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2024.3 往復JALファーストクラスで行くNY・WDW旅行の記録(その6;NY観光3日目(ブルックリン橋・9.11記念館・エンパイアステートビル etc.)編)

前回の記事はこちら

その1はこちら

今後予定しているコンテンツ


執筆遅延のお詫び

早いもので(この部分を書いている時点で)帰国から3週間以上が経過した。執筆対象日から数えれば既に1ヶ月以上が経っており、細かな記憶は薄れつつあるため、早く筆を進めたいところなのだが、実は3月の帰国直後に転職(そもそもこの旅行は転職の合間を使っている)、そして4月中旬には引越を予定しており、明らかに時間が足りないのである。何とかしなければ……
続きを楽しみにしてくれている人がいるのかいないのかわからないが、遅れてすみません……書く意思はあるということを示すため、とりあえずこの時点で公開しておく。

Google Mapのタイムラインが消えた……

この記事を書いている途中で、Google Mapのタイムライン機能が、何らかの不具合により消失した……
タイムライン機能(旧称:ロケーション履歴)とは、GPSを基に、いつどこに行ったか、その移動経路、滞在時間等を自動的に記録してくれる機能である。筆者は旅行中は常にこれをONにしており、旅の記録としている。勿論、このアメリカ旅行の記録も取っており、記事の執筆の材料にもしている。分単位で滞在時間等がわかるのも、この機能のおかげである。
その機能が、5月下旬に、突然消えてしまった。Googleアカウントに紐づけたクラウド管理から、各端末での管理になるというGoogle側の仕様変更があったのだが、その際にバグがあったのか、過去10年近い国内外の旅行の記録が全て消えてしまった。ショックが筆舌に尽くし難い。Twitter等を見ていても、同様の被害に遭っている人を多数観測している。どうにかならないものか……

2024/3/3(日)

ブルックリンへ

この日は滞在実質初日の3/1に続き、丸一日をNYで過ごす日にしていた。以前に書いた観光パスで7箇所券を購入して5箇所分を残していたので、最低でも3つは使おうと思っていたが、予定は何となくしか決めていなかった。
1つ決めていたことと言えば、パスの1箇所として9.11メモリアルミュージアムには絶対に行きたいと思っていたことである。こういう系の展示を観るのには非常に時間がかかる(既に2日前のエリス島でもそうだった)人間なので、開館時刻である9時を狙って行こうと計画。2日前の夕方に通りがかった際に、日曜の午前は1週間で最も空いているとの情報も得ていた。ただ、その前にもう1箇所くらいどこかへ足を伸ばしたいと思って選んだのが、ブルックリンであった。
ブルックリンはニューヨーク市に5つある区の1つで、マンハッタン島からはイースト川を挟んだ東側にある。今回は、イースト川下流に架かるブルックリン橋を歩いて渡るのを主目的に、DUMBO(Down Under the Manhattan Bridge Overpass)と呼ばれる地区へ地下鉄で行き、そこから歩いてマンハッタンへ戻ることとした。

朝6:30過ぎにはホテルを出発し、地下鉄の6系統で南下。2日前に使った4系統と同じLexington Av.→Park Av.を走るラインカラーが緑の路線だが、4系統は乗換駅を通過してしまうため、各停の6系統に乗った。前日の雨も上がり、非常に良い天気だった。早朝の出発となった理由は、DUMBOはインスタグラマーにも有名(?)らしく人が多そうだと思ったこと、営業時間という概念が無いので日の出の後ならば9.11メモリアル開館前の時間を有意義に使えそうだったこと、そしてブルックリンからマンハッタンを向いたときに見える高層ビル群は午前中が順光となることである。

逝っとけダイヤ(?)に遭遇

話は変わるが、日本の京浜急行電鉄(京急)という会社に関するスラングで「逝っとけダイヤ」というのがある。字面とは裏腹に好意的に捉えた言葉であり、人身事故等でダイヤが乱れた際に見られる、列車の行先・種別・停車駅等々が走行途中で突然変更される一連の現象を指す。「とりあえず行けるところまで行っとけ」が語源らしい。
列車ダイヤというのは車両・乗務員のやりくりが緻密に計算されて作られている。また、車両や乗務員のやりくりの他にも、例えば通常のダイヤとは違う駅で列車を折り返そうとしても、上下線を行き来できる線路の有無や数にも制限がある。本来上り列車が来るホームから下り方向へ出発させると、旅客への案内や、待っている旅客が移動する時間も必要になる。それらを総合的に勘案して、その場で臨機応変に変更して可能な限りダイヤを元に戻そうとするこの対応は、まさに神業・職人芸なのである。多分AIにはまだできない。
とまあ京急の話はこれくらいで置いておくとして、乗っていたNY地下鉄が、突然途中駅止まりになったのである。ホテル最寄りのGrand Central-42nd Street駅から6系統で南下し、Bleecker Street駅で下車して徒歩連絡の直結乗換駅であるBroadway–Lafayette Street駅からオレンジのF系統に乗っていた。すると、発車して程なくして「次の駅で終点になる」という肉声放送が入った。そして次の2nd Avenue駅で降ろされてしまった。しかも、東に向かっていたのに西へ出発する折り返しホームに直接入線したため、後続の列車は2面4線のもう一つのホームへ渡った先から出るという。お客さまを動かさず電車を動かす京急を見習ってほしい。
自分の英語力が不足していたのかもしれないが、Broadway–Lafayette Street駅では正しい列車だと確かめて乗ったはず(この時に限らずだが、流石に海外だと列車の系統・行先を逐一確認してから乗っている)だし、NYの地下鉄は常時逝っとけダイヤが発動しているらしいという話も見るので、そういうことなのだろうと思う。
悪いことに、次の列車はすぐ後続の団子状態だったらしく、階段へと歩いているうちに反対のホームに到着し、乗り換えようとする我々を待つことも当然無く、何事も無かったかのように発車していった。次の列車が来たのは20分後のことだった。イレギュラーなら仕方ないが、せめて同一ホームの向かい側に停めるという発想は無いのだろうか。無いんだろうなたぶん。
結局、降車駅のYork Street駅まで、Grand Centralから20分少々で着く予定だったところ、45分以上を要することになってしまった。

途中が省略されつつも、現在地と途中と終点の停車駅がわかる
日本には案外こういう要点がパッとわかる案内は無い…?
(これはひと騒動が終わった後の写真)
中小駅のホームの雰囲気は大体こんな感じ

