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ショートショート【写真】

 目が覚めた時にはもう昼時だった。最近はいつもこれくらいの時間に起きる。昨夜も遅くまで作業をしていたことが原因なのは分かっているが、どうしても生活リズムを戻すことができない。
 香奈はまだ重たい瞼をこすりながらベッドのすぐ隣にあるデスクを眺める。デスクの上には昨夜作業をしていたPCが置いてあり、その隣の棚にはカメラといくつものレンズが並んでいる。カメラの手入れをしながら殺風景な部屋を見渡す。
 白と黒を基調とした部屋には物がほとんどなく生活感がないようにも思える。広い壁に飾られた数枚の大きな写真だけが異様に存在感を放っていた。少し離れたところで左下を見つめている男性はプロのモデルだろうか。離れた場所から撮られていても鍛えられた筋肉がきれいに映っている。
 香奈は閉じたままのカーテンの隙間からちらりと外をのぞき込んだ。
「今日もいる……」
 ここ数日のあいだ香奈の住むアパートの前にずっと車が停まっている。運転席に座っている男は深く帽子を被っているが、帽子の下からこちらの様子をうかがっていることは気配でわかる。当初はあまり気にしていなかったが、数日前に出先から戻ってきたときにはそこにいなかった車が、部屋について窓から確認をしたときには、やはりいつもの位置に停まっていることに気が付いて疑いが確信に変わった。
「ストーカー」
 思わず声がこぼれた。香奈は車の運転席に座っている男に見覚えがあるか記憶をたどったが、知り合いの中に男の顔は見当たらなかった。よく見ると助手席には小型のカメラのようなものが置いてある。恐怖で身がすくむ。警察に相談をするべきか。しかしそうなると引越しをしなければならなくなるだろう。最近越してきたばかりのこのアパートを香奈は気に入っていた。また引越しをするのはどうにも腰が重い。どうにかしてこのストーカーを退治する方法はないのだろうか。
 そんなことを考えながら身支度を始める。ストーカー男のせいで部屋のカーテンは閉め切ったままだが、ずっと家に籠っているわけにもいかない。

 さっと化粧を終わらせ、上着を羽織って家を出る。車の男に警戒しながら裏口からアパートを離れ、いつもの道を進む。駅前に着くとカフェに入った。全国にチェーン展開している何の変哲もないカフェだが、香奈は毎日のようにPCとカメラを持ってこの店に入る。
 いつものようにアイスコーヒーを頼むと席に座る。窓際の一番端、外がよく見えるこの席が香奈の定位置だ。カフェが駅前にあることもあり、外は絶えず人の往来がある。それでも東京のはずれにある決して大きくはないこの駅前はそこまで混雑していない。香奈は向かいのビルに入っているガラス張りのトレーニングジムを何とはなしに眺めていた。

 幸いにもこの店のことはあの男にはバレていないようだ。数時間をカフェで過ごし、閉店の時間に店を出る。そこからの道のりも毎日変わらない。すでに真っ暗になったいつもの道をいつものように進んでいく。
 ふと香奈が立ち止まる。突然のことのように思われるがこれも日課だ。バッグからカメラを取り出す。ここ数日は満足のいく写真が撮れていない。今日こそは、と少し緊張しながら真剣な表情で斜め上へ向けたカメラをのぞき込む。
「きた!」
 絶好のシャッターチャンスだ。
 写真がぶれないように鼓動を沈めて素早くシャッターを押す。
 カシャ。

 完璧だ。いままでで一番の写真が撮れた。満足げにカメラのスクリーンを確認していると突然誰かに腕をつかまれた。
 驚いて顔を上げるとそこには例の車の男がいた。逃げなければ、そう思っても恐怖で体が動かない。とにかく手を振りほどかないと。分かってはいるが声を出すことすらままならない。
「あ、あの……」
 やっとの思いで声を出した香奈に向かって、男は胸ポケットから何かを取り出しながら言った。
「警察です。このマンションに住む男性からストーカーの被害届が出ていますので、少しお話を伺えますか」
 香奈の持つカメラには、仕事を終えシャワーを浴びようとする男性が映っていた。

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