オリジナリティなんて気にするな
アートは再現性のないもので、オリジナリティ溢れるものだ
だから常にオリジナリティを考え続けるのがいい
ってよく言われると思うのだけど、非表現者の僕から見れば、それはすごくハードルの高いことだなーと思う。
そもそもオリジナリティとは
僕もビジネスをいくつか走らせている人間なので、オリジナリティを気にするなとは言いつつも、代替可能な会社・個人にはしたくない(なりたくない)ので、色々と試行錯誤してきて、今となってはオリジナリティがある程度は出てるかなーと思っている。
自分自身の事を振り返ってみれば、どうすればビジネスをやっていく上で差別化できるか、オリジナリティ探し出していた時期もあった。
まず回りにはどんな競合がいるのか、どういうサービスを強みにしているのか、今やっていることは自分自身の独自のやり方なのか と考えていた。
しかし、よくよく考えてみると、オリジナリティを探すという行為自体が、周りのことを考えることからスタートしており、相対性を前提にした概念であることに気づいてしまった。
真似することもオリジナリティ
僕が好きなエピソードで、ノリ漁師の徳永義昭さんが演奏する「ラ・カンパネラ」 がある (以前、テレビで放送されたので、知っているかたも多いだろう)
極端な例かもしれないが、漁師でピアノも弾けない男の人がラ・カンパネラを演奏するというストーリーだが、この人のラ・カンパネラを聞いてオリジナリティがない、なんて1ミリも思わない。
むしろ、その素晴らしいオリジナリティ溢れる演奏に涙が出てくる。
演奏している曲は、他の人が作曲し、それをこの男の人が真似をして弾いている。表面的な部分を取り上げ、言語化すれば、こういった言い回しになる。
しかしただ真似をするだけでも、本質的には弾いている人の個性
を完全に取り除くことが不可能であり、そこに確かなオリジナリティが存在しているのだ
本質的なオリジナリティを見失うな
オリジナリティを考えるといのは、実はすごくハードルの高いことであり、オリジナリティを喪失しかねない。
大事なのは、自分らしくいることである。何かをトレース(真似)することは、決して自分らしくいないことでなく、どんなに真似をしたとことで、個性というものを取り除くことができない。
オリジナリティを考えることは、自分らしくいることと似て非なるものである。オリジナリティを意識すればするほど、他者を意識しなければならなくなり、自分らしく居られなくなる、結果本質的な意味でのオリジナリティは失われるというジレンマが発生する。
だから真似することも大事。真似しても個性。もっと自由でよい
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?