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「死にたい」という気持ちを受け入れること



このnoteは、毒親育ちの明日に希望を届けるためのnoteです。




今回は、
表題のとおり「死にたい」という気持ちを受け入れること
についてとりあげたいと思います。




毒親育ちの方にとって、「死にたい」という気持ちは、
わりと身近なところにあるのではないかと思います。
私にとっても、そうです。
最近では本当にそう感じる頻度は下がりましたが、
それでも自分の中に内包している感情で、
何か過去のことに触れるようなきっかけがあれば、
芽を出してきそうな感情です。



自分は以前、
「死にたい」と思う自分が恥ずかしいと思っていました。
最近、クライアント様や相談者の方と色々やり取りをしていて、
やはり恥ずかしいと感じている方が多いということに気づき、
それについてあえて掘り下げてみようと思った次第です。





1 「死にたい」という気持ちの扱われ方について思うこと



私が今回「死にたい」という気持ちについて考えてみたいと思ったのは、
クライアント様や相談者の方たちが、「死にたい」と思っていることを恥ずかしそうに話すことを受け、
「死にたい」という気持ちは、この社会で忌避され過ぎているのでは?
とふと思ったことがきっかけです。



確かに、家族や友人から、「死にたい」などと言われれば、
動揺してしまいますし、
何かしてあげたいと思う一方で何もできないもどかしさや無力感から、
なぜそんなことをいうのかという怒りさえも感じてしまい、
遠ざけたくなるという気持ちになります。



また、「死」というもの自体、
生きている私たちからすれば、
よくわからない恐ろしいものであり、
できればかかわりたくない、
遠ざけたくなるものでもあります。



自分が「死にたい」と感じてしまう時も、
その感情を忌まわしいものとして
遠ざけている人が多いのではないでしょうか。



やはり、生きることこそが正しく、
死を選ぶことはどこか間違っているという認識が
どこかにあるのではないかと思います。



このように生きることこそが正しいとされる社会にあって、
「死にたい」という気持ちが忌避され過ぎて、
それにより、
他者の「死にたい」という気持ちや、
自分の「死にたい」という気持ちの取り扱いが
より困難になってしまっているのではないか?という
と思っています。





2 「死にたい」という気持ちと格闘して



上で述べたように「死にたい」という気持ちを忌避している私たちですが、
では、この「死にたい」という気持ちは、
あるとき完全になくなるものなのでしょうか。




私は、以前、この気持ちと闘っていました。
過去受けた心の傷が癒されれば、
過去のつらい出来事がもっと消化できれば、
人生にもっと前向きになれれば、
夢中になれることを見つけたら、
とにかく、何かを達成したら、
いつか「死にたい」という気持ちがきれいさっぱりなくなるのだと思っていました。



そのため、「死にたい」という気持ちをなくそうなくそうと、
闘ってきたのです。



しかし、何を達成しても、いつになっても、
何年たっても、
私の中の「死にたい」という気持ちはなくなることがありませんでした。



それが人生なのですが、
どんなに幸せになろうとも、
生きていればつらいことや大変なことが起こります。
特に、毒親育ちの場合、親子問題は、
目の前に親がいなくなろうとも、簡単に解決する問題ではなく、
親からの接触はもちろん、
ふとしたきっかけで容易に過去の心の傷やつらい出来事がフラッシュバックします。



そのため、私の中の「死にたい」という気持ちは、
何年たとうが、何を成し遂げようが、消えることはありませんでした。



それである時、闘うことをやめました。
私はその闘いにただただ疲れたからです。
あぁ、私はいつも心の中でどこか「死にたい」という思いを抱えながら生きていくしかないんだ、
とどこか諦めにも似た心境になりました。
その時は、なんとなく、私は闘いに負けて「悔しい」という思いで、
自分はやっぱり無力なのか・・・と自信を喪失していました。



周りには、「死にたい」などと一度も考えたことのない人が大勢います。
そういう人たちを見るたび、
自分は劣っている、自分はやっぱりダメなんだ、
なんて暗い人間なんだろう、
夫も自分のことが嫌いになるんではないか、
友達も離れていくんではないか・・・
等と、どんどんどんどん落ち込んでいきました。




3 諦めた時、「死にたい」という気持ちを受け入れられるようになった


しかし、「死にたい」という気持ちと闘うことを諦めて
2~3か月くらい経過したころから、
私は「死にたい」という気持ちを受け入れられるようになりました。



より正確にいうと、「死にたい」と思ってしまう自分を
そのまま抱きしめることができるようになった感覚です。



今では、「死にたい」と思ってしまう自分のことを、
主にカウンセリングの場で「悪魔ちゃん」と呼んでおり、
ヘルシーな大人の私が、悪魔ちゃんをそっと抱きしめるイメージ、
あるいは、悪魔ちゃんと手をつなぐイメージ
を浮かべられるほどになりました。