マンハッタン橋とブルックリン橋の付近を散策

York Street駅から徒歩10分もかからずに、DUMBO地区の有名なスポットに到着した。マンハッタン橋を背景にその橋脚の間にエンパイアステートビルが顔を出し、両側にビルが並ぶ、という構図である。正直に言うと(確かに橋脚は良いが)これが何故そこまでインスタグラマーを惹きつけるほど「バエる」のかおじさんにはわからないが、朝の7時半だというのに、多くの若い女性やカップルがいた。韓国人や中国人も多かった。カタカナの書かれたシャツを着た西洋人のカップルがいたので思わず声をかけてシャッターを押してあげたのだが、彼らはロンドン出身でNYは初めてだという。そして彼女のほうが今度東京に住むとのことで、お勧めのエリアを訊かれた。学生時代に住んでとても居心地の良かった文京区本郷を激推ししておいた。普通イギリス人がNY旅行で文京区に住むのがお勧めという情報を得ることは無いだろう。こういう出会いも旅の醍醐味である。
そのスポットから100m足らず北上した川沿いへ来ると、視界が開けてまた全然違った景色が広がる。マンハッタン橋の他、ブルックリン橋も左に見えて、イースト川の対岸にはマンハッタンの高層ビル群が一望できる。川沿いが公園になっており、テラス席を備えたカフェもあり、ランナーも多数走っていた。観光客もいるにはいたが、インスタスポットよりは圧倒的に少なかった。ものの2,3分歩けばこの「如何にもニューヨーク」な景色が見えるのに、彼女らは知らないのか興味が無いのか…人の行動も様々だなぁと思った。
右に見えるマンハッタン橋はB,D,N,Qの4つの系統の地下鉄も走っている(但し乗ってきたF系統はトンネル経由なので通ってはいない)複々線を備えた鉄道道路併用橋であるため、時折走行音が聞こえる。マンハッタンは島なので、西はハドソン川を隔ててニュージャージー州、東はこのイースト川を隔ててブルックリン区であり、多数の橋・トンネルがこれらの川(正確には海峡?)を渡っている。その中でもイースト川の最下流に架かるのがブルックリン橋、マンハッタン橋であり、その一つ上流のウィリアムズバーグ橋と併せて"BMW"と覚えるらしい。
そんなことを調べつつ、ブルックリン橋の真下までの200mほどを30分以上かけてゆっくりと写真を撮り・景色を眺めながら歩き、8:10過ぎにブルックリン橋の真下に到着。橋を歩いて渡るべく、橋の入口に向かった。

York Street駅を地上に出てすぐのところ
マンハッタン橋のブルックリン側の端部
Front Street(この通り)→Washington Street(次の交差点で右)と抜けていく
インスタやってない自分でも見たことのある構図
世界各国のインスタグラマーがいた
もう少し奥へ進むと橋がよく見える
橋のすぐ下付近、川沿いまで行ける
マンハッタン橋のすぐ下から、ブルックリン橋とマンハッタンのビル群を望む
川沿いの道を南下
朝早いからか店はやっていないが、ランニングしている人は結構いた
前の写真から後ろを振り返ったところ
ブルックリン橋の真下まで行くことができる
桁を下から
桁の下も通り抜け可能
川の上流を望む

ブルックリン橋を渡る

ブルックリン橋は、1869年から1883年にかけて建設された、イースト川に架かる橋の中では最も古いものであり、橋長1833.7m、幅25.9m、塔高82.9m、最大支間長486.3m、桁下高38.7m(数値は英語版Wikipediaによる)である。2本の主塔を境に陸側が斜張橋、中央側が吊橋という構造で、1903年に上述のウィリアムズバーグ橋が開通するまでの間、世界最長の吊橋であった。因みに、世界最長の吊橋と言えば、近年では1998年の開通から、2022年にトルコのダーダネルス海峡にチャナッカレ1915橋が開通するまでの24年間、神戸市垂水区と淡路島を結ぶ明石海峡大橋がその座に君臨していた。Wikipediaにあった世界の有名な長大橋の比較図がわかり易かった。
さて、このブルックリン橋は歩いて渡ることができ、Washington Street と Prospect Streetの交差点付近にある階段から橋の上へと上がった。川岸から徒歩10分ほど、橋上に出たのが8:19である。なお、先に言っておくと、細部を色々と眺めた結果、1.8kmの橋を渡るのに40分かかっている。
橋上に出ると、歩道よりも低い層に片側3車線の車道があり、歩道はその中央分離帯の上(正確に言うと、上下線で桁は別々なので、上下線の中間の真上)に位置する。かつてはこの歩道に自転車も通っていたらしいが、2021年にブルックリン→マンハッタン方向の車道3車線のうち左側の1車線(右側通行なので追越車線)が削られ、双方向の自転車道になったらしい。車道との間はコンクリート製のフロリダ型防護柵で分離され、更にその上に金網の柵が設けられていた。混みそうなマンハッタンの方面の車線数のほうが少ないのが気になったが、1つ上流のマンハッタン橋は上層が東行2+西行2の4車線、下層はブルックリン→マンハッタンの一方通行で3車線(+地下鉄複々線+自転車道+歩道 というアメリカンサイズ)の、合計2+5の変則7車線らしいので、そこでバランスが取れているのだろうか。
歩道上にはところどころにごみ箱や休むためのベンチが設けられており、日曜だということもあってか、朝の8時過ぎという早い時間にもかかわらず、ジョギングをする地元の人や世界各地からの観光客で、橋上はかなり賑わっていた。この中を自転車が通っていたのかと思うと、かなり危ない状況だったと思われる。ブルックリンからマンハッタンへ向けて歩いているが、すれ違う逆向きの人の方が多く(特に観光客)、西に向いて歩くため午前中は狙い通り順光で、良い選択だった。
車道の標識の取付金具等を観察しながらゆっくり進み、手前側の主塔に着いたのが8:28だった。主塔の真下付近は少し広くなっており、完全に観光地の様相である。警備中の警官がディズニーキャストのごとく写真を頼まれて撮っていたが、それで良いのだろうかw
柵のところに橋の建設方法がイラスト付きで示されていた他、見える景色の案内も描かれており、金属製のレリーフになっているため100年以上残っているようで、自由の女神は台座の建設中、頭部が地面に置かれている絵で描かれている。ブルックリン橋の開通は1883年で、自由の女神は1884年にパリで仮組完成、1886年にNYで除幕であるので、この案内表示は開通よりも後から付け加えられたようだ。
8:35頃に主塔を離れ、486m離れた反対の主塔に着いたのが8:45なので、ここはそれなりにスムーズに進んだことになる。こちらの主塔にもレリーフの絵があったが絵柄や内容は同じだったので軽く流した。一方で、マンハッタンへ向かう車が多くちょうど渋滞末尾付近だったので交通流の挙動を見る、OFFランプが至近にあり案内標識の配置を見る等しており、結局それなりの時間を使ってしまった。そのため、地上に降りてマンハッタンの地を再び踏んだのは8:59であった。

歩道から橋上へ上がる
階段を上がってすぐ、ブルックリンからマンハッタンを向いた写真
振り返ったところ
ブルックリン→マンハッタンは2車線で、コンクリート製防護柵で仕切られて自転車レーンがある
ごみ箱やベンチも設置されている
標識
標識の裏
こうして見ると過剰とも思える構造(実際かなり安全率を見ているらしい)
標識の効果があるのか無いのか
マンハッタン→ブルックリンは3車線
フレンドリーすぎる警官
自転車レーン
見える景色の解説が古いのもまた味がある
建設中の自由の女神の解説
写真上部の中央のケーブルのすぐ左側、オレンジ色の船のすぐ上に写っているのが本物
橋の造り方の解説も
基礎
ここには全部の写真を載せている訳ではないが、ケーブルを渡す様子
ケーブル緊張
主塔を越えて視界を遮るケーブルが無くなり、マンハッタンが近づいてきた
2車線しか無いのはしんどそうではあった
マンハッタンへ到着

