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#001「人間にしてくれる」の意味するところ

人生の中の現時点において(物理的にあるいは心理的に)近くにいてくれる人に対して、突発的に感謝の念が湧き起こるような瞬間がある。

財布を買ってくれたとか、ご飯を奢ってくれたとか、そういう受益的な事象に対してではなくて、形容し難いが要するに感傷的な「この人が自分の近くにいてくれるのってありがたいなぁ / 救われているなぁ」という唸り。その存在がなかったらひょっとすると(ひょっとしなくても)自分はもっとだめになっているかもしれないな、という安堵と諦めも含めて。

この「ありがたいなぁ」の正体は何だろうと考えるたびいつも、オードリー若林がオールナイトニッポンで別れた恋人について触れるのに選んだ

「俺を人間にしてくれた」

という表現に行き着く。

「人間にしてくれる」にとても共感してしまうのはまずその前提部分に思いを馳せるからで、そもそも自分の中に「人間」ではない部分があるという自己評価を下してきた(そしてそれに悩んできた日々がある)のでなければ口をついて出てこない言葉だと思う。少しだけ地面より低いところから、掬い(救い)上げてくれた存在への感謝の言葉。

そしてこの「人間にしてくれる」の意味するところについて、最終的にはどこかのタイミングで言葉を集めて丁寧に答えを出したいのだけれど、暫定的に現時点での感覚値を当てはめるならば、「自分の思いを外部に対して表現することを、少しだけ勇気づけて背中を押してくれる」ことだと思う。

(誰かに言われたたった一言が、驚くほど様々な場面でお守りとして機能する経験を、具体的に思い出しながら今これを書いている。)

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人間とは、で言えば、最近は又吉直樹の『人間』をずっと読みたくて、でもここのところずっと開くことができていない。

又吉さんの表現がとても好きで、「こういう言葉選びがしたい」という自分にとっての理想形に近く、一方で、だからこそ自信がない時に読んでしまって、「あぁ、こういう表現ができたらいいのになぁ」とひどく落ち込んでしまうんじゃないかと過保護な防衛本能が目の前で反復横跳びしている。

そういえば前作『劇場』も、沙希(映画では松岡茉優が演じている)が、主人公の永田(映画では山崎賢人)を「人間にした」話だった(少なくとも自分はそう読んだ)。

本を読みたいけど読めない時は、読まなくていい時だと思うし、積んでいた本は思いもよらない瞬間に消化(昇華)されるものだから、もう少し水色の表紙を睨みつけて、タイミングを見計っていようと思う。

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そういえば、を合図にすぐさま散らかっていく思考を、丁寧に可視化しておきたい。

『人間』刊行に際して行われた又吉直樹と宇多田ヒカルの対談についても書きたい。中でも蓮の話には背中を押されっぱなしだ。きれいな蓮は、すごく澄んだ水じゃないところに咲く、という話。


(追記)蓮の話です。


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