良い先生と言われたい症候群

教員になるという変態的な考えの方々は、おそらく人生の中で素敵な先生方に出会い、「私もいつかこんな風に」という夢と希望を抱いたことが多いのではないかと推測される。

かくいう私もそうであると言える。

しかし、教員になってからはあまりそう思わないようにしている。

13年間にも及ぶ企業人時代にとある先輩から言われたことが頭から離れないからだ。

「営業」という職種で長い企業人時代を過ごした私にとって、「買っていただく」ための活動がすべてであった。

良く言われるのは「君から買いたい」と言わるようになったら一人前。
という言葉だ。

私もそう考えながら営業をしていた。
しかしとある先輩は違った。

値段が安いから買ってくれたのは三流。
君から買うよはまだ二流。
担当が変わってもユーザでいていただける仕組みを作れたら一流。

と言われたのである。
これには思わず「確かに」と納得したものだ。

「担当」はいつか変わる。
でも、「企業」は残る。
だから「その先」まで考える必要があるのだということ。
「その先」まで見据えた仕組みができて初めて「企業への貢献」になるのだと。

教員も似てる気がするのだ。

普通に授業できるだけなら三流。
あの先生だから楽しかったは二流。
担当した教科をずっと好きでいてくれたら一流。

普通に担任ができるだけなら三流。
あの先生だからクラスが楽しかったは二流。
どんな環境でも素敵な仲間を作る人を育成できていたら一流。

という感じだろうか。

つまり、自分がいる環境を離れた時に「自分の存在すら忘れてしまう」ぐらいの存在が本当は良いのだろう。
一方で、「忘れられたくない」という思いで必死に授業や日々の関わり合いを続けていくのもこれもまた教員なのだろうとも思う。

そんなジレンマと戦う毎日はかなり楽しいものだ。

と思えたらいいなあ。。。。

私は教員になってからずっと思えているから幸せなのだと思う。



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