チャイナタウンとリトルイタリー

ブルックリン橋を渡り終えると、すぐ近くにNY市庁舎がある。ディズニーオタクなら知っている(?)あの三色旗がはためいていた。(東京ディズニーシーのタワーオブテラーがあるのはニューヨークエリアであり、タワーオブテラーの左側にあるトイレの建物(設定上はNY市水道局)に、この旗が掲げられている)
さて、お目当ての9.11メモリアルは9:00開館で既にその時刻を迎えており、ここから西へ徒歩10分もかからない場所にある。ただ、朝の地下鉄の逝っとけダイヤのせいで予定よりはやや遅れており、本来はここで朝ご飯を食べるつもりだった。エリス島でもかなりの時間を要し、日本でも博物館の類では非常に時間がかかるタイプなので9.11メモリアルが長丁場になることは目に見えており、先に腹ごしらえが必要である。そう思って、反対の北東側ではあるが、10分強歩いて、中華街とリトルイタリーが隣接する地区へ来た。イタリアンか中華料理なら間違いは無いだろう、と。ところが、である。リトルイタリーを歩き回っても、全ての店が開いていないどころか、人の気配すら殆ど無い。そう、イタリア人が日曜の朝9時半に起きている訳がないのである(ド偏見)。

何かGoogle Mapの埋め込みが上手くいかなくて車の経路が出てしまうが、実際は徒歩である。経路も違う。

そんな訳でリトルイタリーは断念し、中華街を歩き回る。こちらは人も多く賑わっており、道端でチンゲン菜等の日本でも見慣れた野菜が積まれ、段ボールの切れ端に油性マジックで手書きされた値札が箱に刺さって、東アジア人のおばちゃんが駄弁っている、という何とも落ち着く空気である。しかし、朝からやっている飲食店が意外と少ない。ようやく見つけた店も長蛇の列。Google Mapで調べても情報が現地で合わない……どうしたものかと悩んでいたとき、日本語が耳に入ってきた。どうやら現地に住んでいる子連れのお母さんが、観光に来た友人を案内しているような様子だった。思わず助けを求めると、やはり片方は現地在住の方で、すぐ近くの朝からやっている手頃な飲食店を教えてもらうことができた。ありがたい。
……と思ったのだが、なんと、ここはクレジットカード大国アメリカで唯一出会った、現金のみの店であった。入国審査でHow much money do you have?という"伝統的質問"(その4の記事のエリス島の項を参照)に、Less than 20 dollarsと答えた人間には厳しい。中華料理は安かったのもあり、確かに1食分くらいは払えなくはない。ただ、この後まだ10日間あるアメリカ滞在の全期間の分の現金であることを考えると、(別に引き出せば良いのだが)ここで使うことはできなかった。

入るのを断念した現金のみのお店

そうこうしているうちに時刻は10時に迫ってきたため、結局朝食を断念して9.11メモリアルに向かうことになった。お腹を満たすつもりが、1時間ほどがっつり街歩きになって余計にお腹が空いただけだった。中華街からは30分弱、NY州の裁判所等、司法施設が多数集まるFoley Squareを抜けて、10:15過ぎに、世界貿易センタービル跡地、グラウンド・ゼロに到着した。

例によってGoogle Mapの表示がおかしいが、実際は徒歩でほぼ最短経路を抜けている。

NY市庁舎
中華街のマクドナルド
中華街
溢れ出る東アジア感
謎の安心感がある
こちらは1店舗も開いていないリトルイタリー
休日の朝にイタリア人が起きている訳が無いというド偏見
ニューヨーク郡裁判所
Thurgood Marshall United States Courthouse
アメリカの司法制度に詳しくないが、こちらは国(連邦)の裁判所?
9.11メモリアル外観

