短所を治す3つの方法

自慢じゃないけど、私はこれまでかなり怒られてきた。
怒られても泣かないし、怒られても治さないから、それはもう周りが引くほど躊躇なく怒り続けられてきた。

古くは幼少期、人の気持ちを考えなさい!と母に怒られ、
JK時代は言い方がきつい!と部活の仲間に怒られ、
大学時代は可愛げがない!とバイトで怒られ、
就活中にも協調性がない!とインターンで怒られた。

これらはもう耳タコになっていて、自分の短所だなと強く認識しているものの、治そうといくら思っても治せない。

しかし会社に入ってみると、これらが全く一切怒られない!
それどころかむしろ褒められるようにすらなった。

・人の気持ちを考えなさい! ⇒Think Straightでいいね!
・言い方がきつい!     ⇒Talk Straightでいいね!
・可愛げがない!      ⇒Seniorityがあっていいね!
・協調性がない!      ⇒North Starじゃん!最高だね!

てな具合である。

これは一体なんなんだ!?という大混乱の始まりだ。

短所とは何か

THE RETRICという本を最近読んだ。その本の中で、人間を説得するのに必要な3要素(ロゴス(論理)・エートス(人柄)・パトス(感情))のうち、エートスを構成する要素として”徳”が語られる。

徳と言えば、古く孔子が論語にて言っていた「最高の人としてのあるべき姿」という文言が思い浮かぶ。しかしじゃあ最高の人ってなんなん?と調べると、孔子は仁が厚い奴のことだと言うが、一方でその孫は中庸であることが最も徳があると言っている。

え、ちゃんと定義してよ!!とその時にも思ったのだが、THE RETRICにおける徳はより一層実践的だ。

「徳」とは、「徳があるように見える」ことである。
  (中略)
「徳」とは、道義的に正しくあることよりも、相手に合わせることを必要とする技術だ。語り手は、聴衆の価値観に合わせなければならない。

なんとまあ、”最高の人としてのあるべき姿”というのは、その場の出席者に合わせて変わるもんだと言っている。

思想として正しいかはさておき、ビジネスにおいて人を説得するために人柄で魅了するというTipsと思えば確かにその通りだと思う。例えば怪しい水を売る団体の中で最も徳がある人は、怪しい水で詐欺をしてはいけないという人ではなく、怪しい水を沢山売った人なのだ。

会社に入って突然短所と長所がひっくり返って、今まででは考えられないくらいヨイショされる世界線に相当困惑していたのだが、この論理にあてはめると、ここはこれまでとは違う価値観を持った世界でここでは私の短所は長所なんだ、と素直に受け入れればいいことがわかった。

短所を治す3つの方法

短所か長所かの線引きは世界によって異なるモノサシに依存する。

要するに、自分の尖った部分が短所であるか・長所であるかを決めるのは、周りの人の価値観にほかならない。

しかし、お前の短所を治せ!責めていた人が急に価値観を変えてやっぱり長所だね♪と認めることは一般的にほとんどないので、短所を治す方法は2つしかない。

①長所にもなりうる尖った部分を均すか、②価値観の異なる違う世界に行くかだ。

わたしはたまたまラッキーワールドに迷い込めたのが幸いだった。

で、ここまでが昨日までの学び。

昨日の夜、ロンハーの千鳥回を見ていて、この考えを少しだけアップデートした。

ラッキーワールドに迷い込めたのは、本当の偶然の産物ではないという点だ。

東京でまだ売れていなかったころの千鳥は、売れるために迎合することを良しとしなかった。ワイプで網走戦略(=絶対にニコニコしない)を取っていた大悟はそれを「ホンマにトップを取るには必要だから」と言い、それでいいんだと認めていたノブは「何も変えないという努力」だと言った。

求められるままに尖りを均して、数多いるなんとなく居心地の良い人間になるのは、アマノジャクさえ捨てればそう難しいことではない。

特に日本で求められる短所の克服は、多くの場合何もしなければいいだけのことだからだ。

ただそれでは自分の長所となりうる核の部分も同時に失ってしまう。

千鳥が尖ったお笑い番組でMCを張れるようになったのは、間違いなく二人が変えない努力をして、網走戦略を取り続けたからなのだ。

学校というのはとても難しく、自分の努力だけでは環境を変えることができないから、短所を治すには必然的に先生の求める価値観に迎合する一手しかない。

授業中も絵を描いている子、机の前でじっとしていられない子、何をするにも目立ちたがりで他の子を立ててあげられない子は先生に”悪い子”だと言われ、時にいじめにあい、どんどんその尖った部分を強制されていく。

尖った部分を最後まで直さなかった人だけが、大人になってスターになれる。

というか、その価値観を持った人が徐々に集まり、同じモノサシの世界が徐々に構築され、その中でスターとして扱われる。そしてその世界の縁を徐々に広げ、これまで短所だと言っていた人すら価値観を変える。

ここまでをまとめると、短所を治すには3つのやり方がある。

①長所にもなりうる尖った部分を均す
②価値観の異なる違う世界に行く
③価値観の異なる違う世界ができるのを待つ

何かしらの分野で輝きたいと渇望するなら、①は選んではいけない。

②③は一時的に強い負荷がかかるが、運が良ければ大きな武器を手に入れることのできる。

そして、①②は環境が変わればまた短所となる可能性があるものの、③だけは短所を根絶することができる戦法だ。

世界を選ぶ

この結論に合点がいったとき、私はまず「昔の自分よ、よくやった」と思った。

人の気持ちを考えなさい!と怒られても、歪曲させずまずは問題だけを考えようと主張し、
言い方がきつい!と怒られても、はっきり言うんだという姿勢を崩さず、
可愛げがない!と怒られても、甘ったれずに自分の仕事を完遂し、
協調性がない!と怒られても、でも絶対にこれが正しいんだと言い続けた。

スーパースターになれるほどの尖りではなく、ちょっと怒られるくらいの尖りだって、抵抗するのは私にとってかなり労力のいることだったから、守り切ってラッキーワールドを引き寄せたことをまずは素直に褒めたい。

と、同時に、今のわたしには③を実現できるほどの影響力はなく、②を取ったにすぎないので、この環境にいるから長所は長所として扱われていることも忘れないようにしなければと思った。

おそらく、日本の伝統的な事業会社に行けば間違いなく鼻持ちならない女としてつまはじきにあうだろうし、自分だけならそれもまだいいが、将来ママ友コミュニティではじかれたりしたら子供が嫌な思いをするかもしれない。
(わたしの親もかなり尖った人間なので、街中でヤンキーを注意し始めた時にはお願いだから我慢してくれと思ったし、気持ちはめちゃくちゃ想像がつく。そんな思いは周りの人にさせたくない。)

置かれた場所で咲くことは必ずしも美徳ではない。

置かれる場所を自分で選ぶ、世界を選ぶことが重要なのだ。

ラッキーワールドを選択できた過去の自分をありがたく思いながら、今日もまた「その仕事やる意味ありますか?」と果敢に応戦する。

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