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ゲストハウスなんくる荘7 勝ち負け

あらすじ:那覇にあるゲストハウス・なんくる荘にやってきた未夏子。「滞在は、一週間かもしれないし一年かもしれない」と話す彼女の生き方とは?

前回まではこちらから読めます。

その日は、あたしもまどかちゃんも仕事が休みだった。

「夜に仕事があるから昼間は体力を温存しておきたい」というアキバさんとジンさんとモンちゃんとヒロキ君を連れ出して、なんくる荘から水着姿のまま海へ行く。平日だからか、人はまばらだ。

五人で勝手気ままに泳いだ。まどかちゃんだけ浮き輪を持ってきていた。まどかちゃんの乗った浮き輪をジンさんが深いところまで引いていく。ジンさんは海の中でも酒臭かった。連れて行かれたところで浮き輪から降りたまどかちゃんは「足がつかない!」と叫んで、げらげらと笑った。

あたしは、昨夜のまどかちゃんの言葉を思い出していた。

自由って楽しいけど、ちょっと淋しいね。

自由は淋しいことかな。ずっとこんなんだから、あたしにはわかんないよ。

アキバさんは意外と泳ぎがうまくて、メガネをはずした顔はやっぱり誰かに似ていた。

屋内プールの天窓から、ブルーグレーの空が見える。今夜から台風が上陸するとテレビでしきりに言っていた。

なんくる荘の住人たちは、困った困ったと言いながらも、台風という非日常を楽しみにしているように見えた。もちろん、それはあたしも同じだ。

今日はバイトの日。

沖縄なのに水泳教室があるということが、最初は少し不思議なことに感じられた。けれど那覇の水泳教室だって、やっていることも雰囲気も、あたしが小学生の頃通っていた八王子の水泳教室となんら変わりはない。

子供たちを教えていると、自分が水泳教室に通っていたときのことを思い出す。

グッピークラスから始まり、上級になるにつれ、サーモンクラス、ネッシークラス、とびうおクラス、ドルフィンクラス、とランクアップしていった。子供心に、ネッシーは何か違うような気がしていた。

ある程度泳げるようになると、今度はいかに速く泳げるか、タイムを縮めることを意識するようになった。特に、同じマンションに住む恵理には絶対に負けたくなかった。恵理とは、水泳を始めたのも一緒だったのだ。

恵理に負けまいと速く泳ごうとしていると、なかなかタイムは縮まらなかった。

だけどある日、もう勝ち負けにこだわるのが面倒くさくなって適当に泳ぐと、自己ベストのタイムが出た。

あたしにも人並みに勝ち負けにこだわった時代があったことを思い出し、なぜか少し安心する。あのとき、「もうどーでもいいや」と力を抜いてすーいすーいと泳いだあの瞬間から、あたしは勝ち負けにこだわらない人間になったんじゃあるまいな。

中学年クラスの授業が終わり、蒸し暑い更衣室のカラフルに塗り分けられたロッカーの前で着替える。バスタオルで拭っているのが水滴なのか汗なのかわからない。

ブラをつけていると、四年生のヒナとカエデに話しかけられた。

「ねぇ、ミカちゃん先生ってバイト?」
「そうだよ」

ヒナとカエデは何が面白いのか甲高い声で笑う。

「バイトってさ、正社員じゃないんでしょ」
「よく知ってんじゃん」
「じゃあさ、ミカちゃん先生って負け組なの?」

おっと。

さて、どうしようか。腹は立たないが、一応正すのが大人の役割かもしれない。

「たぶんさ、負け組かどうかを決めるのは誰かって話なんだよ。そう思ってる人は、そうなんだろうね」

「ミカちゃん先生はー?」

「あたしは最初っから戦ってないよ。でも、あんたらがそう思いたいなら、そう思ってればいいよ」

ヒナもカエデもいぶかしげな顔をしている。

「説明するのめんどくさいからいいや」

二人は「説明してー」と交互に高い声を上げたが、あたしは「アイスおごってくれたら教えてやる」の一言で黙らせた。

世間一般で言われる「勝ち」に興味を持てない人間がいることを、あたしは伝えられる気がしない。

「人間に勝ち負けなんてないよ!」といった正論めいたことを言いたいのではない。仮に勝ち負けがあったとして、あたしはどうしても、勝ちにこだわれないのだ。

理由は自分でもわからない。とびきりに怠惰なのかもしれない。

「短冊に勝ち組になれますようにって書いたらいいよ」

「短冊?」

そうか、今日は七夕か。台風のことしか頭になかった。

この子たちも短冊を書いて笹に飾るなどという古風なことをするのだろうか。

帰ったら短冊を作ろう、と思いつく。そしてみんなでお願い事を書いて、リビングの窓辺に置いてあるアレカヤシに飾ろう。

短冊に書く文面を考える。

「家族と生徒たちとなんくる荘のみんなが、いつまでも自由でいられますように」

あたしはよく無欲だと言われるけど、そんなことはない。自由であることには、とことん強欲だ。



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