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女の子は誰でも……?

「女の子」だと信じて疑わなかった

生まれた時、私は女の子だった。
ある花の名前を授かって、習っていたバレエではチュチュを着ていて
ふりふりのスカートが好きでプリキュアは初代世代でほのかちゃん派だった。
CCさくらや人魚が大好きだった。
とにかくキラキラしていて可愛くて魔法や特別な存在の「女の子」が好きだった。
自分が「女の子」だと信じて疑ったことはない。

違和感

遠い遠い記憶だけど、私は、女の子とキスしたことがある。
女の子に友達以上の魅力を感じていたこともある。
その当時、今ほどLGBTの考えは浸透していなくて
誰もが知っている単語でもなかった。
恋をするのはいつだって男の子だったから
この気持ちを誰かに言ったことはなかった。
ただずっと、誰にも言えない秘密がそっと心に住んでいた。

歌舞伎町のバー「もう少し早く出会ってたら口説いていた」

私が大人になった今、多様性は世界中で話題になり
LGBTという単語や気持ちが世間に少しづつ浸透している。
それは私自身の違和感に対する答えでもあった。

そんな時、歌舞伎町のバーに行った。
ただ友人とお酒を飲むために入ったバーだったけど
偶然、店員さんがレズビアンだった。

初めて、違和感をありのまま打ち明けた夜だった。

「もしかしたらパンセクシャルなんじゃない?」

パンセクシャルというのは、全性愛をさす言葉らしく
好きになる相手にセクシャルを条件としないことらしい。

自分が当事者である自覚など1ミリもなかった。
未だ、私は確信を持ってパンセクシャルであるとも言い切れない。

「私も、女性が好きだけど別に当事者の認識はないし
 丁重に扱われるのは違和感、放っておいてほしい」

その店員さんはこう言っていた。

私も、そうだった。
24年生きたくらいでは自分の全てなどまだ知り得ないのだ。
もし100年生きても、全ての謎は解明されないような気がする。

セクシャルの話について思うことは多々あるがそれはまた別記事にでも書こうかな
長くなりそうだから…。

「女の子」という概念

なぜ、セクシャルの話題に触れたのかというと
これから「女の子」という性と概念について書くからだ。

私は冒頭でも言ったように自分の性別が「女性」であることを疑ったことがない。

だがしかし、男の子になりたいと思ったことはある。
だからこそ思うのは性別としての男女概念としての男女は別物なんじゃないか
ということである。

男の子になりたいというのは性別としてではなかった。
背が高くて骨太である程度筋肉がついていて、イケメン。
女性をお姫様みたいにエスコートできる紳士。になりたい。

これは必ずしも「男性」という性別になったら叶うわけではない。

だから私にとって男の子になりたいというのはいわばイケメンになりたいである。

そして、今回のテーマ、「女の子」という概念についても同様で
私は自分が女の子という性別も好きだし、それ以上に「女の子」であることに
誇りと輝きを持っている。

これは、あくまで一個人の意見として書き続けるが
女の子特有の洋服、スカートやワンピース、ふわふわのニット、オフショル…etc
ハイヒール、長い髪、いい匂い、キラキラの爪、きゅるんとした瞳……etc

時々、女の子は本当に魔法使いなんじゃないかと思うほど
色鮮やかだしキラキラしているし、まさに最&高なのだ。

しかし、これもあくまで概念だと思っている。

「女性」という性別の全ての人がこうであるとは思わない。
こういったことを押し付けるつもりもない。

しかし、こういう「女の子」という言葉を使って想像できる煌めきは
確かに存在すると思うし、憧れている子もたくさんいる。

私もその一人である。

私は、時にイケメンになりたいし、時にジャージボサボサ頭にもなる。
アイドルにも憧れるし、ボーイッシュにも憧れる。
乃木坂っぽい服装も好きだし、韓国系も好きだし、ちゃんみなも好き
ボカロも好きだし、ハニワも好き、プリンセスも好きだしヴィランも好き
椎名林檎様も好きだし、安室奈美恵ちゃんも好き。
好きになる系統はバラバラだけど、そのどれにでもなれる可能性がある。

女の子は原石をたくさん持っている存在だと思う。

どの原石も宝石になれる。

憧れですら煌めいている。

好きな服を着る、好きな見た目でいる。好きな性格でいる。

みんな魔法使いでそれぞれの変身呪文があって
一流の女優、最高のアイドルだと思う。

みんな、明日も可愛く生きようね⭐️


美少女戦士ユエるより
今日も素敵なみんなへ





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