たとえ恋人同士になれなくても、この恋を終わらせたくなかった。片思いでも、ずっと好きでいたいんです」

 そう言うと、あっこちゃんはカップを置いて立ち上がり、エプロンと三角巾を身につけた。

 山小屋にはさっきからずっと、GO!GO!7188が「きっとこの恋は口に出すこともなく 伝わることもなく叶うこともなくて」と歌い続けていた。


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