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【ショートショート】秒読家の意義

N市郊外の山奥にひっそりとその屋敷は建っている。
秒読家。
江戸時代から続くとある伝統を、一子相伝で現代に引き継ぐ名家だ。
敷地内の離れ、通称『秒読庵』にて日々粛々とソレは執り行われる。
「あ、九千九百九十万九千九百九十びよぉーう」
御年88歳の15代目当主、秒読平之進が独特の節回しで読み上げる。
手には初代から受け継ぐ『刻槌』を持ち、コツコツと打台を打つ動作で秒を刻み60秒毎に読み上げるという流れだ。
正確に秒を刻むようになるまで10年はかかる妙技とされた。
「ついに1億秒を切った。とすると後4年弱で数え切るのか…」交代に備え背後で待機する次期当主の段之進は呟き、見学に来ていた小学生の息子は隣でその声を聞いた。
「ゼロになったらどうなるの?」
「…交代の時間だ」息子の質問には応えず素早く祖父と読み座を入れ替わった。
待機席に戻った祖父に息子は同じ質問をした。
「実はな、億切りを迎えた際に紐解く様に伝えられている巻物があるんじゃ」
15代目は祭壇に祀られた古びた木箱から巻物を取り出す。
16代目は刻槌を刻みながら横目で一瞥する。
「あ、九千九百九十万九千九百三十びよぉーう」
待機席に戻り、ひとつ咳払いをし15代目は巻物を読み上げた。
「えー、意味無し事をやり続けた先 果たしてそこに意味は生まれるのか 鶴千代様の命により秒読を開始す 高辻松之進 改め 初代秒読松之進…」
巻物を置き祭壇を見つめる。息子もそれを追いかける。
「じいちゃん。何て書いてあったの?」
「…やっぱり意味無かったんかこれ」

「あ、九千九百九十万九千八百七十びよぉーう」
16代目の声がやけに響く。

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