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【ショートショート】旅する膝小僧

 夜。世界が寝静まるのを待ってひざ小僧は旅にでた。
自分の住む場所しか知らない膝小僧はもっと世界のことを知りたくなった。ひいては自分が何者なのかを知りたくなったのだ。地図はない、目的地もない、ただ己の胸に湧きあがる好奇心だけを燃料に、目の前に続く平坦な一本道を歩きはじめた。
 一本道も終わりに差し掛かろうという所でくるぶし爺さんと出会った。彼は膝小僧をあたたかく歓迎した。膝小僧は爺さんに今の自分の考え、悩み、この旅の目的を全て話した。爺さんは頷きながら膝小僧の話を最後まで聞いてくれた。「その好奇心は宝じゃ。じゃがここは下半身界、足先の最果て。これより先はもう行き止まりじゃ。お前の旅の目的を叶えるためには上半身界に進みなさい。そして更に先にある脳天界を目指すのじゃ。そこには脳様と呼ばれるこの世界を司る方がおられる。その方ならお前の疑問に光を与えてくださるじゃろう」
膝小僧はくるぶし爺さんに旅の目的地と勇気をもらった。お礼と別れを告げると、上半身界を目指し歩きだした。
 来た道を戻り突き進むと六腑の森の入り口に辿り着いた。くるぶし爺さんにもらった羅身盤を取り出す。六腑の森を進む際、この世界の方角『手心頭足』の頭の方角を常に確認しながら進むことを忠告されていた。もし道に迷い誤った進路を選んだ場合、この世の最後の扉という意味の肛門という名のゲートから誰も知り得ない虚無の宇宙へと放出され二度と還ってくることはできないという。
膝小僧は恐怖と戦いながら羅身盤から目を離さず頭の方角へと歩を進めた。途中、森の中で何度か褐衣かちえの民とすれ違った。彼らはこの世界に恵みをもたらすために訪れた使者の成れの果てで、もし出会ったら敬意を持って道を譲ること、そして彼らは虚無の宇宙へ還ってゆくので絶対に後をついて行ってはいけないことを爺さんは教えてくれた。彼らに頭を下げ道を譲ると彼らが歩んできた道を膝小僧は進んだ。
 無事に六腑の森を抜けると少しひらけた空間にでた。くるぶし爺さんも森より先は行ったことが無いと言っていた。膝小僧は闇雲に進むのではなく、まずは辺りに誰かいないか探ることにした。知らない世界を進む時、その場所を知る者の教えは何よりも代えがたい命綱になることを膝小僧は学んだ。しばらく散策をしてみたが誰も見つからなかった。諦めて先に進もうかと思った矢先、何やら扉のような大きな造形物を見つけた。しかしその扉は固く閉ざされており、生い茂る雑草が長年使われていないことを表していた。一体これは何なのだろうかと更に近づこうとしたその時だった。背後から鬼気迫る殺気を感じ、振り返る。膝小僧めがけ棒が振り下ろされる所だった。「貴様!覚悟しろ!」
ガシャン!という音と共に膝小僧は尻もちをついた。羅身盤が地面に落ち部品が飛び散る。膝小僧はとっさに羅身盤を盾にしたのだ。
「爺さんからもらった羅身盤が。何てことするんだ。ひどいじゃないか」膝小僧は恐怖よりも怒りに任せて棒の持ち主を睨みつけた。
「なんだお前。まだ子供じゃないか。遺跡荒らしじゃないのか」「僕は膝小僧だ。遺跡荒らしなんかじゃない」
「あまりに忍び足で遺跡に近づくからてっきりそうかと…。すまないことした。立てるか」差し出された手を借りて膝小僧は立ちあがった。遺跡荒らしという言葉が気になる。
「この扉は遺跡なのかい」「そうさ。この遺跡はへそと言うんだ。君は森を抜けてきたかい」「今さっき通ってきた所さ」
「なら褐衣の民を見ただろう。まだ彼らが訪れる前は、この扉から世界の全ての恩恵がもたらされたんだ。もう今は役目を終えたが私はこのへそ遺跡をずっと護り続けている。私の名はゴマだ」へその番人ゴマは壊れた羅身盤拾いあげた。「これは羅身盤じゃないか。なぜ君がこれを持っているんだい」膝小僧はこれをもらった経緯、この旅の目的を話した。ゴマは興味深く聞いていた。「脳天界を目指すとは君は幼いのに壮大な目的を持っているんだな。これを壊してしまったお詫びに私もお供したい所だが、あいにく私はこの場所を離れるわけにはいかない。せめて上半身界の入り口までなら案内しよう」
膝小僧はその申し出をありがたく受けることにした。少しの間でも一人じゃないのは心強かった。案内の途中、ゴマは上半身界について教えてくれた。
「これから行く五臓の都はこの世界で唯一、昼夜問わず働き続ける街だ。褐衣の民の前身にあたる彩衣さいいの使者をもてなすために創られた遊楽の街とも言われている。脳天界を目指すなら首と呼ばれる大通りを探すんだ。脳天界へと続く唯一の道だ。しかし上半身界には三つの首があると言われている。羅身盤があれば迷わずに行けたのだが…本当にすまないことをした」「もともとは無かったものなんだ。もう気にしていないよ」膝小僧は明るく言った。「そうか。私が知っていることは以上だ。さあ都の入り口だ。無事に旅の目的を果たすことを祈ってるよ」
