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「毒親」とは?



このnoteは、毒親育ちの明日に希望を届けるためのnoteです。





先日弁護士ドットコム様から取材を受けた際に、
最初に『毒親』とは何かという質問を受け、
すごく久しぶりに言葉で説明させていただきました。


普段からたくさんのケースを扱ってはいるのですが、
いざ定義をするとなると意外と難しいのが、
「毒親」という言葉です。



今回は、改めて「毒親」とは何かということを
取り上げたいと思います。



1 「毒親」とは?



「毒親」について説明しようとすると、
いつも難しく感じるのですが、
その理由は、実は明確な定義がないから
だと感じています。


「毒親」という言葉は、
1989年にスーザン・フォワードというアメリカ人セラピストが作った言葉
です。



そこでは毒親というのは
「子どもの人生を支配し、子どもに害を及ぼす親」
という意味で用いられています。



毒親育ちの方たちにはおなじみの『毒になる親 一生苦しむ子ども』という本を書いた方です。



私なりの定義としては、以下のように考えています。



「毒親」とは
子どものことを一人の人として尊重する姿勢を持っておらず、
子どもの人としての尊厳を踏みにじってくる。
そのような気持ちや態度で、子どもに接し続ける親のこと。




もちろん、人間だれしも不完全であり、
親も一人の人間なので、
いつも完璧に子どもに接することができるわけではありません。
それは当たり前です。




しかし、子どものことを一人の人として尊重する気持ちがあれば、
自分が子どもに対して不適切な接し方をしてしまったと思えば反省できるし、繰り返さないはずです。
大切な人間関係において自分が間違ってしまったら反省し謝る、
そして同じことを繰り返さない
ということは、当たり前だからです。



しかし、毒親は、子どもに対して不適切な接し方をしても、
決して認めないし、反省しない。
それどころか、そのような不適切な接し方を繰り返します。


子どもへの不適切な接し方が恒常的・日常的になっていて、
そこに疑問すら持たない、
自分は親なんだから正しい、
子どもは自分のやり方についてきて当たり前などと考えています。


ここに、子どものことを一人の人間として尊重する気持ちがあるでしょうか。



ありませんね。



しかし、口では「あなたのため」「自分ほど良い親はいない」「愛情によるしつけだ」などと平気で言うので、
より子どもは混乱してしまいます。
愛情を感じられない自分はおかしいのではないか、
自分が悪い子どもだから愛されないのではないか、
などと子どもは思い込んでしまうのです。



このような親が毒親です。



さて、私は「毒親」という言葉は、
ずいぶん慎重に使うべき言葉なのではないかと常々思っています。
その理由は、「毒親」という言葉には、良い面と悪い面があると思っているからです。
これから説明していきます。



2 「毒親」という言葉の良い面




これは、毒親という言葉と出会ったことにより、
従前から親や自分が生まれ育った家庭に違和感を抱いていた人たちが、
自分の親や自分の置かれている状況に名前をつけられるようになったこと、
そして、それにより、自分の人生や今の生きづらさの理由について
理解を深められるようになったことが、
まずあげられるのではないかと思います。



この社会において、親のことを悪くいうことは簡単ではありません。
また、子どもはどんな親であっても親のことが大好きで、
その親からの愛を得たいと思っているので、
自分が愛されていなかったかもしれない、
自分の親は人を愛することができない人だったかもしれない、
等とは絶対に認めたくないものです。



そのため、従前は、親や自分が生まれ育った家庭に違和感を抱いても、
そのことを明確に認識したり、言語化することは難しかったように思います。
しかし、「毒親」という言葉が登場したことにより、
そこが明らかに変わりました。



私も26歳ではじめて「毒親」という言葉に出会った時、
明らかにこの言葉と出会う前と変わりました。
自分の人生の答えがわかったというか、
一筋の光が見えたというか、
そういう感覚でした。



そして、成育歴に起因して、
いろいろな生きづらさを感じている人たちが、
「自分の親はもしかしたら毒親ではないか」という問題意識を出発点として、経済的、精神的にも親から自立を果たし、
不健全な家庭から離れて自分の人生を取り戻そうと行動できるようになっていったように思います。



また、自分が家庭内で負った傷の責任を
「子ども時代の自分」ではなく、
「親」に負わせやすくなる言葉でもあるので、
心の回復にも役立つ言葉だと思っています。





3 「毒親」という言葉の悪い面



社会にとっての悪い面と、
当事者にとっての悪い面と、
二つあると思っています。



まずは社会にとっての悪い面です。



言葉がセンセーショナル過ぎる、
過激な響きをもっているため、
「毒親」や機能不全家族に無縁の人たちからすると、
大切な「親」をそのように呼ぶなど何事だ、
といった反感を招きやすいことです。


また、自分の親も「毒親」ではないかと感じながらも、
いろいろな理由から離れることができず(自分が依存している場合も含めて)自分の「親」を肯定しようと葛藤している人たちからすると、
自分の「親」を「毒親」といとも簡単に表現して(実際は葛藤まみれで簡単ではないのですが)、
親から自立を果たして自分の人生を取り戻そうとする人たちがうらやましいという感情が出てきて、
そんな「毒親」という言葉自体消えてしまえばいい・・・といった気持ちを抱かせてしまうこともあります。



親が「毒親」の場合、
日常的・恒常的に子どもの人権が家庭内で尊重されていないということなので、
「毒親」問題は、「家庭という密室で無力の子どもたちがさらされている人権問題」なのですが、
「毒親」という言葉が反感を抱かせやすい言葉であるがゆえに、
その実態を見えにくくしてしまっている面があると感じています。



