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noteを始めるきっかけをくれた人に会ったら

noteを始めたきっかけを思い出す。あれは3年前のこと。

友人と「同じ本を読んで感想を言い合う遊び」をしていた。これは「友人と2人で本屋に行き、気になる本を一緒に買い、後日感想を言い合う」という遊びだ。

選ぶ本は、書店をぐるぐると回りながらその日の気分で決める。ビジネス書や小説など、ジャンルは様々だった。

3回目の本選びとなるある日、本屋で見覚えのある表紙と目が合った。

『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』

これ、聞いたことある。ネットで「笑って泣ける」と話題になっていた作品だ。

友人をチョンチョンと引き留め、声をかける。

「これにしようよ」

今思えば、この一言が今ぼくが文章を書いている全ての始まりだった。

あらすじも大して知らず、「家族愛のことが書かれてるのかな」くらいの気持ちで買った。

自宅に戻り、本を読み進める。びっくりした。今思えば、エッセイなるものをほとんど読んでこなかった。周りに起きた出来事を、解釈と表現だけでこんなにも心を躍らせるものに変えられるなんて。

あっという間に読み終わった。笑って、涙ぐんで、ちょっと優しくなれた気がした。文章が持つエネルギーが、手のひらから溢れて止まらないような心地がした。

こんな文章を書く、岸田奈美さんという方は何者なんだ。調べてみよう。すると、noteというサービスにたどり着いた。聞いたことなかった。

noteでも岸田さんの文章を読んでみる。記事の一つひとつに触れるたび、ムクムクと心の奥の何かが膨れ上がっていくことに気がついた。

ぼくがずっとやりたかったことは、これだ。自分の身の回りのできごとを自分の頭で料理して、誰かの感情を動かす。エッセイという出力方法なら、自分を表現できるかもしれない。

何かに支配されるような勢いで、noteに登録した。身の回りのことを文章にしてみた。少しでも誰かの心に届くように、試行錯誤してみた。

気がついたら、それから3年が経っていた。



そして6月16日、岸田奈美さんのサイン会にいる。新刊『国道沿いで、だいじょうぶ100回』の出版記念イベントだ。

「店内大教室」を「店内大混雑」と読み間違え1人混乱した

先日、岸田さんのnoteで開催を知り、滑るように指を動かしてチケットを取った。

東京という街はすごい。「会いたいと思った人に会える場所」だ。

東北や北海道に住んでいた頃、この手のイベント情報をゲットしても「けっ、どうせこっちには来てくれないんだろう」とイジけて背中を丸めるしかなかった。

けれども東京の会社に転職して1年半、驚くほど「会いたい」と思った人たちに顔を合わすことができている。少しのきっかけと勇気があれば、東京はそれを繋ぎ止めてくれる場所なんだな、としみじみ思う。

そんな感慨深さを懐に携えて、会場へと足を運んだ。受付をして、ズラリと並ぶ列の一員になる。並びはじめたときから、すでに岸田さんの姿が見えた。一人ひとりの読者へ、ニコニコと笑顔を向けている。

あぁ、あの人から生まれてるんだ、あの文章たちが。何度も笑い、心がジーンと震えた読書時間が蘇る。

岸田さんにどんな想いを伝えよう。感謝かな、応援かな。頭にフワフワと言葉を浮かべながら順番を待つ。ふと周りを見渡すと、待っている間に本を読んでいる人がチラホラいた。

とんでもねえ集中力だ。こちとら憧れの人を前にしてソワソワが止まらないよ。絶対読書なんか集中できない。

「もしかして岸田さんの作品を復習してるのかな?」と思いチラリと本をのぞいてしまった。原田マハさん読んでた。今この瞬間に向き合える、この人の没頭力が欲しい。

そんなこんなで沸き立つ心をドードーと沈めている間に、自分の順番に。さて。ここからは推しストラックアウトの時間だ。

限られた時間で自分の推しコメントを野球ボールのように投げ込み、作者の心へ一つでも多くのヒットをとることが今日のミッションだ(謎の心意気)。

係の方へ促され、岸田さんの前へ。「今日は岸田さんにお礼を伝えにきました」を皮切りに、ぼくのピッチングが始まった。

「3年前にデビュー作で岸田さんを知りました」「岸田さんのおかげでnoteの存在を知って、自分も文章を書き始めました」「文章を書くのが楽しくて楽しくて、今年は文学フリマまで出ました」「岸田さんのおかげで文章で繋がった友達ができました」

投げ込みすぎだ。キャッチボールではなくて、一方的にボールを叩きつけてしまうのがぼくの悪いところだ。聞いてる側も、どこでリアクションしていいかわからないよね。

岸田さんはサインを書きながら楽しそうに聞いてくださり、「青春物語やな〜」と返してくれた。たしかに、あなたが道筋を作ってくれたこの3年間は、まるで青春物語だった。たくさんの感情と、素敵な仲間たちに囲まれていた。

さらに「これまで全部が岸田さんのおかげで、すっごく感謝しているんです!」と気持ちを押し出すと、彼女はこう返してくれた。

「いや、文章を書いたあんたがすごい!」

「でへへ」である。いや、岸田さんのおかげではあるんですけど〜、いざ直接そう言われると、そんな風にも思えなくないというか?

一瞬にして浮かれポンチやろうになるくらい、嬉しかった。「あんたがすごい!」って、人をより遠くまで連れて行ってくれる言葉だと思う。

最後に、どうしても訊きたかった質問をしてみる。

「文章を書くとき、大事にしている『心意気』ってありますか?」

岸田さんがサイン本からバッと顔を上げた。ぼくに目線を合わせてくれる。

「……嘘をつかないこと、かな! 嘘をつくと、テンプレートになっちゃうというか、自分らしさが出ないんですよね。そこは大事にしてる!」

嘘をつかないこと。初心に帰らせてもらうような、みずみずしい感覚が胸を通る。

日記やらエッセイを書いていると「ここ盛ったらより面白くなりそうだな」と思ってしまうことが、正直、ある。

でも、事実を捻じ曲げてしまうと、胸を張って文章を書ききれない。文字たちは作りものになった途端、熱が取り払われてプラスチックのような感触になってしまう。

表現の工夫をしても、嘘をついてはいけないんだ。当然プライバシーに考慮して、事実をふんわりと脚色する優しい嘘は必要だと思うけど。

自分らしい文書を書き続けるために、自分の人生に忠実に。おもしろい文章を書きたかったらおもしろい人生にすればいいし、おもしろくない出来事もおもしろい表現で書ければいい。

サイン本と大切にしたい言葉を胸に抱え、ホクホクとした気持ちで会場を後にした。

あらためて感じる。ぼくは「憧れ」というエネルギーを原動力に文章を書いているのだと。

「こんな文章を書きたい!」と思わせてくれる人たちが周りにたくさんいる。プロの小説家やエッセイストはもちろん、フォローしているnoterの方々。

こうした人たちの文章に囲まれ、それを今の自分の感受性で受け止めていられるということは、幸せなことなんだ。まだまだ、ぼくはこの気持ちでnoteを続けられそう。




3年前の自分へ。君が偶然本棚で手に取ったエッセイの作者と、こうして話してるなんて思いもしないよね。

そして3年後の自分へ。君をもうちょっとだけ遠いところまで連れて行けるように、文章を書き続けるね。素敵な人たちと、もっと出会えるために。

あんたがすごい!

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