文学フリマに出店したら、文章を書く理由がひとつわかった
文学フリマ東京38の出店が無事に終わりました。遊びに来てくださった方々、ほんと〜にありがとうございました。
文フリの感想を一言で表すなら、こうなる。
「いい人すぎるよコレクション、ここで開催してる?」
たくさんの人たちの優しさに触れた。触れるどころか、ズボッと片腕まるごと突っ込んでる。そんな体温の上昇を味わいながら、ぼくは1つのことを考えていた。
「なんでぼくは、文章を書いているんだろう」
その答えが、ひとつだけ見つかったかもしれない。
*
当日の朝。エッセイ本をこれでもかとスーツケースに詰め込み、会場へ向かう。電車の中で、急に不安になった。
昨日の夜の段階では、自宅の机をブースに見立てて「我が子と呼べる本をどんどこ宣伝しまくるぜい!」と息巻いていたのに。
冷静に、1人なんよな。「緊張するね〜」とか「本売れたね〜」と言い合える人がいない。寂しくて死んでしまうかもしれない。
心を落ち着かせるために、東京モノレールに乗りながら「あのスーツケースを持っている人は、文学フリマに行くのか羽田空港に行くのか当てよう選手権」を脳内で開催した。気は紛れなかった。
物流センター駅で降り、会場へトコトコと向かう。スーツケースをガラガラと引く人たちを横目に「みんな同志たちか…」と心強く感じる。
入場者受付をして、自分のブースへ。「V−09 よさくの感情冷凍庫」という紙が机に置いてあるのを見て、ワクワクが不安を越えていく。自分の…ブースが…用意されておる…!
準備してきたポスターやチラシを並べていく。自分の空間ができあがっていく瞬間は、心の底からムクムクと期待が湧き上がるような気持ちだった。
長机を2ブースでシェアするので、隣の出店者へご挨拶。お隣は「うんこ看板」なるお店の坂田さんという方。「犬くそ看板」という「犬のフンを片付けよう」と啓発する看板の撮影家なのだ。
と〜っても謙虚な姿勢で、終始話しやすい雰囲気を作っていただいた。さらには「今のうちに、本いただいていいですか?」とぼくの本を買ってくれた。
ぼくも坂田さんの新刊を購入。京成線沿線の犬くそ看板を楽しめる本。帰ってゆっくり読もう。坂田さんがお隣で本当に嬉しい。
ブースが整ったのであんパンをモシャモシャ。すると12時になり、とうとう開場。出店者の拍手と共に、お客さんが会場に流れ込んでくる。このタイミングで入ってくる方は相当前から並んでいるので、お目当てのブースがある模様。ビュンビュンと目的地へまっしぐら。
有名でないぼくのブースには人が来ないので、まったりと眺める。正直、この段階では「なんか始まってんな」という他人事のような気持ちだった。
12時半ごろになり、自分の前の通りにも人が歩き出すようになってきた。ぼくのブースにチラリと目を向けた人に「こんにちは〜」と声をかけてみる。
緊張ゆえか、めちゃくちゃ小さい声しか出せなかった。ぼくが野球部の1年生だったら退部させられてるレベル。
自分からグイグイ行けないな〜。でも声出さないと手に取ってもらえないよ〜とウジウジしているところへ、最初のお客さんが。
「noteフォローしてます!」
神様なんだろうか。お友達と一緒に来てくださり、同時に2冊が旅立っていった。ぼくの本が、お客さんに少しでも「価値のあるもの」と思ってもらえた…。ポカポカと心音が聞こえてくるような心地がする。
そこからは、声のボリュームが一段上がった。それでも小さいけれど、自信オプションが付与されている。表情も朗らかになってきた。いけるぞ! この1日、楽しめる気がする!