次に二つ目です。
当事者にとっての悪い面です。



「毒親」という言葉は、親の側に焦点をあてた言葉です。
従前からある「アダルトチルドレン」という概念は、
子どもの側に焦点をあてた言葉ですが、
「毒親」はあくまでも親の状態だけを言い表しています。



そのため、自分の親は「毒親だ」と認識したところにいつまでも当事者をとどまらせてしまう、
被害者意識や復讐心を助長させ、
いつまでも当事者を無力な地位にとどまらせてしまう、
という問題があります。



心の回復や、その後の人生の立て直しのためには、
一時期は自分の親は「毒親だ」と認識し、
いったん親を責めまくる、
という作業は不可欠だと思っています。
子ども時代の自分に責任を負わせないためにも、
自分に傷を与えた人に、きちんと責任を返すべきです。



しかし、ある程度心が回復してきた時、
親を責め続けるだけでは、人生は変わらないことに気づきます。
ある程度心が回復した後は、
より生きやすい人生を目指すのであれば、
今度は自分を育てなおしていく作業が不可欠です。


これがとても大変なのです。
私は毒親育ちの回復で一番いろいろなエネルギーを使うのは、
このタイミングなのではないかとも思っています。
いつまでも親のせいにしていても人生は変わらない、
これからの人生に対しては大人の自分が責任をもってやっていくしかない、
そのために自分を育てなおさないといけない、
このことに多くの人が気づくのですが、
これが本当に大変なので、中には押しつぶされてしまう方もいます。



押しつぶされてもいいのですが、
押しつぶされた時、
自分はどうせ「毒親」育ちだから何にもならない、
と自暴自棄になり、
親に対して暴力をふるったり、
親に対してお金をせびるようになったり、
親に対する復讐心を燃やし続けることになってしまう方たちもいます。



また、自分と自分の子どもとの関係構築や関係改善をあきらめ、
残念ながら親と同じことを繰り返す道に進んでしまう方もいます。





「毒親」という言葉によって、
自分の人生に責任を負わなくてもよい、
という考え方になってしまう方たちがいるという現状があるのです。



確かに一時は自分を育てなおすという厳しい作業から逃げられるので楽ですが、
その後の長い人生、ずっと「親」のことに囚われて生活していくことになります。
実際、ご本人たちもとても苦しんでいて、
ちっとも幸せそうではないので、
大変心が痛みます。




これが、当事者の側にとっての悪い面といえます。


4 「毒親」という言葉との付き合い方



以上のとおり、良い面も悪い面もある「毒親」という言葉ですが、
もうなかったことにはならないでしょう。



良い面があり、この言葉によって救われた人たちもたくさんいますし、
センセーショナルではあるものの、
多くの人の耳に残る分、
どうやら社会には子どもにとって毒のようになる「親」がいるらしい、
ということが社会的に広まったことは事実だからです。



そのように考えた時、「毒親」という言葉との付き合い方が重要ではないかと思っています。



まずは、
「毒親」という言葉についてもっと正しく理解してもらえるように努力していくこと。



「毒親」という言葉は確かにセンセーショナルで過激な響きを持っていますが、
当事者たちがそのくらい過激な言葉を使わなければ、
幼少期から自分の心や体に傷を与え続けてきた親に対し、
「親」のことを責めることができなかった実態があったのも事実です。
それくらい、社会において、
「家族は仲良くあるべき」「親を敬うべき」といった価値観が今も強烈ということです。
そのプレッシャーの中で苦しんできた人たちがついに声をあげるための言語を獲得した、
それが「毒親」という言葉の登場だったのではないかと思います。


上にも書きましたが、
「毒親」問題は、「家庭という密室で無力の子どもたちがさらされている人権問題」です。
私は弁護士として、
その点をもっと認知してもらえるようにしていきたいと思います。



また、一方で、私たち毒親サバイバーとしても、
まるで自分の人生に対する責任を負わなくてすむかのような概念として
「毒親」という言葉を使わないことも大切なのではないかと思います。



毒親育ちは本当に大変です。
生きてきた世界が違う、そしてこれからも見る世界が違う、
健全な家庭に生まれ育った人と一生同じにはなれません。
それはとても悔しいし、残念だし、怒りさえわいてきます。
形や程度は変わっても、死ぬまで苦しむのは本当だと思っています。


でも、大人になった今、自分の人生をどうするか、という選択は、
自分に委ねられています。
そして、これからの自分の人生には、自分で責任をもってやっていく必要があります。


だから、一歩踏み出して、人生を変える方向にエネルギーを注力していきましょう。


親への復讐にエネルギーを費やすことはとてももったいないことです。
すでに何十年も私たち毒親サバイバーは親に人生を乗っ取られてきたのですから、さらに捧げるなんて本当にもったいないことだと思います。


私も、微力ですが、当事者として、かつ弁護士として、
微力ながらも応援しますので、
自分の人生に注力する方向にエネルギーを使っていける当事者さんが一人でも増えればうれしいと考えています。




以上、「毒親」とは? でした。


弁護士ドットコム様の取材協力で撮影した動画にも
同様の内容がありますので、
よろしければどうぞこちらもご覧ください。





今回もお読みいただき、ありがとうございました。
今後、このテーマに関しては、
「毒親あるある」的な内容を取り上げる予定です。


引き続きよろしくお願いいたします。


※サムネイルのイラストについて

「毒親」ということでサムネイル画像は最初子どもが泣いているイラストを検討したのですが、
「自分たちは生まれにかかわらずどこまでも羽ばたいていける」という希望を表現したかったので、
いつもお世話になっているhoho様の素敵な絵を使わせていただきました。
いつも素敵なイラストをありがとうございます。


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