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(更新)持続可能なお寺のカタチを目指して

思いつきで書いた文章だったので、少し再考し、加筆修正しました。

このnoteは何か?

今、実家の葦屋根の鐘楼を葺き替えるためのクラファンを実施しています。
これをキッカケとして、私の長男として生まれながら、お寺を継がず社会で働いている40年ばかりの私の人生と持続可能なお寺の未来のカタチについて考えてみたいと思います。

小さな頃

約40年前、滋賀県彦根市、荒神山の中腹にある延寿寺の長男として生まれました。小さな山寺で、特に観光名所などではなく、人が来ることはほとんどありません。両親は共働き(小さいお寺ですので、生活のためにということもあったと思いますが)で、祖父母に育てられました。
また、祖父は俳画を教えたり、檀家の方が集まり定期的に御詠歌を歌ったり、一緒に食事をしたりと人が集まっていた環境で育ち、
大きくなってから、「小さい頃、おしめ(オムツ)変えたんよ~」と良く言われたように、祖父母とともに多くの人に育ててもらう経験をしました。

お寺は誰が継ぐものか?

お寺は本来、世襲制のものではありません。
しかし、僧侶が妻帯することが多くなった明治以降、私の実家も曽祖父、祖父、父、と3代と続いてきました。それ以前はお弟子さんがいて、お弟子さんが継いできた・・・
お寺預かりものであり、お寺はお坊さんの所有物ではなく、「継がないということは、出ていかないといけないんだよ。」と育てられました。

学生時代の葛藤

預かりものということ、出ていかないといけないという言葉、そして、檀家さんからの見えざる期待も大きく、プレッシャーがあり、反発したこともありました。
苦悩するのは中学生、高校生くらいからでしょうか・・・将来を夢描き、あんな仕事をしてみたいと思うのかもしれませんが、私はお寺を継ぐという制約を考えると、地域、仕事など選択肢がなく、苦しく、葛藤していたのではないかと思います。
そして、祖父母、両親はお寺の関係の大学に進むように言いましたが、その道に進まず、経営学部に進むことになります。(社会に出て振り返り、感謝していますが、反発していた、苦しい時期だっと思います。両親がどう思っていたかはわかりませんが)

↑ 私の人生は全く参考にならないので、お寺を継ぐか迷っている方は松本さんのnoteをぜひ。

大学では

経営学部って・・・
と思われた方もいるかもしれませんが、その頃、ベンチャー、起業ブームでした。中学生ぐらいからテレビ東京のワールドビジネスサテライトを見て、社会経済、起業などに興味を持っていました。
また、大学では松下電器(現パナソニック)出身の先生から、松下幸之助さんの考えを教えて頂き、経営も、宗教も信念、志を持って、誰かの役にたつこと。
言葉にすると陳腐ですが、今でいうパーパス経営、ミッション、ビジョン、バリュ―の大切さを学んだように思います。
社会で、仕事を頑張ることと、お寺での修行や奉仕は決して全く違うものではないということを学びました。

就職活動では

就職活動のとき、また、「お寺を継ぐかどうか?」について考えることになります。
「自分は何をしたいのか?」「地元に残るのか?」「出ていくのか?」
いわゆる自己分析をするときに、生まれた環境、育った環境は切り離せません・・・
しかし、お寺に生まれたことの葛藤、制約への苦しさがあり、もやもやしつつも、何かしらの理由をつけて、外に出ようとしていたように思います。
そして、その時の自分なりの理由付けは
「お寺という(小さい)世界ではなく、広い世界が見たい」「お寺が苦しみから救ってくれる場所なのだとしたら、社会の苦しみをしらないといけない」「人が人生の中で多くの時間を過ごす、働くことに関わる仕事をしたい」「社会こそ絶好の修行の場所」と考えるようになります。

※なお、就活の際はお寺に生まれたことはあまり話さず就活してたので、あの時、お寺に生まれた事はPRになったのかもなぁと思いますが、そんなうまくいかない人生だったからこそ、今の人生、出会いがあったんだと思っています。