そこからは出会いが少しずつ重なっていった。同じ出店者のnote友だちがヒョコッと顔を出してくださったり、Podcastでおたよりを書いてくれた方が遊びに来てくださったり。
あなたが! あの! なんか! イメージそのまま! きゃー!! となった。
このやりとりをしているときは、子どもみたいに「対面できたこと」を喜んでて無邪気だったな。
noteで繋がりのある方が来てくれることが多かったのだけど、こんな方も本を手に取ってくれた。
「Webカタログで東北6県検索して、ヒットしたところを回ってるんです」と歩み寄ってくれたお姉さん。
「私自身、単身赴任で新潟にいて。転勤族だからこその気持ちって、あるじゃないですか」と話してくれたダンディなお父様。
「おばあちゃんが福島に住んでて。福島って人がすっごく温かいですよね! みんな優しくて!」と目をキラキラさせてくれたお嬢さん。
「ぼく転勤したいんですよね。どうせなら北の方にぶっ飛ばして欲しくて。それで気になっちゃいました」とニコニコと語るお兄さん。
ぼくのエッセイ本のエッセンスである「転勤」「福島」「北海道」という部分が共鳴したのが嬉しかった。本を作らなければ、届けられなかった人たちだ。あぁ、転勤してよかったし、文章を書いててよかった。
既にnoteでやりとりをしている方とのおしゃべりも本当に楽しくて。文章を通じて繋がっている人って、いい意味で距離感がバグってしまう。両親よりもぼくの近況を理解しているので、勝手に深い友だちだと認識してしまうのだ。
ブースに来てくれた方に「なにかいい作品に出会えましたか?」と訊いて、他のブースの作品を教えてもらう時間も好きだった。去り際には「文学フリマ楽しんでくださいね!」なんて送り出すこともあったけど、いったいぼくは何者のつもりなんだろう。
*
時間はあっという間に流れていき、イベントも後半に。「本、もうちょっと売れるかな」とソワソワしたり、「自分の本が売れた!」とガッツポーズしたくなったりする気持ちの間に、考えた。
ここに出店している人たちは、どうして本を出すことになったんだろう。そもそもぼくだって、どうして文章を書いているんだろう。
こんな意見を聞いたことがある。
「口下手なんです。でも文章だと、のびのびと表現できて」
コミュニケーションの手段として、口頭ではなく書くことを選ぶという方。たしかに、得意なスタイルが人それぞれある。
一方、ぼくは話すことも大好きだ。普段は商品を説明したり、お客さんとのおしゃべりを通じてお給料をもらっている。
ではなぜ、ぼくは趣味で「書くこと」をわざわざ選んでいるのか。お金と感情と時間を全力投入して、文学フリマにブースまで構えているのか。
お客さんに触れて、心が柔らかくなっていく過程で、気がついた。ぼくは「別の人格に、自分を救おうとしてもらっている」のかもしれない。
ぼくは自分に自信がない。他人に本心を曝け出すのが怖い。受け入れてもらえるか、わからないから。外面よく振る舞うのは得意だけど、本音を出せずグッと疲れることがよくある。
でも、ペンネームを使えば。本名からかけ離れた「よさく」という名前で日常を切り取ったのなら。周りのできごとを、心によぎった感情を、「ねぇ、聞いてよ!」と言わんばかりに文章にしてネットという海に放り投げることができた。
文学フリマで「よさく」としてブースに立つことで、その存在は明確な輪郭を帯びはじめた。
「文章から“いい人”って印象だったんですけど、会ったら『やっぱり』って!」
「よさくさんが杏仁豆腐好きだってわかってるのに、冷蔵だから持ってこれなくて。かわりにコレを!」
「いつも日記楽しく読んでます。職場の人とのやりとりがおもしろくて」
「おなか空いてるかな〜? って思って差し入れ持ってきました! わたし、こういうときいっぱい買っちゃうんですよね!」
「出店者してるとお買いものできませんよね? おつかい行きますよ!」
お客さんが振りかけてくれた、たくさんの温かい言葉と優しさ。普段の「本当のぼく」だったら、自信がなくて「そんなことないです!」「申し訳ないです!」と否定したり恐縮したりしていたと思う。
けれど、「よさく」は受け入れていた。「え! 嬉しいです!」と笑みをこぼしていた。ちゃんと、受け取っていた。
文章を書く「よさく」はいわばペルソナであり、別人格。でも彼が、人に愛されることを教えてくれた。心の隅っこで体育座りをしているぼくに、手を差し伸べてくれた。
ぼくはもう1人の自分に、自分を救って欲しかったんだ。話すのが好きなくせに、本当の自分を曝け出せないから、書くことで別人格を生み出していた。そうして、彼に自分のことを語ってもらっていた。
いつも文章を読んでくれている方、これから読んでくれる方とのおしゃべりを通じて、「よさく」は実体を伴って現れた。
ある方に「3Dですね!」と言ってもらえたけど、自分でも思っていた。「あ、よさくが現実世界に出て人と話してる」って。
なんだか「実は根暗なんですか?」と心配させるような文章を書いてしまった。そんなことはない(と信じたい)のだけど、文章という出力装置を使うからこそ世の中に放てる感情があるのは事実。
だから、ブースに来てくれたあなたに、とっても救われました。よさくを現実にしてくれて、ありがとう。そしてそのよさくに、「本当のぼく」が救われています。
書いてるうちにスイーツパラダイス80分経過くらい重たくなってしまったけど、とにかくぐるぐる考えちゃうくらい色んな感情を受け取ったんだよ〜!!
感情のおみやげをモグモグと消化する日々が続きそう。文学フリマの味がしなくなるまで、噛み続けてやるぞ!
【スペシャルサンクスなnoterさま】
お聞きそびれ&書き漏れがあったら本当にすみません…。コメントでそっと教えてください!
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