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外聞は内見に如かず

今回は、たまたま見つけたこの記事から、私の知るマスコミの30年と照らし合わせながら、検証してみようと思いました。なぜなら、この30年は私の歴史そのものでもあるからです。

昭和が終りを迎えた頃、私はマスコミ(放送メディア)業界に足を踏み入れました。80年代は団塊世代が元気で、よく働き、よく稼ぎ、子供世代(団塊ジュニア)にたくさんお金を使ったことで、自然に消費が喚起され、内需が拡大していった頃です。つまり、この頃の企業は、売れるから儲かる。儲かるから、投資や広告に使える。また儲かる。この循環によって、企業の黒字も増えていきました。まさに自動車や半導体、家電分野が海外で荒稼ぎしていた時代です。社員にボーナスが出せるからモチベーションも高い。働きが良くなって、生産性が向上し、サービスの質も良くなっていきました。

経済が好調ですから、広告業界も引く手数多。放っておいても、企業から「テレビ広告を出したい」という問い合わせが次から次にやってきました。制作費も潤沢にあったわけで、企画やタレントにお金をかけられました。80年代は人気者だったアイドルをCMに起用し、話題作りも狙いました。化粧品のCMなどが代表的な例ですね。90年代は80年代に流行りとなった洋楽を参考に、音楽と映像をコラボさせることによって、多くのCMソングとドラマ主題歌を生み出し、広告代理店の狙いは見事に的中する事になりました。

金さえ儲かれば良い。テレビが何を言うかはあまり問題ではなく、数字が取れるのならば、スポンサーも大喜び。そういう時代でした。その中に女性がほぼいなかったということも大きな要因だったでしょう。女性はあくまでも性の対象かアシスタントでしかない存在でした。日本は元々男女の格差が大きい国です。ある意味、男性と女性の役割分担がしっかりと決められていたことで、その分、ジェンダーについては気にされていなかった国ではあります。ある意味で男尊女卑が当たり前です。

1に数字、2にお金、とにかく数字が取れれば万々歳。お金は後から付いてくる。まあ、連動しているんですがね。昔のテレビとはそういう世界でした。しかし、インターネットが普及し始めると様相が変わってきます。それまでテレビか新聞が唯一の情報源だったのが、インターネットはテレビ以上の情報を仕入れられるようになっていたのです。SNSの力は強力でした。いろんな価値観も知ることができる。日本以外の国の情報も知ることができます。当然、ジェンダーや経済など、様々な格差についても知ることがてきました。よく耳にした「世界基準」の名の下に世界に歩調を合わせていかなければならない。まずは「格差是正」という流れになっていきました。

一方、日本のような歴史を持つ国が他国の基準に合わせていくことにズレが生じてはいなかったか、無理が生じてはいなかったか、改めて検証すべきだったのかもしれないとは思います。欧米(特にアメリカ)文化が根付いた今となっては取り返しがつかないので、この道を突き進むしかないのでしょう。アメリカの属国だと言われる所以は、別に属国になったわけではないのですけれど、日本国民がアメリカ発信のサービスを好んで使用したことで、自然にアメリカ企業がなければ日本は立ち行かなかくなっただけの話です。日本は高齢化と少子化の煽りを受け、物が売れなくなっていくと、多くの企業では宣伝費にお金を使わないため、メディアの売上が落ちると同時に費用対効果がネットを利用した方が良いと考える企業も増えました。極端には7〜8年前くらいからでしょう。

30年前のテレビがまともかどうかは見る者によって違うでしょうが、中にいた者にとって「まともではないし頭も悪かった」と感じます。テレビはバブルに乗って、日本経済の盛り上がりに乗って、とにかく浮かれまくりました。金はいくらでもある。会社の金で飲みにでも風俗にでも行ってこい。みたいな感じでした。バブルが崩壊しても、SNSが盛り上がりを見せる2011年頃までは、この業界の人たちはまだまだ頭の中はお花畑だったのです。

2011年、東日本大震災をきっかけにSNSが浸透し始め、オリンピックやサッカーワールドカップなど、実況ツイートが流行り始めたことで、情報発信を誰でもできるということが当たり前になっているということに放送メディアの人達は気付いていなかったと私は考えています。

この流れにおいて、世の中が確実に変革している。例えば、格差についてやお金に対しての考え方や価値観が「世界基準」に合わせて、どんどん変化してきたことによって、

日本だけでは何も決められなくなった

ということです。◯◯ハラスメントは日本の文化には本来ありません。日本文化においては差別ではなく、区別としてやってきた国です。世界(特にアメリカ)の文化が日本に入ってきて、その流れはどんどん進んでいきました。

例えば、テレビ業界において、忖度が当たり前になってくると、今まで気にしなくて良かった部分、傷つく人がいるかもしれないとか、差別になるんじゃないかとか、そんなことを先に考えなきゃいけなくなりました。でも、それは海外から入ってきた文化です。だから、80年代〜90年代くらいまでは、日本経済も好調であり、一億総中流といわれた世の中においては、大半が中間位置にいると考えているわけですから、ある意味、格差を感じない世の中であったことにより、忖度の必要がなかった。テレビも「誰かを傷つけるのではないか?」などと、考える必要がなかったのです。変な価値観が入らず、純粋に「面白い」「楽しい」「役にたつ」「勉強になる」など、ストレートに「やってみる」ということが許されたことで「まとも」と映っていた可能性はあります。ただ、中にいれば、決してまともではありませんでした。何をもって「まとも」かは難しいところですが、人を人をも思わない人たちで構成されていたマスコミ業界では、やっていることは良いのですが、心の中はクズです。表と裏で全く違う顔をみせる業界ですので、まともに見える時ほど悪い顔をしていますし、今の方が力が無くてまともかもしれません。

どちらにせよ電波需要は無くなっていきます

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