社会に出てみて

「人が人生の中で多くの時間を過ごす、働くことに関わる仕事をしたい」と考え、人材業界で就活をし、工場に人材派遣、業務請負を行う会社に入社します。そこでは、営業や派遣スタッフの採用や管理から寮の掃除や派遣スタッフの保育の為に児童養護施設を探したり。。。と色々な仕事や急にスタッフがいなくなったり、逮捕されたり、派遣スタッフに殴られたりと日本社会の縮図のような職場でした。
そこから、社会保険労務士事務所、アパレル、インターネットサービス、ホームセンターなど人事の仕事を通じて、人が働くことと企業を支える仕事をしています。
まだまだ何の役にも立ててないですが、少しは世の中を知ることができ、そして働く人の支えになれているかもしれません。

私の今

そんな感じで(人生、ざっくりすぎて、どんな感じかわからないかもしれませんが)、今はお寺を継いでいるわけでもなく、実家から遠いところで妻一人、子一人と暮らしています。
子供が生まれて改めて感じることは、夫婦二人の子育ての大変さ(何かあった際には奥さんの実家に頼っています)を感じ、自身が育ったように、色々な人に育ててもらう環境で子育てをしたいと考えています。

お寺の今

時代の流れ、そして私の人生にも沿うように、お寺も高齢化、核家族化、過疎化により苦しい状況になっています。これは多くの地方のお寺に共通する課題だと思います。
その中で現住職の父はお寺を開かれた場所にするように紅葉や桜のライトアップをしたり、コンサートをしたりと誰でもこれる場所にと考えているようです。
思い出しましたが、祖父母はお寺は鍵をかけることはなく、トビラはいつも開いていて、いつでも来れる場所。と言っていたように思います。

お寺にどう関わるか?(お寺のミライ)

お寺は開かれた場所、誰でも来れる場所、いつもこそにある。
預かりものであることから、あり続ける場所であることが必要です。
あり続けるためにどう形を変えていくのか?と考えると、関係人口を増やしていく必要があると思います。
地元の方、檀家さんだけでなく、来て頂ける方、そこにお寺があることを想ってくださる方、いつか行ってみようかなぁと思ってくださる方、SNS等で写真をアップされる方、見て頂ける方などなど。
できれば、定期的に。。。関わってくださる方を増やしていきたいと思います。

今回のクラウドファンディングはそうした色々な方とのご縁を頂く機会だと思っています。

私のミライ

私のミライはまだまだわかりませんが、地域での子育て、地域の方が集まれる場所、開かれている場所を私も違う形で創っていきたいと考えています。

定期的に集まれる会、場所をつくり、お茶を出す。

昔、実家には「喫茶去」という言葉が飾っていました。
これは、まぁお茶でも飲んでいきなさい。という意味だと教えられた記憶があります。本当の意味はもっと深いものかもしれませんが、堅苦しい場所ではなく、気軽に、定期的に、誰でもお茶をのむことをきっかけにして来れる場所。
私の場合は、人事の経験やカウンセリングの経験から、気軽にお話ができる場所を創りたいと思っています。

弟は小さいながらもコーヒーの焙煎をしており(今回のクラファンの返礼品にもあります)豆を買うということでつながるご縁もぜひ。

お金の価値も変わっていく

少し話しは変わりますが、お金を出すことをの意味が変わっていく時代です。少し前、delyの堀江さんの寄付にかんするtweetがありました。そこへのメルカリ進太郎さんはじめ起業家の返答をみるとお金や時間の使い方についての考え方がわかるので興味深く見ていました。

それらをみて感じたことは、お金を使うということは、何か欲しいものを買うのではなく、自らがどんな社会、どんな未来を創っていきたいか?に対するお金と時間の投資だと感じました。

こうした考え方は起業家や成功者、お金持ちだけのものなのか?
否、そうではないと思います。

モノがあふれた社会において、会社選びも、お金の使い方も、自らが良いなぁと思う社会を創っていける会社か、商品か?と考えて選ぶ人が増えていくように思います。

最後に

よければ、クラファンへのご支援をお願いします。
オンライン相談コースもぜひ。オンラインなのでお茶はお出しできませんが、お話しましょ。

オンライン相談コースは以下をポチッと
https://camp-fire.jp/projects/671120/backers/guests/new?id=1038070

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