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旅エッセイ【街の反射】

 ガネーシャがいる。私より少しばかり多い腕を見せびらかしながらこちらを見下ろしてくる。しばらくの間だけそこから降りてこないかい?ひどく暇なんだ。話し相手になってくれればいい友達になれるかもしれないと思うのだが。けれども彼は動こうとしない。じっとこちらを見下ろすだけ。
 諦めて歩きを進める。話さぬ相手と一緒にいるほど暇じゃない。
 阿修羅がいる。今度は私より少し顔が多い。ふたつの顔でこちらを見下ろす。もう一つの顔は上手くこちらを向けないようだ。話しかけるのをやめる。こちら側の2人だけと話しては除け者にされたあちら側が不憫であるし、だからといってくるくると回る相手とお喋りをする趣味もない。
 またね、と小さく言いながら進む。今度は鏡を持って来よう。
 金がちりばめられた門がある。白い柱にキレイに装飾された金、きん。常夏のうだるような青い空からの光を反射する。目を細める。青が、霞む。

 街には色がある。この街は、白と緑。サンサンと降り注ぐ陽の光が街の白で乱反射して、真夏がいっそう濃くなる。ときたま現れる緑の戸に心を休める。また、白。また、緑。そうして歩くうちに突如荘厳な金が天井から落ちてくる。忙しなく、騒がしい。
 金というものは何故そんなにも価値があるのかとよく考える。
「希少だからだよ」
「キレイだからでしょう」
釈然としない。少なく、キレイだからと理由であれば、あれを騒がしいと思う私は何になるのか。これ以上増えたりなんかしたらたまったものではない。
 先日友人と話をしていた際のこと。
「この前、金を買ったんだよ。200万円分。お金は持っていたって価値が下がるかもしれない。でも、金の価値は下がらないからねえ。君も貯金なんかするより金を買った方がいいよ」
 価値のために物を所有するなど、想像するだけで気が滅入る。価値の下がらないことにどれだけの意味があるものか。さらに彼は買った金はしばらくのあいだ金庫に保管するというではないか。これ以上つまらない金庫の使い方を私は知らない。

 少し俯きながら門をくぐる。左右の木陰の下で地面に座り目を瞑っている係員たち。少し先の屋台のおねえさんは椅子に座ったままでチラリともこちらを見ない。「はぁい?」と声をかけてみるが、反応は無い。ぼーっとすることに夢中になっているようである。
 ああ、そうか。ひとりで納得する。そういえば今日会った彼らは金を身につけてはいないようだった。ガネーシャも阿修羅も、騒がしい街の中で静かに過ごすことに忙しかったのかもしれない。


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