「悪魔ちゃん」は、間違いなく苦しかった私自身なのです。
生きるのが辛いと思い、すべて終わらせるしか方法がないと思うほど、
精神的に追い詰められていたのです。
しかし、それに気づくことができなかった私は、
何とか生きるため、死へと自分を誘惑する悪魔ちゃんを
遠ざけることしかできませんでした。



遠ざけられる度に、「悪魔ちゃん」の傷は深まっていったと思います。
こんなに苦しんでいるのに、なぜ自分を遠ざけるのか、
なかったものとして扱おうとするのか、
助けてーという叫びをあげていたように思います。



だから、いくら遠ざけようとしても、
「悪魔ちゃん」が傷ついた分だけどんどん強くなっていき、
私の中の「死にたい」という気持ちが消えることはなかったのです。



でも、闘うことを諦めた時、
私は、自分の「死にたい」という気持ちと共存していく道しかないと悟り、
消極的ではありましたが、
「悪魔ちゃん」を受け入れたのです。



受け入れてもらうことができた「悪魔ちゃん」は、
もう大丈夫なんだ、と安心して、
私を不用意に死へと誘うようなことをしなくなったのでしょう。



また、「悪魔ちゃん」を受け入れることができるようになってから、
私は以前よりも、生きやすくなりました。



それはきっと、「悪魔ちゃん」を受け入れる過程を通して、
色々な側面の自分を受け入れることができるようになっていったから
だと思っています。



人間には、色々な側面があります。
一言で、善か悪か、なんて語れるわけがありません。
同じ人間であっても、
ある場面では真面目で、ある場面ではいい加減、
ある場面では親切で、ある場面では冷たい、
ある場面では勇敢で、ある場面では弱腰になる
そういう面があるはずです。



頭ではわかるのですが、以前の私は、
どんな場面でも完璧にやりたいと思ってはできない自分に不満をもったり、
自分はずるいことをしたのでは?と感じて自分を必要以上に恥じてしまったり、
もっと相手に親切にしなくてはと感じて、自分を追い詰めてしまったり、
と、自分の色々な側面を受け入れることがうまくできませんでした。
そのため、大変生きづらかったのです。



でも、「悪魔ちゃん」を受け入れることができるようになってから、
多様な自分が存在するということ自体を
受け入れられるようになっていきました。



最近では、まだ修行中ではありますが、
こんな私もいるんだ、
あんな私もいるんだ、
人間いつでも完璧にいられるわけではないよね、
といったリラックスした気持ちで、
自分と向き合えるようにもなってきています。



自分の中で一番受け入れることが難しかった
「悪魔ちゃん」との格闘→受容という過程を経たからこそ、
このような心の持ち方ができるようになったのだと思っています。





4 もしあなたが「死にたい」と思う自分を恥じていたら



弊所のクライアント様や相談者の方たちの中にも、
「死にたい」と思うことを恥ずかしい、
そんな自分を卑下してしまっている人たちが
たくさんいらっしゃいます。



今この記事を読んでくださっている方たちの中にも、
「死にたい」という気持ちを抱えながらも
一生懸命生きていらっしゃる方もいるかと思います。



そのような方たちに伝えたいことがあります。





「死にたい」と思ってしまう自分は、
他でもなく、一生懸命生きようと努力しているあなた自身です。
ですから、どうか、そんな自分を恥ずかしいと思うのはやめてあげましょう。



積極的に受け入れることまでは難しくても、
そっと、「死にたい」と思っている自分が存在していることを受け入れる、
もっといえば、黙認するだけでも、
少しずつ状況は変わっていくはずです。
「死にたい」と思っている自分を受け入れることで、
これ以上、自己否定で自分を傷つけることを止めることができます。



そこを出発点にして、本当に少しずつですが、
自分の色々な面を受け入れていくことも
ゆくゆくはできるようになっていくはずです。



どうか、「死にたい」と思う自分をやっつけようなどと考えないで、
できればそっと手を差し伸べてあげましょう。







以上、「死にたい」という気持ちを受け入れること、でした。




私自身のエピソードを押し付けるつもりはまったくないのですが、
弊所にいらっしゃる方たちの中で、
「死にたい」という気持ちに悩まされている方が多いことを受け、
ヒントになればと思って掘り下げてみました。



ちなみに、「死にたい」という気持ちを受容できるようになったら、
次は、人生を積極的に楽しむことに目を向けられると、
人生が充実していき、自然と「死にたい」という気持ちが遠ざかっていく
と個人的に思っています。



「死にたい」という気持ちを内包しつつも、
私たちは、現に今生きているわけです。
であるなら、せっかくだから楽しんだ方が良いと思います。


そのあたりのことは、また別の機会に取り上げたいと思います。



今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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