9.11メモリアル

さて、National September 11 Memorial & Museum(国立9.11記念館・博物館)に到着した。屋外は2棟のビルがあった四角形に水が湛えられており(いわゆるグラウンド・ゼロとして知られている部分)、そのすぐ横に記念館の建物がある。その中間付近にチケット売り場の列が形成できるようになっていたが、2日前に通りがかったときに得た情報のとおり、日曜の午前は1週間で最も空いているとのことで、殆ど並ばなかった。有人の窓口でGo Cityのスマホ画面のQRコードを提示して、入場チケットと引き換えた。これで7箇所中3箇所目である。なお、普通に買うと33USDで、今回はその4の記事で書いた通り7箇所パスを206USDで買っている。また、通常のチケットを購入すると日時の指定が必要なようだったが、Go Cityは特段予約は要らなかった。(そのあたり、適当そうではあるが)
お決まりの空港並みの保安検査を通り過ぎると、地下へと続く階段がある。まず段々と下へ降りていき、2棟の地下の基礎部分(地上から見えるプールの更に下)へ続く展示室構成となっている。このため、地上から見ると非常にこじんまりとした建物だが、実際の展示面積は広大である。なお、日本語の記事で例えばこういうのを見つけたので、興味のある方はこちらも是非。
最初の部屋は真っ暗で、その中に2001年9月11日午前8時30分の写真がある。自分がつい数時間前に見た、ブルックリン側からの、ブルックリン橋の背後に広がる、真っ青な快晴の空とLower Manhattanのビル群である。違うのは、双子のように並ぶ世界貿易センターのツインタワーがそびえ立っていること。この時、最初の1機は既に乗っ取られて針路を南へとっており、北棟へ突入するのは16分後のことだ。この写真を見て、広島の平和記念資料館の展示の最初が被爆前の日常の暮らしの写真であることを思い出す人は自分だけではないだろうなと思った。
その次に、淡々とテロの概要が説明された文章、各国のニュース映像、各国語で語られるテロの報に接した人の回想、現地の写真が並ぶ。少し先に進むと視界が開け、実際のビルの構造物が見える。アンカが打ち込まれた土留壁に囲まれた大きな吹き抜け空間の周りを少しずつスロープで降りていく。そこに、行方不明者を捜す手製のポスターの画像や、旅客機が突っ込んで捻じ曲げられたビルの壁の鉄骨の実物などが並んでいる。
最深部へ降りると、ちょうど北棟と南棟の基礎の鉄骨を切断した地面が見えるようになっており、それらの鉄骨跡に囲まれるように(つまりちょうど棟があった2つの正方形の場所に)2つのメインの展示室があった。それらの展示室の周囲には更にいくつかの展示があった。
現地で活動して瓦礫に押し潰されてボロボロになった消防車、北棟の屋上に設置されていたアンテナの一部等の実物が展示されている他、日替わり?の映像上映コーナーもあった。この日放映されていたのは、マンハッタンからの脱出を支援した船乗りたちのドキュメンタリーだった。テロ直後、マンハッタンは大混乱に陥ったが、マンハッタンは島であり、脱出経路は限られる。そんな中、観光船や漁船等々、多くの船乗りたちが船を出し、9時間で50万人が船で脱出したとのことだった。(こうして逃げたうちの1人である、当時JPモルガンに勤めていた日本人の方のブログを見つけた。)
「そんなものまであるのか」と驚いた展示は、ビルそのものの設計・建設の歴史や工法・技術の解説(完成時は世界一高い建物であり、建築史的にも特筆すべきビルであろう。ちなみに設計者は日系人のミノル・ヤマサキである。)や、アルカイダ側の組織構成、ビンラディンの生い立ち・経歴、彼らがどういう考えに基づいてテロに及んだかの解説などである。確かに、もう23年ほど前の出来事である。筆者は小学校4年生だったので詳しいことはわからなかったが、とにかく大変なことが起きたのだということは理解できたことを覚えている。しかし、これが3歳年下であればわからないだろうし、いま世の中で普通に「大人」として生活している人の中でも、このテロのことが歴史上の出来事でしかない人たちも既にたくさんいる。自分にとって、また、既に社会の殆どの人にとって、第二次世界大戦がそうであるように。そう考えると、こういった解説展示から存在するのも、至極当然なのかもしれない。
海外ではよくあることだが、この記念館も原則では写真撮影可能だった。但し、南北棟のあった場所にある2つのメイン展示室は撮影禁止だった。
まず入ったのは南棟部分で、こちらでは犠牲者の方お一人お一人のエピソード等に関する展示があった。公式サイトには内部の写真があるので、紹介しておく。中へ入ると壁一面に犠牲者の顔写真が並ぶ。そして、遺品等が展示されている。置いてある端末では、名前や出身地から犠牲者を検索することができ、その人のプロフィール等が見られる。更に、家族や友人が語るその人に関するエピソード等も見られるようになっており、誰かが選択したものが順に大画面に投影されて放映される仕組みだった。もちろん各ご遺族の許可を得てのものなのだろうが、日本ではここまでのものはあまり無いと思うので、珍しいなと感じた。なお、犠牲者には日本人も24人含まれており(日系企業もかなりの数が入居しており、突入階よりも上層にオフィスがあった企業も幾つかあったようだ)、彼らのエピソードも勿論あった。もちろん犠牲者の国籍に依らず辛いものは辛いのだが、やはり何らかの自分との共通点を持つ人に関する、こういうエピソードの類が一番感情に訴えかけてくるので、見ていて辛い。
次に入ったのは北棟部分で、結論から言えばこちらが最も「想像していた」展示であった。撮影禁止で写真は無いので、中の様子は公式サイトを参照。入口にも、センシティブな展示である旨、子供には注意が必要である旨等の注意書きが出ている。(ただ、流血やご遺体・人体損壊等の写真・映像は無かったと思うので、広島・長崎の原爆関係の展示のほうが厳しいが……)所要時間は45分とあったが、ここに入ってから出るまでに3時間(12時から15時)かかった。それでもなお、後半の展示は駆け足になってしまった。
中では、まず、9月11日の朝からの流れが、1機目から順に時系列で展示されており、航空機と管制官の通信の音声、当日のブッシュ大統領や軍の動き、現地の警察・消防の活動等を中心に、写真・映像・音声・実物で、淡々と事実の証言・解説が並ぶ。全体的な作りとしてはやはり原爆資料館を思い起こさせるが、なにせ時代が新しいため、写真も映像も音声も鮮やかで生々しい。ハイジャックされた機内から家族や恋人にかけた電話の録音を聞くときの感情といったらそれはもう……ビルが崩壊した土煙が迫ってきて、逃げ惑う人々が皆飲み込まれていく映像は、3.11の津波の映像を思い起こさせる。生々しさの理由には、まだ生きている人たちの時代の話・自分に近い世代人たちの話だから、というのも含まれているのかもしれない。例えば、戦国時代の戦に関する展示で、もし仮に同じように鮮明な映像等が残っていたとしても、同じ生々しさは感じない気がする。

その後、9.11以前のこと(初めて知ったのだが、世界貿易センタービルがテロの標的になったのはこの時が初めてではなく、1993年に地下駐車場で爆弾テロが起きている)や、9.11以後のこと(復興作業等)に関する展示が続いていたが、これらを見る時間が殆ど無かった。
結局、9.11メモリアルには10:30前から15:00過ぎまで5時間近く滞在していた。これでも時間は足りなかった。

直前の日常の景色
先ほどブルックリンから見た景色ほぼそのまま
この時、最初の1機は既に乗っ取られて針路を南へとっており、北棟へ突入するのは16分後のこと
現地に建っていたビルの案内看板
現在の地図と当時の地図が比較できる
地下部分
左の壁が土留め
家族・友人を探すポスター
「生存者の階段」
階段の実物
突入で曲がった鉄骨の破片
前の写真の鉄骨はこの四角部分にあったもの
基礎杭が切断されて、かつて北棟・南棟があった部分がメインの展示室(撮影禁止)になっている
ビルの建設方法の解説
建設の記録
屋上にあったアンテナ(解説板の写真の白丸部分)
押し潰された消防車
手書きのメッセージが心に来る
メイン展示室の入口
出口

動画も色々あるが、例えばこれはわかり易い

NYのバスに初乗車して移動

さて、9.11メモリアルを出て、次の目的地へ向かう。なお、朝食に続いて、昼食も食べ損ねた。しかし立ち止まっている時間は無い。地下鉄のCortlandt Street駅へ歩き(複数路線が複合して地下街に広がっている駅で、やや迷いかけた)、R系統で北上して49th Street駅へ20分ほど、そこから更にバスのM50系統に乗り換えて、West 49th Street/7th Avenueバス停から12th Avenue/West 46th Streetバス停まで10分ほど。地下鉄から2時間以内にバスに乗り継ぐと追加料金は不要である。クレジットのタッチ決済で乗れるため、同じカードを使えば自動的に適用される。嬉しい。NYでバスに乗るのは初めてで治安等が心配ではあったものの、昼間だったこともあってか、特に怖い思いはしなかった。因みに、バス内に大学生くらいの、観光客と思われる日本人男性2人が乗っていた。あまり観光地が多いとは言えない路線なのでびっくりした。
次の目的地であるIntrepid Sea, Air & Space Museum(イントレピッド海上航空宇宙博物館)は、バス停を降りると目の前にあった。ここの最終入場が3月は16:00で、17:00閉館(4-9月の土日祝だけは1時間遅いようだ)だったので、移動時間も考えると9.11メモリアルを15:00過ぎには出ざるを得なかった訳である。到着したのは15:55で、バスは(他の経路もありそうではあるがM50系統は)30分に1本なので、本当にギリギリのギリギリである。1時間で見切れる訳がないのは百も承知の上だった。