 ゴマと別れ、五臓の都に足を踏み入れた膝小僧はその景色に驚いた。彼の住む所では世界が夜を迎えると動きを止め静寂に包まれるのが普通だった。「夜なのにこんなに活気があるなんて」全ての建物が休みなく働いている。膝小僧は遠くにそびえたつセントラルタワーに圧倒された。
「あんなに遠いのにあんなに大きく見える」タワーの先端にはドクン、ドクンと鼓動する光の球体が街を見下ろしていた。よく目を凝らすとタワーから幾重にも管が伸びており世界と繋がっているのが見える。膝小僧は知らないことだらけの世界で自分という存在がいかにちっぽけであるかを思い知った。ゴマが言っていた彩衣の使者と呼ばれる者たちの姿を数多く見かけた。褐衣の民と違い、赤や緑、黄色といった様々な色の衣を身にまとい誘われるままに建物の中を行き来している。膝小僧は時間を忘れその光景に見惚れてしまった。そして徘徊するように歩き続け気がつくと自分が何処にいるのかを見失ってしまった。近くにいた彩衣の使者に声をかける。「首に行くにはどっちに行けばいいでしょう」「私はここの者じゃないので分からないな」何人かに声をかけたが皆返答は同じだった。そして辺りには彩衣の使者しかいないことに気づいた。膝小僧は手探りで歩くしかなかった。やがて薄暗い路地裏のような所に行き着くと途方に暮れその場にしゃがみこんだ。「まいったな。疲れたし少しだけ休もう」膝小僧の意識はそのまま遠のいていった。
 誰かが肩を揺すっている。「…たんだい。坊や…なところで」ハッと気がつくと目の前にはマントを羽織った綺麗な人が立っていた。
「気が付いたかい坊や。この辺りじゃ見かけない顔だね」「僕は膝小僧です。旅をしているんです。そうだ首に行きたいんです。知っていますか」「首だったらすぐそこだよ」と言って路地の奥を指さした。「その首は脳天界に続いていますか」綺麗な人は吹き出して笑った。「あんた、だとしたらこんな所に来てちゃダメさ。この先にあるのは首は首でも右手首。ここは右手横丁という所さ」そう言ってひじ姉さんは膝小僧の手を掴んだ。「すぐそこに私が切り盛りしている店があるの。少し満たしていきなさい」
膝小僧はこじんまりとした店内で温かいものをご馳走になった。そしてひじ姉さんにこの旅の目的を話したのだった。ひじ姉さんは静かに話を聞いた。「じゃあ、あんたは下半身界から来たっていうのかい。脳様に会えたとしてどうするつもりなのさ」「自分が何者なのか知りたいんです」ひじ姉さんは立ちあがった。「なら急がないと、世界の目覚めが迫っているわ」ひじ姉さんは膝小僧を右手横丁の入り口に当たる脇の下まで親切に案内してくれた。「ここから肩沿いに歩いてゆけば本物の首大通りだよ」膝小僧は礼を言って別れを告げた。ひじ姉さんの言う世界の目覚めが気になり、自然と急ぎ足になっていた。
 首大通りに辿り着いた膝小僧は息をのんだ。これまで見てきた道の中でも桁違いの大きさに圧倒された。ひじ姉さんは昼間ともなると、この道が彩衣の使者で埋め尽くされると言っていた。にわかに信じられなかったが、この世界は膝小僧の想像を遥かに超えている。この先に控える脳天界に自ずと胸が高鳴った。
 少しずつ道が細くなり長い階段が現れた。明らかに空気の流れが変わり脳天界に踏み入ったことが分かる。階段を登りきると神殿が現れた。脳様はこの中にいる。膝小僧の胸の高鳴りも緊張へと変わる。恐る恐る神殿に足を踏み入れた。
「よく来たね」神殿の中に声が響く。「の、脳様ですか」辺りを見回し膝小僧は声をあげた。「一番奥の部屋に入っておいで」
部屋に入ると脳様は脳の座に腰を掛けていた。「膝小僧。どうしたのだい」「どうして僕の名前を…」
「私はこの世界の一部であると同時に、世界は私自身なのだよ。そんなことを聞きにきたのかい」「違います。こんなちっぽけな僕は何のために存在するのでしょうか」脳様は立ちあがりひざまずく膝小僧の前まで下りてきた。そして膝小僧に手を差し伸べ立ちあがらせると微笑んだ。
「もうすぐ夜が明ける。世界は目を覚まし、再び動きだすだろう。その時にお前がいなければどうなると思う。世界は膝から崩れ落ちてしまうだろう。お前はちっぽけな存在なんかじゃない。この世界を支えているのだよ」

 手を伸ばし目覚まし時計のアラームを止める。頭はまだ眠りの余韻を引きずっている。変な夢をみた。とてもリアルな夢だった。寝起きなのに一晩中歩きまわったような疲労感がある。
特に脚の疲労がひどい。なんだか膝が笑っている。

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