見出し画像

仕事が楽しくなる話(2)【人間の習性・仕様】

前回の投稿で考察した、パレートの法則や、働きアリの法則などから、見えてきたのが、一般的な解釈とは違った側面もありそうだ、というお話を書かせていただきました。

その記事の最後の方に

「我々の中には、プラスだと感じる要素を、無意識的に優先したり、重要視したくなる要因がある。。。」

という箇所がありましたが、今日の投稿は、この部分に関連した内容を考察していこうと思います。


画像1

回想してみる


突然ですが、あなたはペットを飼った経験はありますか?

若しくは、野菜や草木などの植物を、育てた経験はありますか?

私の記憶では、小学校の授業で植物を育てる実習があったと思うので、多くの方が ”YES” ということで話を進めます。

では、こうした生き物たちのお世話を、初めて行った時のことを、ちょっと思い起こしてみてください。

若しくは、今まで飼った事のない動物や、植物を育てた時のことでも構いません。

会話によって意思疎通することのできない犬や猫などの動物や、あなたの身振り手振りの指示を、認知できない植物に対して、さぁあなたは、どう関わろうとしましたか?

今の時代、きっと大多数の方が、インターネットで、その生き物の生態や、飼育方法や、栽培方法の情報を探すのではないでしょうか。

ましてや、日本の風土と全く異なる、熱帯の生き物や、極寒の地の生き物だったら、必ずチェックしますよね。

つまり私たちは、生き物ごとに異なる習性があることを理解していて、この習性通りの生活環境が、その生き物が存在するための大前提であるという事を理解しているということですよね。

そして私は、この習性の存在は、幼い児童でも理解できる決して難しくない内容だというのが、キーワードだと思っていて、いろんな人と接するたびに、こんな疑問が湧いてきます。


画像2

考察する


果たして我々大人は、人間の習性を、どれだけ把握しているのか?

という疑問です。

因みに私は、この人の習性の事を、人のスペックという表現でよく使うので、これ以降は、人の習性=人のスペックとして、ご理解ください。

いわゆる、車のスペックとか、PCのスペックと同じような、意味合いで使っているので、人間の仕様書といった感じの解釈でOKです。

因みに、仕様書といっても、医学的、生物学的、心理学的、スピリチュアル的な専門的な知見からではなく、凡人である私一個人が、人生で得てきた知見から出来上がっている仕様書だと、ご理解ください。

この、私が言う人のスペックとは、大きく、食べる、寝るのような肉体を維持するための直接肉体に関係する内容と、安心感、満足感のような、人の活動を後押しするような、精神的な内容の2つに分けることができると考えています。

この考え方を肯定するような、有名なフレーズに、「健全な精神は、健全な肉体に宿る」というものがあります。

これを構図にしてみると、まず肉体があって、その中に精神があるという事になり、不健全な肉体には、健全な精神が宿らないとも解釈できますが、これはちょっと理解し難いと個人的には思っていて、基本は同レベルであることが望ましいような気がしています。

強いて言えば、”食べて寝る”のような感知しやすい要素より、目に見えない精神的な要素の方が、能動的に意識を向けないと感知できないので、その分余計にエネルギーを必要とする要素という捉え方をすれば、精神的な要素にウエイトを置いても、情報に翻弄されている現代人にとっては、ちょうど良いバランスになるような気もします。

つまり、【精神】<【肉体】と認識するより、
本来は、【精神】=【肉体】であることが理想的。
ただ、目に見えない精神を感知するという手間や労力から、
現代人には、【精神】>【肉体】と認識した方が、
ちょうど良いバランスなのでは

というのが私のイメージです。


そして、この【精神的な要素】に深く関係していると思うのが、冒頭の、

「我々の中には、プラスだと感じる要素を、無意識的に優先したり、重要視したくなる要因がある。。。」

という部分になります。

私は、個人差はあれど、これは万人に当てはまる要因だと思っていて

例えば、親子関係でいえば、親は子の将来を思い、今は我慢で、将来ハッピーの主張をしがち、でも子は将来のハッピーには、さほど関心は無く、今をハッピーにしたいと感じ、なかなか反りが合わない事は、皆さんが子供だった頃、親になっている方なら親の立場を振り返ってみると、経験があるのではないでしょうか?