Google Mapの縮尺も経路もおかしいが、実際は上述のとおり地下鉄のR系統で北上してからW49/7で乗り換えて、バスのM50系統である。

バス停はこんな感じ
特に迷わず乗れる
右側通行なのでバスは左から来る
当たり前と言えば当たり前だが、意識しないと面食らう

イントレピッド海上航空宇宙博物館

ここは、太平洋戦争やベトナム戦争でも使われた本物の空母であるIntrepid号を改装した博物館である。特段訪米前から知っていた訳ではないが、Go Cityパスの対象施設一覧を眺めていて、アメリカっぽい(日本ではまず行けない)類の施設だと思って興味を惹かれたものである。軍事関係に詳しい訳ではないが、船や飛行機は好きなので、その意味でも楽しめると思った。
入口にある小さな建物で保安検査を受けた後にチケット購入の受付があるが、最終入館ギリギリのため誰も並んでおらず、係員も「あと1時間で閉まるけど大丈夫?」と。百も承知なのでカウンターでGo Cityのパス画面を提示し、さっそく入館。7箇所中の4箇所目。施設自体は桟橋に係留された本物の空母なので、受付を終えるとすぐに建物を出る形になっており、桟橋の左にはメインの空母、右には潜水艦が係留されている。潜水艦もかなり興味があったが、家族連れ等がそれなりに並んでおり、これに並ぶと間違いなくそれだけで見学が終わるため、諦めて空母の艦内へ向かった。(後述するが、この判断は大正解だった。)
タラップまでの桟橋側に設置された階段を上がって、いざ乗艦。空母の内部の中ほどの層にある格納庫へ。開けた空間になっており、何機か実機が並ぶ。奥の方にはシミュレータがあり、正直に言うとかなりやってみたかったが、子供たちがワイワイしている中に外国人のオッサンが独りで並ぶのは流石に無理だった。時間が無いため細かく展示を見る余裕は無かったが、太平洋戦争に関する展示は目を惹いた。太平洋戦争に使われた空母だとは調べてから来たが、まさに特攻隊と戦っていた艦だったのだ。ここを訪れたのは3/3の夕方(日本時間では既に3/4の昼)だが、実は日本出発前の2/24に(全くの偶然だが)鹿児島県の知覧にある特攻平和会館を訪れていたのだ。僅か10日足らずで双方の視点から特攻について見聞きすることになったのは、なかなか得難い経験となった。
その後、上層への狭い階段を上がっていき、狭い艦内に、管制室、通信室、作戦室、隊員の待機室が並ぶのを見学。空母ということで、その巨大な船自体を操るための設備と、そこへ発着する航空機を操るための設備の双方が必要で、しかも物理的な空間の大部分は航空機の収容のために必要なため、巨大な外観に比して非常に狭かった。格納庫階から甲板までの間には、航空機を操るための設備が位置していた。
甲板に出ると、ここにも多数の戦闘機や輸送機が並んでいた。ちょうど少し北に豪華クルーズ船?らしきものが停まっていて、少しずつ動き出していた。(たぶん船に疎い人は動いていることにも気づかないくらいだったが。)どうやらカリブ海への航海に向かうCarnival Venezia号だったようだ。
甲板の一角には一つ建物が建っており、入ってみると中にはスペースシャトルの実物が展示されていた。スペースシャトルは2011年に運用を終了している。全部で6機あるうちの2機は事故で失われているため、現存するのは4機であり、ここにあるのはその初号機であるエンタープライズ号である。但し、この機体は滑空実験機であり、実際に宇宙へは行っていないそうだ。ただ、デモ飛行として旅客機(ジャンボの愛称で知られるB747)の背中に乗ってマンハッタンを飛んだことがあるようで、その写真が飾られていた。そう言えば、宇宙から帰ってきたスペースシャトルが着陸地点から宇宙センターへ戻るのに、同じようにB747の背に乗って飛ぶのをニュースで見たことがある。
甲板に出て、次はそこから更に上、即ち艦橋部へと上がっていく。ここは船自体を操る設備や、艦長らの部屋が並んでいた。最上部の操舵室へ行くと、なんと実際に1961-1964年にIntrepidに乗り組んでいた退役軍人のおじいちゃん、Gene Austinさんが居た。同じ話をやや多めに聞かせてくれるが(笑)、実際に現場にいた方の話というのは興味深いものがあった。日本人だということ、10日前に知覧を訪れたことを話した。こちらからは、個人的にはアメリカのことは憎んでもいないし、何ならディズニーというアメリカのコンテンツが大好きでこうしてアメリカまで旅行に来た。けれど、たった数十年前に戦争をしていた国同士という事実を前にして、複雑で不思議な感情であることを伝えた。向こうも、あれはあくまで戦時の話だから、今は憎みあっても仕方無いし、君がこうしてアメリカを訪れているように、友好国として付き合っていければ良い、というようなことを話していた。それはそうだし同意する。大切なのは、事実を知ることだと思う。ただ、例えばウクライナとロシアが、イスラエルとパレスチナが、いまの日米のような関係になれる日は果たして来るのだろうかと、やりきれない思いも感じた。
ちょうどこの操舵室にいたタイミングの16:38頃に、先ほどのCarnival Venezia号が出航の汽笛を鳴らして岸壁を離れており、傍目にも動いていることがわかるようになっていた。甲板上で見た時から15分ほど経ってようやくそこまで速度を出せるとは、流石は巨大船である。
再び甲板に降りる途中の経路上でいた係員の方と雑談していると、「スペースシャトルは見た?」と訊かれた。見たと答えると、次は「潜水艦は?」と。「5時までだし並んでたから諦めた」と答える。このとき既に16:45である。すると、「こっちのIntrepid本体は17:00に追い出し始めるけど、潜水艦は17:00まで並べるよ」と。そういう重要なことはわかり易く案内してほしい。しかし幸運な結果となったのでお礼を言い、まだ見ていない部分の部屋(乗組員の居住空間が主)をザっと流して、16:55に滑り込みで潜水艦の列へ。案内の通り、まだラインカットはされていなかった。閉館直前だったがそこそこ並んでおり、15分ほど待って17:05に内部へ。
潜水艦はGrowler号という名前で、1958-64年に運用されていたらしい。Intrepidに比べると短い。公式サイトによれば、核弾頭ミサイルを搭載していたアメリカの潜水艦としては、唯一一般に公開されているものだという。潜水艦の中へ入れるのは日本だと呉にあるてつのくじら館くらい(その向かいにある大和ミュージアムは行ったことがあるが、時間の関係でてつのくじら館は行かなかったはず)で、潜水艦自体、初乗艦である。呉のものほどの大きさは無いが、端から端まで歩くとかなり長く感じた。とは言え、これは通路が非常に狭い一本道だからそう感じただけだろう。当然ながら狭く、決して広いとは感じない。
ミサイル格納庫部分から乗艦して下層へ降り、前から順に航行設備、作戦設備、居住設備、機関設備を抜けていく。各区画は狭い扉(水密?)で仕切られており、移動するのも一苦労である。このため、乗艦前にその形状・高さの穴のモックアップが置いてあり、これを独りでくぐれない人は見学ができないことになっていた。とにかく狭い。こんな狭さの中に90人近い人間が水中で生活するということにただただ驚いた。想像を絶する辛さだろう……しかも娯楽といえば、僅かに持ち込めるであろう私物の他は食堂の机にプリントされていたチェスとバックギャモンくらいだろうし。
狭くて後ろの人がどんどん来ること(何人かには道を譲ったが)と、最終入場者の後ろに追い出しの係員が付いてきているのが見えたこともあって、内心は少し物足りないくらいの駆け足で見学し、17:30には艦上に出た。博物館施設自体も閉館となっており、見学を終えた。
因みに、甲板上には超音速旅客機として名高いコンコルドの実機も展示されているらしい、ということを帰国してから知った。飛行機にめちゃくちゃ詳しい訳ではなく、特に軍用機は全くわからないが、それでも流石にコンコルドは知っているし、あれば見逃す訳が無い。しかし、それらしきものを見た記憶は無い。調べてみると、どうやらちょうど修理・塗装のために場所を移されていた最中だったようだ。訪問の10日ほど後になって帰ってきたようだ。残念。公式サイトによると、潜水艦やスペースシャトルと違って別料金11USDだが、客室だけでなく操縦席も見られるようで、リベンジしたい。

