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未満

お母さんみたいなお母さんになりたい、と小学生のときに言っていた友達。その子は絵がすごく上手で自由帳に漫画を描いていて人気者だった。将来は漫画家になるの、と言っていたのに急にお母さんになりたいなんて言いだすから、それは将来の夢なの?と当時も納得できずにいた。先生や友達は、えらいねとかすごいねとか言っていたけれど。なにがえらいのか分からない、少子化の日本で子孫を残すから?女として普通の正しい道を選んだから?
女の子なら小学生のうちから何歳くらいで結婚したいとか子どもは何人ほしいだとか、世界も曖昧なのにそういう当たり前の人生の話をしていた。けれどわたしは友達の未来予想図をきくばかりで、一度も自分の事は話していなかった気がする。たぶん結婚とか出産とか、知っているけどわからない、みたいな気分だったのだろう。クラスや学年でイケメンだと騒がれてバレンタインデーにはたくさん手作りチョコレートをもらってしまうような男子にも、友達と話を合わせるようにかっこいいよねと言葉にはしていた。制服を着ている時代はずっとそうだった。
きっと他人に好意をむける行為が、感情が、薄いのだ。好きはlikeであってloveにはならない。愛しいとおもう人はそれなりにいる。けれどそれはlikeの延長線上であって、loveではない。
みんなはどうして簡単に他人を好きになれるのか、感情の一線を越えることが生きていれば普通だと、人生のノルマである価値観。
はじめからloveで向けられる好意に嫌悪感を抱いてしまう。それを変なのって言われることにまた気持ち悪さを感じている。そういう人もいるよね、って受け入れたふりして逃げる人もいる。
最近は多様性だとかマイノリティだとかで、名前がつけられて理解してる風でみんな受け入れあっている(風)。名前をつけたらわかりやすいから、理解できなくてもそういうものだって区別できて安心できるね。
愛は曖昧でまろやかで美しい、なんでも許されてしまう。許してしまう。
そういう人間たちをかわいいって思うけれど、それを必要とするにはまだ人間になりきれていないみたいだ。

作品をまとめて本にしたいです。よろしくお願いします。