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モンゴルが変えた「世界史」の見方

ども。

悪戦苦闘しながらも黒死館殺人事件を必死に読み進める吉史です。

マンガ版も最初だけ読んだが、情報量の多さがぶっ飛んでやがる。

というわけで今回は、最近読み終えた本の話だ。


今回読了したのは「世界史の誕生~モンゴルの発展と歴史~」という本だ。

世界史に関する本と言えば、「世界システム講義」や「文明の生態史観」っといった本をこれまで読んできた。

読む前は、たぶんこれら2つのように、地政学的な捉え方による文明発達の流れを解説するものであり、「一国史観」を脱却した歴史的観点だと思ってた。

と思ったが、

違った。


「世界史の誕生」という名前ではあるが基本的には、中央アジアにおける遊牧民の歴史をまとめた本と言える。

もちろん、本題に入る前には、西洋の「歴史」と東洋の「歴史」に関する違いにも触れている。

その部分も面白いのだが、中央アジアに関心を持つ自分としては、それ以降の話がとてもよかった。

高校の世界史にも登場する突厥や女真はもちろんのこと、聞いたことない民族まで、「どのような流れで生まれ、どこで生活をし、どのような歴史を持つのか、また周辺諸国の関係性はあるのか」といった形に細かく説明。

中央アジアの歴史の入門書としてもふさわしい本ではないだろうか。

そういった様々な民族を触れたうえで、ついに登場するのが、本の主役であるモンゴルだ。

 

1200年代から周辺諸国を滅ぼしまくったモンゴル帝国。

今なお人類史に残る最大の帝国として名を馳せている。

正直に言って、戦闘技術は恐ろしいものであり、戦争に関する考え方も野蛮ともいえるような考え方を持っている。

チンギス・ハーンの孫による戦いでも、この考え方は伝承されている模様。

モンゴル軍は2月13日にバグダードに流れ込み、それから1週間にわたって虐殺、強姦、略奪、破壊を繰り広げた。(wikiより引用)

モンゴル軍が日本へ侵攻した元寇でも、対馬で捕まえた人質を船の壁に打ち付けるという鬼畜なことしている。

でも、「んなこと知らねえわ」とも思ったのか、人質気にせず矢を打ちまくった当時の武士たちも鬼畜だが・・

しかし、この全世界へ広がるモンゴルの侵攻により、初めて

東洋と西洋が繋がる世界史が生まれた。


元々、東洋と西洋は歴史学はあれど、考え方が異なっていた。

・東洋

皇帝及び中国=世界の中心という考え方の歴史観

・西洋

アジアとヨーロッパが対決する歴史とキリスト教が混ざった歴史観

シルクロードによる交流はあったのではないかと思うかもしれないが、本でも指摘がある通り、そういった交流は非常に小さなものである。

そのため、積極的に歴史の考え方まで伝わっているわけではない。

しかし、モンゴルはそういった二つの世界を飲み込み、帝国としてまとめ上げてしまった。

ここで初めて、2つの歴史観が1つになり、「世界史」が生まれたのだ。

ただし、これにより、東洋の歴史は弊害を受けることになる。


東洋は世界史を、昔から使われていた東洋的歴史観を無理やり西洋史に当てはめてしまったのだ。

本書では以下の例が挙げられている。

・「ローマ皇帝」と捉えられるアウグストゥスは、「元老院を代表する議員」のことであり、別に皇帝になったわけではない。

→中国の皇帝中心の考えに沿って、無理やり皇帝に。

「ローマ皇帝」というひとつの職位があるのではなく、多くの重要な職位を一人が集中して兼任した状態のことをいう。(wiki引用)

また、皇帝中心の歴史観というものは、どの国がその時代において覇権を握っているのかをここぞとばかりに気を付けるものである。

本書のまえがきにも書かれている通り、そういった東洋的な歴史観が日本人の歴史観に大きく影響を与えている。

中国文化に養われて成長してきた日本人にとって、歴史とは、どの政権が「天命」を受け、「正統」であるかを問題にするものだった。(『世界史の誕生』まえがきより引用)

もちろん、こういった考えから抜け出すのはすぐにはできないが、高校のような一国史観ではなく、世界全体を見渡す見方が大切である。


例えば、大航海時代を例に挙げよう。

15世紀ごろ起きた海への進出だが、この背景にはモンゴル軍の侵攻が関係する。

内陸部からの脅威に押されたヨーロッパは、その脅威やモンゴル軍が関与しない土地を探すために、これまで向いてこなかった海を向くことになった。

大航海時代そのものに関しては、一国史観でも対応できるが、なぜ起きたのかまでは、その観点では理解することができない。

また、覇権国に関しても、世界システム論が述べるように。

どの時代も覇権国である中核・中核を囲む先進国・一番外を囲む発展途上国という流れが生まれている世界システム論(ちょっと内容は異なりますが)も、一国史観の限界から生まれた考え方である。

特に、現代を語る上では一国史観ではすでに語れない。

例を1つあげるなら以下の通り。

・なぜIS国が生まれたのか?

⇒これは中東の歴史だけでは語れず、アメリカの思惑や中東の政治状況が複雑に絡む

これからの政治や経済を語る上でも、世界史という大きな観点から諸国の動きを捉えなければ、理解することは難しくなっていくだろう。


「テストのため」「受験のため」

そういったことにより、歴史をただの記憶するだけの授業と思う方もいるかもしれない。

しかし、歴史好きな僕としては、そういった観点から是非一度離れてみて欲しいと思う。

縦の流れで読み解く一国史観ではなく、横の流れで読む史観で歴史を見ることで、本当の歴史を面白さやロマンに気づけるはずだ。




・・・思うままに書いていると、やっぱり全体的に引き締まらない文になりますね・・・




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