入口
敷地に入ってすぐ右にある潜水艦と、その後ろにたまたま停まっていたクルーズ船
空母に入ってすぐの格納庫フロア
第二次世界大戦でのスコアボード
日本軍機・軍艦を撃墜した数が示されている
米兵が捕まったときに備えて持っていたもの?
「朝鮮語」は「日本語」の誤りかな
格納庫内には所狭しと展示機が並ぶ
格納庫の奥の方は、子供たちに大人気のシミュレータコーナーになっている
格納庫フロアから狭い階段を上へ
格納庫上層は、航空機を操るためのフロア
パイロットの待機室
神風特攻隊の攻撃でこの真上に爆弾が落ち、26名が亡くなったそう
特攻隊も悲劇だが、こちら側もまた悲劇なのは事実で、戦争は何も生まない
甲板に出たところ
リフトが動くらしい
毎日動かしているそうだが、時間の関係で見ることはできず
ここにも神風特攻隊の攻撃が
室内の解説とは違う月のもの
甲板上にも多数の展示機が
クルーズ船がゆっっっっくりと動き出していた
この後方の甲板上にある小屋の中にスペースシャトルが展示されている
B747の背中にスペースシャトルを載せたデモ飛行がマンハッタン上空を飛ぶ様子
上述のとおり実際に宇宙には行っていないが、スペースシャトルエンタープライズ号
NASAグッズも売っていた
甲板から見た艦橋
艦橋内を上がっていく
ここは船を操るための設備が続く
海図や航行用のレーダーがある部屋
艦長の部屋
艦橋から見た甲板その1
艦橋から見た甲板その2
艦長席
退役軍人のGene Austinさん
当初は青空艦橋だったらしい(マジか)
クルーズ船が普通に見てもわかる程度には加速していた
艦橋下部の部屋
周囲の船舶と航空機双方の位置を把握して整理するための空間?らしい
乗組員たちの部屋
潜水艦の入口
列の途中、乗艦前に少し展示がある
1962年の来日が、この艦の歴史で唯一の乗組員が外国港で自由に外出できたタイミングだったそう
その時の記念で作ったらしいが、「用意の出来た潜水艦」は笑う(言いたいことはわかるが)
展示室の最後にある艦内の通路と同じ大きさの穴
子供も含み、ここを独力で通れない人は見学ができない
桟橋を渡って艦上へ
いざ乗艦
ミサイル格納庫から入り、階段を下りて艦の前から後ろへ進んでいく
ミサイル格納庫
階段を下りて、折り返す形で奥へ
各区画を仕切る扉
あまりゆっくり展示を見る時間が無かった
居室
たぶん相当偉い人の部屋
食堂
恐らく唯一の憩いの場
たぶん一番下っ端のベッド
真ん中は艦内唯一の通路なので、プライバシーなどゼロ
操船(って言うのか?)や攻撃の心臓部だと思われる
通信室
ソナー室
少ない私物
シャワー室
機関室
お手洗いが通路沿いに幾つかある
最後部
階段を上がると艦上へ
右奥の桟橋が乗艦時に通ったところ
狭くて歩きづらいが故に長い通路に感じたが、これだけの長さしか無い
桟橋を渡って陸へ戻る
敷地外に出た後、道路上からの1コマ

ここもYouTubeに幾つか動画があったが、例えばこれは詳しい

ハドソン川沿いを徒歩でHudson Yardsへ

Intrepidを後にして、ハドソン川沿いの道を南下する。川の東側(マンハッタンの西岸)を歩いているので、向こう岸のニュージャージー州に沈む夕陽が美しい。道路の川側(西側)は歩道が広くなっていて、ランニングコースにもなっているようだ。道路の反対側(東側)は巨大な展示場?のような施設の裏側のようで、交差する道路も無く無機質な建物がずっと続いていた。調べると、Jacob Javits Convention Center という施設らしい。この施設に沿って左折する形で東へ進み、Intrepidから20分少々で、Hudson Yardsという再開発事業のエリアへ到着した。この辺りは元々は鉄道の車両基地があった?らしく、あまり治安も良くないエリアだったそうなのだが、今では高層ビルや近代的な商業施設などが並び、多くの観光客で賑わっていた。
広場には The Vessel という、階段を繋ぎ合わせてできた展望台のような巨大な現代アート的オブジェ(語彙力……)があり、Go Cityパスも使えるのだが、1つ消化するために登るでもないかと思い、下から見るだけにした。また、すぐ傍のビルの上にある Edge という展望台も同じくパス対象だったが、初日にワンワールド展望台にも行っており、この日の夜にエンパイアステートビルにも行くので、7つのパスの3つも展望台は流石に芸が無いなと思いパス。因みに Edge はその名の通り展望台の縁・角が上空に突き出すような形になっているのが特徴的らしいので、また機会があれば行ってみたい。
さて、Hudson Yards 地区へ来た大きな目的の一つが、High Line という、高架鉄道の廃線跡に作られた遊歩道・公園である。大学の授業等でも出てきたので知っていたもので、歩行者空間設計の分野、土木屋(その中でも景観屋)にはそこそこ有名だと思われる。本当はもっと南から2kmほどあるので通して歩きたかったのだが、時間の関係でチラ見しかできなくなってしまった。高架下に降りられる階段もあったので降りてみたが、下から見ると完全に東京ディズニーシーのエレクトリック・レールウェイのニューヨークエリアの駅のような雰囲気だった。ヴェネツィアに行った時も思ったのだが、ディズニーシーの再現度の高さは本当に感激する。
10分ほどしか歩いていないので多くは語れないが、お金をかけて撤去するくらいなら、こういう有効活用はアリだと思った。東京でも、首都高日本橋の地下化と合わせて東京高速道路(銀座にあるKK線)の廃止・遊歩道化が検討されているが、こんな感じになるのかなと思った。(東京は、ここよりももっと都心ド真ん中なので、もう少し商業的な感じになりそうだが)。
Google Mapの履歴が消えてしまったので正確な時刻は不明ながら、写真の撮影時刻から推察するに、Hudson Yardsの滞在は17:50頃から15分程度で、18:10には地下鉄の車内にいる。34th Street - Hudson Yards駅から7系統に乗車してGrand Central - 42nd Street駅まで乗車してホテルへ戻った。乗車駅は再開発で新規に建設された駅のようで、ニューヨークの地下鉄とは思えないくらい綺麗な駅だった。副都心線の渋谷駅を思い出した。18:30過ぎにはホテルに着いたはずである。

