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日本文化の基層 ③イネとコメの日本史_5 朱子学

兵農分離や検地を引き継いだ江戸幕府は、過激な朱子学を取り入れたため、益々コメ中心の農本主義へと染まって行きます。

ここで儒教(学)と朱子学について説明しておきます。
孔子(コウシ)(BC551?~479年)が説いた思想が儒教。孔子は殷(イン)を滅ぼした周(シュウ)の体制を理想とし、祖先崇拝を人倫の道として体系化しました。孟子(モウシ)も儒教の聖人です。
周に滅ぼされた殷の民は、土地を失い、流浪し、商売で生きて行きました。

そしてなぜ「商人」と言うかというと、俗説として、かつての殷の首都が「商」であり、殷は不道徳の象徴として、その民が「商人」だというものがあります。

元々の儒教にも、農本主義と商人蔑視の偏見はあるものの、まだ、ほのぼのとしたものです。

それに対して朱子学は、南宋時代の朱熹(シュキ)(1130~1200年)が儒学をもとにして生み出した新しい過激思想です。
儒学と同じ『論語』などのテキストは共有していますが、極端な思想とその過激さを生んだ背景は、その時代にあります。

南宋は中国の歴代王朝の中でも、漢民族としての軍事力が最も弱かった王朝であり、北方の「金」という遊牧民族国家に華北という地を奪われ、南に押し込まれてしまった国家です。

野蛮な遊牧民族による征服と、皇帝一家の夫人や娘たちが娼婦にされてしまうなどの屈辱と悲惨な歴史を持ち、こうした恨みつらみが詰まった現実を認めることは、プライドが許さないという中で体系化された思想が朱子学です。

周囲の異民族は、みな野蛮人だとする「中華思想」も「中華文明こそ、唯一の文明であり異文化に学ぶものなど何もない」と極端なまでに排他的に独善的になって行きます。親孝行の「孝」も祖先に対する尊重が行きすぎ、神聖視してしまい「祖先が決めたルールは絶対正しく変えてはならない」という「祖法」となってしまいます。

「士農工商」も儒教の用語です。

オリジナルの「士」は、科挙という官吏登用試験を合格した人を指し、人倫の道、儒教を修めた人ということですから「士」は価値が高く、学んでいない民は価値が低いということになります。

日本では、この「士」が武士身分となり、「農・工」は同列なのでしょうが、「商」は低い身分と見られていたはずです。(官尊民卑)

また、「貴穀賤金」の穀は日本の場合、コメだけを指し、そこから「生産性の無いものは卑しい」という発想が生まれ、商売や芸能などの文化も卑しいとされ、文化的発展を蝕む毒となって行きました。

幕末のペリーも「通商条約」がダメで「和親条約」にしろだの、「商品」という言葉がダメで「物品」にしてくれだのの日本側からの変更をぼやいています。

勝海舟も曾祖父の時代に高利貸しで儲けて武士身分を買っています。坂本龍馬も郷士という下級武士で実家や親戚が商売をしています。幕末、貨幣経済で力を付けた下層民が、朱子学を吹き飛ばして行ったのです。

逆に言えば、朱子学を理解せねば、江戸時代はわからないということです。

※ほとんど丸写しも多い参照資料
◎著者:佐藤洋一郎氏
『イネの歴史』京都大学学術出版社
『稲の日本史』角川ソフィア文庫
『米の日本史』中公新書
◎著者:奥田昌子氏
『日本人の病気と食の歴史』ベスト新書
◎著者:田家康氏
『気候で読む日本史』日経ビジネス人文庫
◎著者:鬼頭宏氏
『人口から読む日本の歴史』講談社学術文庫
◎著者:上念司氏
『経済で読み解く日本史』飛鳥新社
◎著者:井沢元彦氏
『中韓を滅ぼす儒教の呪縛』徳間文庫
『動乱の日本史(徳川システム崩壊の真実』角川文庫
◎著者:蒲地明弘氏
『「馬」が動かした日本史』文春新書
◎著者:山本博文氏ほか
『こんなに変わった歴史教科書』新潮文庫
◎著者:小泉武夫氏
『幻の料亭「百川」ものがたり』新潮文庫
◎著者:山と渓谷社編
『日本の山はすごい!』ヤマケイ新書
◎著者:森浩一氏
『日本の深層文化』ちくま新書
◎著者:佐々木高明氏
『日本文化の多重構造』小学館
◎著者:原田信男氏
『日本人はなにを食べてきたか』角川ソフィア文庫

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