見出し画像

キレやすい大人は、幼少期に感情を表現できなかったせい?

田房英子さんの「キレる私をやめたい」を読んで


夫は、未診断ですが発達障害グレーゾーンで、NPDかつモラハラ夫です。
私も、同じく未診断の発達障害グレーゾーンで、HSP気質がありカサンドラ状態に一時期陥りました。
キレる夫に怒り、大喧嘩となる日々にすっかり疲れ果て、子どもへの影響も考え、なぜ夫はキレるのか、キレる夫にイライラする気持ちをどうすればいいのかなど、いろいろ思考錯誤してきました。

そんな中で出会った本が、田房英子さんの「キレる私をやめたい」です。
そこでは田房さんご自身が、夫にキレてしまう自分を改善しようと模索していく中で、ゲシュタルト療法に出会い、過去の自分の感情と向き合い、キレる気持ちが沸かなくなっていくという内容でした。
同時にマインドフルネスも行い、未来でも過去でもなく、「今」「ここ」に集中することで、気持ちを落ち着かせていきます。

本の中で田房さんが描いた、「井戸の底でうずくまる傷だらけの自分」の絵がとても印象的でした。
「傷だらけの自分」は、過去からの暴言に長年傷付けられてきた自分です。傷を負い過ぎてしまったために、少しの刺激でも敏感に反応をしてしまい、キレてしまうという説明でした。

キレるの法則性は、「幼少期の嫌だったできごと」にある

そこで夫がキレる場合や、私がイライラして怒る際に、それぞれ法則性がないかについて考えました。
すると、やはり幼少期に実家で受けた嫌だった記憶と重なる状態で、怒りやすくなることに気が付きました。

私がイライラしてしまうのは、「早くして」を言われた時です。
幼少期、末っ子だった私は、出かける前に支度が終わっていないことを、姉と父に、毎回「10、9、8、7、6、、、」と急かされてきました。カウントダウンをされると途端にテンパり、早くしなきゃと頭が真っ白になりパニックになっていました。
結婚後、夫と出かける際や食事の支度中においても、夫に「早くしろ」と言われてしまうと一瞬でテンパり、食事の支度などは手順が多いため、「じゃ手伝ってよ!」とついイライラして爆発してしまっていました。
過去のトラウマとなる事象が分かり、当時の自分の気持ちをじっくりと味わうことを何度も繰り返し行いました。
自分が蓋をしてきた「やめて」「いやだ」という心の叫びに、「いやだったね」「やめて欲しかったね」と、自分で共感していくことで、いつしか時間制限があっても少し焦らずに対応できるようになっていきました。

夫がイライラするタイミングは、暑かったり、雨が降っていたり、予定が急に変更になってしまったり時間に遅れたりと、法則性はあるものの、過去のとの関連についてはよく分かりませんでした。
そこで夫に、過去ものすごく嫌だった記憶について、少しづつ聞いていくことにしました。
出てきた内容は、
「隣の家が常に親子喧嘩をしていて、ものすごくうるさかった」
「父が酒を飲んで帰ってきては怒るので、うるさくて臭くていやだった」
等、当時の環境によるものでした。
夫がキレやすくなるタイミングは、出かける前に起きることが多かったのですが、考えてみると、出かける支度の際の私と子どもとのやり取りが、普段よりも、声のトーンが高く大きめになってしまっていました。
夫にとっては、「隣人の親子喧嘩の状況」を思い起こさせるシチュエーションだったのではないかと、過去の経験と、今のキレやすくなる状態を結びつけることができました。

そこで夫に、「隣の家が常に親子喧嘩をしていた」時の幼少期の夫の気持ちを聞き、当時の自分に共感するということを試してみました。
「うるさかった」「嫌だった」等、単純な言葉で表現できる感情ですが、夫はその時の自分の感情を、誰にも伝えなかったし口に出しても言わなかったそうです。
また末っ子であったために、家族の誰かが、代わりに夫の気持ちを先に言ってしまうことも、たびたびあったようでした。夫には、幼少期から長い間放置されていた感情があることが分かりました。

