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友の訃報を悔やむ

訃報のハガキが届いた。学生時代に同じ研究室で学んだ友である。
まだ71歳、あまりにも早い。
亡くなってからまだ29日である。
家族葬を済ませてから奥様がハガキで連絡を下さった。
私は彼の結婚式でスピーチをした。
最後に会ったのは私の結婚式でもう38年も前である。
毎年年賀状で近況をやりとりしていた。ただここ2年は喪中ハガキが届いて年賀は途絶えていた。
彼は福島の喜多方出身で下宿生活。私は大学近くに自宅があり、通学の帰りの寄り道として、よく彼の下宿先に立ち寄り、語らいの場であった。卒業研究の実験では手伝いもしてくれた。
一緒に旅行に行ったでもなく、趣味が同じ等の特別な付き合いはなかったが、何か馬が合った。心の友である。
突然の訃報に死因もわからず、ご家族のお気持ちを考えると電話も失礼かと悩んだが、彼に手を合わせるにも私が納得できない。亡くなってちょうど1ヵ月、月命日だ。思い切り奥様にお悔やみのお電話をし、事情を伺った。ここ4年で水頭症、軽い脳梗塞があったが完治と思われていたが、昨年の4月に脳梗塞の症状が再発し、悪化スピードが異常に早いので色々と検査し、進行性核上性麻痺という難病とわかったという。治療薬がなく体が衰えており、最後は誤嚥性肺炎で急死したとのことである。
奥様の丁寧なお話の節々から、いかに仲むずましいご夫婦だったかがうかがえた。
彼はUFOはいると硬く信じており、私は結婚式のスピーチでその話をして来賓者から喝采を受けた。
奥様から彼がUFOの話しをしていたと伺い学生時代の彼と変わらない姿を思い嬉しくなった。
最愛の夫を亡くした奥様の悲しみが電話の会話から想像できた。立派に成人されたご子息が2人おり、ご次男と一緒にお住まいとのことで少し安心した。
病と戦っていた友の苦しみも知らずに、生前に励ましてやることができなかった自分が情けない。せめてもの私の気持ちとしてお花を贈らせてもらった。「共に過ごした学生時代を思い出します。安らかにお眠り下さい」と添えた。
便りのないのは良い知らせと勝手に判断していたが、スマホ時代になり個人に直接連絡をとることが簡単になった現代ではこのようなことわざは適さないと反省した。
遠方のため会うことは簡単ではなかったが、携帯電話番号やメールアドレスを把握し、近況伺いだけでもできていれば、励ましてあげれたはずである。私は最近は友人宛の年賀にはメールアドレスを記載するように心がけていたが、喪中の彼にはここ2年は情報が届けられなかったことになる。彼からの年賀状を探してわかったが、2022年の最後の年賀には住所と併記して彼の携帯電話番号が記載されていた。そして新年の挨拶と「70歳と存じますが、体は益々若く動いていますか」との一筆が書かれていた。今思えば、私も病んでいないかとの彼の心配が現れた言葉に感じる。そして珍しく携帯電話番号が添えられていたことに彼なりに連絡方法をさりげなく伝えてくれた気遣いであったのだろうと思うと、それに気付かなかった自分を悔やむ。
最愛の奥様を残し、若くして旅立つ気持ちを思うと悲しさが増した。
そんな時に車のラジオから心打たれる歌声が流れてきた。やなせ ななと言う方の「夜が明けるよ」と言う曲である。YouTubeで調べたら、他にも数曲が発表されており、「ありがとう」と言う曲に心が癒された。亡くなった友と重なり、彼が残された奥様に言いたかった想いもこの曲と同じと感じた。
お花が届いたと奥様から御礼の電話をいただいたので、この2曲をYouTubeで聴いてみることを紹介した。今私ができることは、残された奥様の心を癒してあげることが友へのせめてもの報いと感じたからである。
年賀だけで近況のやりとりをしている気になる友人が数人いる。
みんな70歳を超えた。今回の友の死で、みんなが元気とは限らないと悟った。近く電話をして安否確認をすることにした。

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