実際には海岸沿いの道路を歩いて南下した。

途中にあった広告
笑える
川沿いはランナーが多い
歩道には信号が無いのも理由か
プリウスのパトカーって日本だとあんまり見ない?
Hudson Yards 地区
Vessel には観光客が多数
すぐ西にある地下鉄の車両基地が見えるポイントがあった
廃線跡
遊歩道部
2km強の長さがあるが、周辺の100mほどを回っただけ
地上に降りられる箇所も幾つかある
24時間ではない点に注意
高架下の様子
34th Street - Hudson Yards駅
ニューヨークの地下鉄とは思えない綺麗さ

エンパイアステートビル

エンパイアステートビルはGo Cityパスでも予約が必要だったので、購入した際にこの日の20:00を予約してあった。ホテルからは徒歩だと20分ほどかかるが、地下鉄でもやや遠回りでしかも時間のかかる遠い乗換が必要で15分ということで、歩くことにした。19:30頃にホテルを出たはずなので、1時間ほど休んだことになる。朝6:30にホテルを出てから食事も取らず、バス・地下鉄の車内以外はほぼ全く座らずに歩き続けているため、かなり疲れていたはずである。
さて、夜は治安が気になる。ここまでカーネギーホールからの帰り道や、New Havenの復路でも特に怖い思いをした訳ではなかったが、夜道を20分歩くということで少し警戒。Lexington Avenue南下→42nd Street西進(Grand Central駅舎前)→5th Avenue南下という経路で、大通りだけを歩くことを心掛けた。結論、特に何も無く無事にエンパイアステートビルの下には着いたのだが、展望台の入口を探すのに少し迷った。Google Mapでも建物の入口まではわからないが、北側(West 34th Street沿い)にあった。

実際にはホテルを出てすぐ南下し、Grand Centralの南を西へ進んでからブライアント公園の北東角で5th Avenueへ出ている。

中に入ると、さながらディズニーのキューラインのように、長い列形成ができる柵がある広い空間が、エンパイアステートビルのオブジェや写真の他、映像が流れるモニター等で囲まれており、ピーク時はかなり並ぶようである。Go Cityパスでも予約が必須となっているのも、そういう理由だろう。ただ、この日は日曜の夜遅くだったということもあってか、この時点ではほぼ全く並んでおらず、仮にパス無し・予約無しで訪れても、同じ待ち時間で入れたと思う。
列の途中でチケット購入・引換場所(Go Cityパスは7箇所中の5箇所目)、手荷物検査、記念写真撮影(後で売られるが高かったので買っていない)があり、その先に展示コーナーが広がる。20:00ちょうど頃に入館して、展示コーナーに差し掛かったのが20:10頃である。因みに各種案内表記の多言語のうち、日本語もあった。但し、展示の細かい解説は英語のみだったりもする。
展示は何となく一列になっており、この先の展望台へのエレベータが混んでいる場合には列の一部になるようだがこの時は人も疎らで、展示を見ている人もいれば、展望台へ直行するために先へ進む人もいる、という状況だった。筆者は勿論展示に見入ることになった。設計時の図面や施工計画図の他、1920年代当時の世の中の様子を示すような展示物も多かった。建設工事は相当に急ピッチだったようで、現代の常識からすればおよそ考えられないようなスピードである。その様子を壁一面のモニタで示したCGの動画を見ると、熱々のリベットを放り投げたり、クレーンで吊った鉄骨の上に作業員が乗っていたり……安全帯?…何ですか、それ。とまあ、現代とは常識が違うので一概には言えないのだろうが、工事現場の安全教育の素材としては使えそうである。下の動画の8分30秒あたり。なお、この動画には、この記事で述べている入口から86階展望台までのルートが程よい解像度でレポートされている。

その先にも、開業当時のエレベータやその制御盤を、部品のレプリカ?と映像で再現したコーナーや、現在このビルに入居している企業のオフィスフロアの紹介コーナー、これまでエンパイアステートビルが登場した映画等の作品のコーナー、これまでエンパイアステートビルを訪れた著名人の写真等が続く。ビルの外にキングコングが掴まっているかのような部分もあり面白かった。
これらを抜けると、いよいよエレベータで展望フロアへ向かう。まずは80階へ。このエレベータは天井に建設時の様子がCG映像で映し出され、ビルが伸びていくのと一緒に上へ上へと向かう。80階はガラス越しに見る展望台となっていて、そこから更に別のエレベータに乗り換えて86階へ向かうようになっている。恐らく、混雑時にはこのフロアも列の一部になるのだろう。因みに、展望台は更に別料金のものが102階にあり、その広告も出ていた。死ぬほど高額だったのと、そこまで景色変わらんだろ、という判断で登ってはいないが。
ここまでエレベータの前の5分ほどを除いて全く待たず、展示をゆっくり見ても20:35には80階に到達する程度の混雑度だったが、86階の展望台はそれなりに人が居た。柵沿いの最前列は空きを探すには1,2分待たなければならず、どこも2列くらいは人がいた。日本語もそれなりに聞こえてきて、少なくとも3組はいるようだった。また、中国人に中国語でめっちゃ話しかけられたので、どこで覚えたのかも覚えていないが何故か唯一喋れる中国語である「我不是中国人。我是日本人。」を使う場面が初めて訪れた。
晴れていたこともあり夜景も素晴らしかった。ワンワールドの展望台と異なり、ここの86階は屋外なのでガラスに遮られることもなく、柵の網目も大きめで視界は良好である。86階には20:50頃から21:15頃まで滞在し、80階で乗り換えつつエレベータで下へ戻った。最後にショップを通過する動線になっている他、最初に撮ってもらった写真も購入できるようになっていた。
全体として、良くも悪くも想像より商業化されており、アトラクション的な要素が強くて楽しめた。勿論、お金を払えば払うほど楽しめる仕組みである。ただ、少なくとも86階までで言えば、体験できた内容は支払った額(パスとして1箇所あたり29.4USD)に対して満足できるものだった。円安が進み過ぎるとそれも変わってくるが…… 因みに公式で1回券を買うと44USD、それを調べようとして見つけた、セレブが来る時と同じコース(特別ガイド付き、貴賓室でシャンパン付き)は1人500USDらしい。誰が使うんだ。

