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【ショートショート】レインブーツを探しに

寝癖のついた頭でカーテンを開ける。
飛び込んでくる朝日に目を細める…なんて都合よく爽やかな朝は用意されていなかった。濡れた景色とザーっという雨のノイズ音。
『休日に朝から雨だと予定が狂っちゃうな』
そんな定型文が頭を横切った。
期待通り明るくならない部屋の電気を付けるとそのままキッチンに向かう。そもそも狂わされる予定なんて無いくせに、とワンテンポ遅れて心のささくれはチクリと痛んだ。
空腹でも何も作る気にならず、インスタントコーヒーだけを用意する。
空気を入れ替えるため窓を少し開け、まだぼやけている頭でぼやけた空をぼんやりと眺めた。ただ苦いだけのコーヒーを機械的に口に運ぶ。
雨の日の窓の隙間から届く街の音は、晴れた日には聞こえない音だ。
濡れた道路を弾く車の走行音、雨雲を切り裂き駆け上がる飛行機の低い唸り声。
雨に濡れた街はいつもより人々の営みを増長させているように感じる。
近くでキャッキャと騒ぐ幼児の声が聞こえた。アパート2階の窓からはその姿は見えない。
見えないが普段は何も無い道にこの時だけ現れた水たまり。レインコートに長靴を履き最強になった小さな怪獣が興奮し飛び跳ねる姿が容易に想像できた。
ふと自分が最後に長靴を履いたのはいつだろうと考える。
やはり大人になってからプライベートで長靴を履いた記憶は見つからない。
小学生か幼稚園かも分からぬ所まで遡りやっと黄色の長靴の記憶にたどり着くことができた。
苦いコーヒーは頭の中のぼんやりを少しずつ溶かしていった。
結局は長靴なんて駒付きの自転車と同じだ。子供の履物で、初心者の履物だ。雨でも靴を濡らぬように歩くのが大人に求められる器用さだと思っている。
しかし今はその長靴が少し魅力的に感じる自分に気づく。
長靴を履き水たまりに猛進していく高揚感。濡れることや汚れることなど意に介さない最強の心。
恐る恐る水たまりを避けて歩くことが果たして本当に器用に生きている証なのだろうか。
今、心の中のいつもは何もない道に水たまりが出来ている。
自分はこれまでいくつ人生の水たまりを避けて来たのだろう。
自分の中の白い何かを汚さないために。
コーヒーを飲み干し、再び窓の外に目を向ける。
雨はあがり雲間から射し込む陽の光に思わず目を細める…なんて都合のいい風景はやはり用意されていない。
号泣する街はまだまだ泣き止みそうにない。
よし、とクローゼットの扉を開ける。
今日の予定はまだ決まっていないが狂ってもいない。
心が晴れたとはまだ決して言い切れないが、まずは可愛いレインブーツでも探しに行こうか。

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