つまり、私たちは、年齢を問わず、私たちがプラス要因だと感じている事に、忠実に反応をしている。という解釈ができると思います。

この誰しも、そのように反応するというのは、正に私たちのスペック(仕様)が、そのようにプログラムされているからのような気がするのは、私だけでしょうかね。


それにしても「忠実にスペック通りに反応しているなぁ」という視点を持つか、「あいつは全く分かっておらん」とジャッジの視点を持つかで、その後の展開は、大きく変わりそうですよね。

きっと気分的にも、見えている世界も、肉体的な緊張も、すごい大きな差がありそうです。


画像3

本日のまとめ


生き物には、漏れなく、その生き物に則した習性があり、その習性に合致することなく、この世の中に存在し続ける事はできず、これは人間も同様で、習性という枠を超えて、存在することは出来きそうもありません。

つまり、全ての生き物が、その習性という枠を背負った仕様(スペック)で存在しているということになります。

これは、私たちが、人類の英知を超越した聖人や、逆に英知を捨てきった下等な生き物に変身を遂げない限り、この人のスペックから、解放されることはない、絶対的なルールであることが分かります。

あまりにも当たり前過ぎて、サラッと読み過ごしてしまいそうなので、もう一度、別の角度から言います。

世の中には、様々な決まり事があります。

国にはまず憲法、社会には法律、会社には様々な商法や税法、コンプラ等、社員には社内規定や社会常識、学校には校則のように、様々な場面に、決まり事が存在しています。

そして、これらの決まり事に反すると、その反した程度に応じた罰則が与えられ、その罰則をこなすことで、違反したことが、建前上チャラになるという仕組みで、人間社会は成り立っていると、私は解釈しています。

では、人のスペックという絶対的なルールに反したら、どうなるのでしょう?

いくらかの猶予期間や、他の許容によって、そのタイミングはいろいろですがは、基本的な向かう方向は、存在の終了であると私は思います。

つまり、この世の中に、人のスペックに反しながら存在し続けている者は、誰一人いないという、ある意味完璧で、厳格に守る必要がある、法律のような人工物の決まり事とは比べ物にならない精度の、決まり事なんだという性質が確認できます。

であれば、私は、人がこのスペック通りの立ち振る舞いをしている事は、まさに人間らしく存在している状態ともいえるような気がして、しょうがないのですが、皆さんはどのように思いますか?

眠くなったら、あくびが出る
お腹が減ったら、何か食べたくなる
存在するために、危険は回避したい
なるべく、安心、安定でいたい
良いものを、選択したい

こういった上記の項目は、誰にでも起きている、正に人のスペックどおりの現象だと私は解釈しています。

人のスペック通り➡人間らしい立ち振る舞い、という感じです。

ですから、これらの項目に起因した事で気分を害すことは、まず無いのですが、もし、人のスペックというくくりではなく、局所的に項目を捉えていたら、気分を害するケースも多いのではないかと思います。


真面目な会議の場で、あなたがプレゼンをしていたら、誰かがあくびをしました。

もし、あなたがこの状況を、局所的に捉えると、

「なんて無礼な奴なんだ」
「あいつは誰の部下だ」

と、なりますが、あなたが人のスペックとして捉えられたら、

「彼には退屈なプレゼンのようだなぁ」
「ちょっと声の音量上げてみようかな」

のように、あくびをした事を、サラッと受け入れる事ができるので、気分を害すことは無く、スムーズに対策に移行できそうですよね。

この捉え方の違いは、大きいと思いませんか?

なので、もしあなたにとって何か腑に落ちていない事があったら、一度それが人のスペックに則した事かどうかのチェックをしてみてください。

で、もしスペック通りだなと確認ができたら、まずは受け入れてみてください。慣れない内は、きっとあなたの中で、ザワザワとした感情が台頭してくるはずですが、そんな時も、この自分の中のザワザワがスペック通りか、確認してみてください。

手順は至ってシンプルです。

スペック通りなら、受け入れる

これだけです。


何れにしても、この人のスペックという考え方は、私の考察の根底にある考え方で、今後も頻繁に出てくるはずですから、もし私の考察に興味を感じた方は、【人のスペック】というキーワードを覚えておいてください。

では、今回はこんな感じで〆たいと思います。


画像4



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?