途中の5th AvenueにあったNY市の図書館
北東側の角から見たエンパイアステートビル
全体的に多言語対応
建物に入ったところ
1階から2階の踊り場にある
この辺りから列形成もできる広さはある
2階にも列形成できそうな空間が続く
Wi-Fiあるのは嬉しい
この先左側が保安検査
ディスプレイになっており表示言語は切り替わる
先ほどの模型が上からも見えるようになっている
本物よりも手が込んでそう(?)
本物の日数が異常なんだけど
写真を撮られて記念カードを渡される
後でこのカードのコードを読ませると写真が買える仕組み
展示コーナーが始まる
正気とは思えない工程表
あり得ない速さ
このCGはディスプレイになっており動く
音声もあり、建設現場にいるかのような雰囲気
完成時から現在までの世相を表す
フロッピーや携帯電話はともかく、
こんな時計やネクタイを皆がしてた訳じゃないと思うがw
建築当時のエレベータを模したもの(右奥)
映像が動き、エレベータが動いているような感覚が味わえる
エレベータの制御器
現在入居している企業の紹介
テナント専用会議室
テナント専用ジムまであるらしい
エンパイアステートビルが登場した作品の紹介
キングコングはあまりにも有名で単独コーナーがある
筆者も、キングコングにエンパイアステートビルが出てくることは知っている
(寧ろ、キングコングについて、エンパイアステートビルが出てくることしか知らない)
キングコングは映像になっており動く
叫びに応じて照明がチラついたりもする
訪れた著名人の紹介
世界的スーパースターであるところのミッキーマウス氏も勿論訪問済み
こういうの疎すぎて全然わからん
ベッカムはわかる
著名人コーナーの先にエレベータがあり80階へ
左奥は降りてきたあとの通路で、ショップへ繋がっている
80階の屋内展望台から
ここはガラス越し
各国・各時代のパンフレット類や絵葉書等
昭和感漂う日本語パンフレット
「五番街と三十四丁目の交叉点」
86階からの眺め(南側)
右がハドソン川で、その右がニュージャージー州
86階からの眺め(たぶん北側)
左の明るいところがタイムズスクエアだと思われる
追加課金が必要な102階はさらに16フロア上にある
ショップ
出口
入口は展望台専用のものが道路に面しているが、出口はオフィスビルと共用らしい

THE・アメリカ飯

エンパイアステートビルを退館したのが21:23で、ようやくこの日最初の食事の時間がやってきた。無計画も良いところである。満腹になりたいところだが、円安も酷く(帰国後にクレカの請求から逆算すると、実額で149-152JPY/USDくらいだった)、そもそもの物価も高いため、安くて量が多いTHE・アメリカ飯のようなものを欲していた。そうなるとピザである。
適当に Google Map で検索して、エンパイアステートビルの至近、交差点の南東側斜め向かいにある Little Italy Pizza というピザ屋へ行った。

たった16.11USDでピザが2切れ(なお、めちゃめちゃデカい)とペットボトルが付いてくる。これはニューヨークとしては格安で、駅の売店で買ったサンドウィッチとクロワッサンは16.38USDだった。ピザの大きさ・量を考えると、日本より安いくらいかもしれない。
但し、当然ながら(?)その分だけ接客態度と客層のレベルが下がるのがアメリカである。注文するカウンターでは順が来たらオッサンに「Next!!」と叫ばれ、メニューを見て良いなと思ったトマトチキンピザを頼もうと「I would like to have chicken tomato…」と言いかければ、返す刀で「No chicken tomato!!」と怒鳴られ(売り切れらしいが、そのような案内はどこにも出ていない)、代わりのものを頼むと、ピザは温め直す窯の中に放り投げられる。レジでの会計では、仏頂面でこちらを見ようともしない店員からは「Sixteen eleven.」以外に一言も発せられず、こちらがレシートを受け取ろうと手を出してるのは無視され、レシートは手のすぐ横に投げ捨てられた。こうして、アメリカ大衆店の接客を心ゆくまで堪能することができた。日本もこうあるべきとまでは言わないが、値段にかかわらず一定以上の接客レベルがある日本は凄いなと思った。コンビニとかファーストフードとか、もっと適当でも全然構わんと個人的には思う。このピザ屋レベルは嫌だけど。
客層は、確かに多少会話がうるさくはあるものの店員に比べると酷くはなく(数日でアメリカのうるささに慣れたせいもあるかもしれないが)、日本のファミレスに居る行儀の悪いマイルドヤンキー家族を一割増しにした程度の家族連れ、という感じだった。但し、壁には「SEATING TIME LIMITED TO 20 MIN.」という張り紙がしてあった。LIMITEDに下線つきで。文法的に完全な文になっていないのも含めて、お察しという感じだった。
因みに味はまあ美味い、という感じであり、及第点は確実に超えている。但し、デカすぎて食べている間に冷めてしまうという欠点がある。

このカウンター越しに注文し、右側にあるレジで会計をする
手前に並んでいるところから取り出して、奥の窯で温め直してはくれる
デカさがあまり伝わらないが、ペットボトルは日本とほぼ変わらない大きさ
制限時間20分
屋外席もある

夜の一人歩き

クソデカピザを何とか20分ギリギリで食べ終え、21:50頃に退店。徒歩でホテルへ戻り、22:10頃には部屋へ入った。
帰りも大通りを歩いたからか、怖い思いはしなかった。勿論慢心してはダメなので、道は事前に覚え(2回曲がるだけで通りは碁盤の目、通りの名前もわかり易いので簡単)、歩きスマホは一切せず、周りを警戒しながらそそくさと歩いたのだが。荷物も殆どホテルに置いてほぼ手ぶらなので、観光客には見えなかった(と思う)のも大事だったか。
よく「海外では夜間の一人歩きは厳禁」と言われるが、在住者と思われる若い女性の一人歩きも普通に見かけるし、結局のところ、行ってはいけない場所・遭遇してはいけないシチュエーションを、高い解像度で知っているか、というのが大切なのだと思う。しかし観光客にはその解像度の知識は無いし、そうすると「とにかく夜の一人歩きは危ない」という大雑把な括りにならざるを得ない、ということなのだろう。
勿論、今回の自分の行動が安全だったのか、結果として運が良かっただけなのかはわからない。それに、アメリカ以外、ニューヨーク以外には、今回の経験が当て嵌まらない、本当に夜は歩いてはいけないような例もあるだろう。ただ、少なくとも今回の場所・時間帯を含めた行動が「実は超危険で、無事だったのはスーパーラッキーだった」ということはないだろうと何となく信じている(もしそうだとしたら、流石に治安が悪すぎる)ので、一律夜は歩かない、というところから少しだけ前に進めた気がする。尤も、国内旅行に比べたら海外旅行は殆どしない性分ではあるのだが。
ホテルに着いたら、翌日の昼に迫ってしまったNY出発に向けて、アメリカン航空国内線のチェックインをオンラインで済ませ、荷造りをして寝た。

2024.3 往復JALファーストクラスで行くNY・WDW旅行の記録
その6;NY観光3日目(ブルックリン橋・9.11記念館・エンパイアステートビル etc.)編 おわり
その7;NY観光4日目(RISE NY・近代美術館)編 へ続く

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