【発想の転換】適応障害の人は"まとも"という考え方
休職中につき、日々noteに綴っています。
今回は、適応障害という症状は、環境(会社とか世の中)の側に問題があるなら、"まともな人"が陥るってことではないのか?という、逆転の発想からの考察です。
なんだか「あべこべ」じゃないか?
あべこべ……
久しぶりにこんな昭和の香りがするレトロ言葉を使いましたよ。
手塚治虫の漫画で使われていたのを見たことはありますが。
いきなり話がそれてしまってすみませぬ。
まずは、本来の目的と実態が何となく逆転してるんじゃないのか?という例を2つほど挙げてみます。
例 その1) 精神科にかかっていない人は少しおかしい?
欧米の国では、心理カウンセラーや精神科医に通って、日常的にカウンセリングを受けることは、ごく普通のことになっているそうです。
外国映画を見ていても、時々そういうシーンが登場するのを見かけます。
ジョークとして、「カウンセリングに通っていないなんて、ちょっと問題がある人なんじゃないか?」みたいに語られるとか。
例 その2) 病院に来られない人は具合が悪い?
似たような話で、超高齢者社会の日本では、特に後期高齢者のほとんどが医療負担が1割ということもあり、病院の待合室が、お年寄りたちの井戸端会議のコミュニティとして機能している、という話を聞きます。
病院の待合室にて
老人A:「○○さん、今日は来てないねぇ」
老人B:「具合でも悪いのかしら」
みたいな笑い話を聞いたことはないでしょうか。
これも現代日本の社会保障の課題という文脈で、よく語られるブラックジョークです。
ブラック企業から脱出する人、しない人
パワハラや違法労働がまかり通る、「ブラック企業」と呼ばれる職場は、まだ現存しているのでしょうね。
まともな人なら、ヤバいと思ったらさっさと抜け出すでしょうし、逃げ遅れた人は、壊れてしまってから、やむなく退出することになるのでしょう。
日本映画『ちょっと今から仕事やめてくる』では、ひどいブラック企業とパワハラ上司が登場しますが、映画だから誇張されているとは限らない、現実はもっとひどいところもあるのかも・・と思わせる怖さがあります。
明らかに理不尽な環境で、まともな人なら「辞めるか、病むか」だとすれば、そのような環境下でも、「順応してやっていけている人」は、はたして正常で健全な精神の持ち主と言えるのでしょうか?
いや、そういう人が悪いとか、異常な人だとか言っているわけじゃなく、ストレス耐性が強いからすごい、とかいうのでもなく、これってかなりヤバい状況ではないですかね。
そこが、今回の問いかけです。
病んでるのに「病んでない人」の存在
ブラック企業や、自分に合わない職場で働き続ける人と同様、心が病むような状況で、それに気付いていない人の存在は多いはず。
・パートナーのDVに耐えている人(男女問わず)
・苦痛なのに仕方なく学校に通っている子供
・老親の介護で疲れ切っている人
・ストーカーの被害にあっているような人、またはストーカー本人
・SNSで誹謗中傷を受けた人、または誹謗中傷している側の人
キリがありませんが、不条理とストレスにまみれた「おかしな社会」の中でも、日々フツーに暮らしている人たちは、自分がおかしい人という自覚はないわけで。
心が病んでいたとしても、そのうちのどれだけの人が、実際に精神科や心療内科を受診しているでしょうか。
受診していない人の方が圧倒的に多いでしょうね。
そういう人たちは、メンタルに問題があるとは診断されていないので、現状では「病んでいない人」に含まれます。
メンタルに問題が発生するというのは、多くの場合は置かれた環境とのミスマッチだと思います。
どんな人でも、合わない環境に身を置けば多大なストレスがかかるし、合った居場所にいれば安心して快適に暮らせるでしょうし。
「自分が弱いからダメだったのだ」ではなくて、単に環境が合わなかっただけと考えた方が自然です。
心を強くしようとするよりも、合う環境を見つけるほうが建設的。
まとめ
うまくまとめられませんでした。すみません。
別に、メンタルを壊した人のほうがまともで、順応して元気に暮らしている人のほうがおかしい、という主張ではありません。
病んでいることに気付かずに、日々苦しく暮らす人と、それに気付いて心療内科などにSOSを求める人では、ある意味では後者のほうが希望の光があるような気がしました。
あくまでも逆転的な発想の思考実験です。
そこのところはお間違えなく。
もし、気を悪くされた方がいらっしゃったら、申し訳ありません。
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