日本人は、我慢が美徳とされる時代があったせいか、自分の負の感情を表現したり説明することが、少ないのかもしれません。
また、「文句を言うな」とか「静かにしなさい」「気のせいだ」等と、感情を言葉にすると怒られてしまったり、あやふやにされてしまうことも、私たちの世代では多かったように思います。
さらに上の親の世代では「我慢しなさい」「わがままはいけない」「仕方がない」等、さらに抑圧的な言葉で、感情を押さえ込まれてきたのではないでしょうか。
また上の兄弟姉妹がいる場合、「嫌なんだね」とか「怖いんだね」等と、自分が言葉を発する前に、先に言われてしまうパターンもあるかと思います。すると、感情を自分で表現するということできなくなってしまいます。
表現してこなかった自分の感情は蓄積されていき、いざ大人になり同じような状況が訪れてしまうと、これまで表現できなかった「嫌だ」や「やめて」等の気持ちが溢れてしまうのではと考えました。

そこで夫の「過去に嫌だった記憶」を少しづつ振り返り、当時の感情に寄り添うということを、何回かに分けて数ヶ月間、継続して行いました。
また、夫が「過去に嫌だった記憶」に近いシチュエーションをなるべく再現しないよう、子どもにも協力してもらい、気をつけた生活をしてみました。
すると、「暑い」とか「うるさい」等の小さなことでキレていた夫は、次第にキレる機会が減っていきました。

「過去の嫌な記憶」を思い起こさせることは、感情をゆさぶることになるため、場合によっては精神的に大きな負担となってしまうこともあるでしょう。もし、取り乱してしまいそうなほどの過去の傷がある場合は、カウンセラーさんに入ってもらう等、第三者となる専門家の助言を得ながら行うことをおすすめします。
※暴力や、経済的な圧力がある場合は、まずは行政に相談し、身の安全を確保することが最も重要だと思います。

幼少期に、素直に表現できなかった抑圧された感情を、大人になってからの似た状況で、「まるで子どもが駄々をこねるかのように」表現してしまうことが、キレる根本要因なのではないでしょうか。

キレる相手は、自分との境界線が曖昧な人に限定される

幼少期に抑圧してきた感情は、誰の前でも溢れ出てくるわけではありません。社会生活を送る中で、幼少期の嫌な記憶と似た状況にあっても、特に大きな反応は示さず、やり過ごすことはこれまでも可能なはずでした。
ですが、家庭内やデート、仕事上の上司と部下など、限定された人間関係の中でのみ、パートナーや子ども、部下など、特定の人にのみキレるという事態が起きてしまっています。
なぜそうした事態が起きてしまうのでしょうか。

自己と他者との間には、境界線というものが存在しています。原因は分かりませんが、その境界線が曖昧になってしまっている人が、世の中に一定数存在しています。自己と他者との境界線が曖昧な場合、関係性の近い相手のことを、自己の延長線上にいる近しい存在だと認識し、キレてしまうということが起きるようです。

具体的な言葉にするならば
「どうしてあなたは、私の一部のはずなのに、
 私の気持ちを理解できていないのか?
 今までも、もう爆発寸前まで来ているほど
 ものすごく嫌だったのに、
 その気持ちにどうして気付かないのか?
 いい加減気付いてくれよ
 嫌だと言っているだろ!」
というものでしょう。

例えば、結婚等で新しくできた家族(=パートナーや子ども)と、自分との境界線が曖昧になってしまう場合、家族に対してキレるという行動を取ってしまうようです。
その、嫌だったという気持ちに気付かなくてはいけないのは、一番は、自分自身に他なりません。
その気持ちに気付くことができず、蓋をしてきてしまったため、境界線が曖昧で自分の延長にあると勘違いしている相手に対し、感情を爆発させてしまうという結果につながってしまいます。

自分の感情を口にしない方は割と多いのではないかと思います。
積み重なって鬱積した感情は、いつか気付いて欲しいと、その時を待っています。
ふとしたきっかけで、鬱積した感情が爆発してしまわないように、なるべく本心というか、心の底に抱いた感情を自分で認識し、咀嚼し寄り添って消化させていくことが、キレない大人になるために大切なのではないかと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?