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皆既月食と天王星食。そして、受け入れがいた事実について。

皆既月食と天王星食

 今このnoteを書いているのが11/9の深夜1時くらいになる。遡ること約6時間前、陽が沈みすっかり暗くなった空では世紀の天体ショーが起こっていた。私は天体について特別詳しいとかそういうわけではないが、人並みの興味がある。色々と調べてみると、今回はどうやら皆既月食と天王星食が同じタイミングで起こるらしい。皆既月食は聞いたことがあるが、天王星食については聞き馴染みがなかった。この天体ショー関連の記事の見出しには、「442年ぶり」という言葉がよく見られた。442年。442年。442年。特に意味はないが、3回書いてみた。とてつもなく長い数字に見える。少なくとも、寿命が80歳くらいしかない人間にとっては。予想によると、次回同様の現象が見られるのは322年後と予想されている。322年。322年。322年。442年には及ばないが、これもとても長い時間に思える。まず間違いなく、今地球上に生きている80億ほどの人間はその時を生きて迎えることはない。そんな当たり前の事実に心揺さぶられる。寂しいような気もするし、どこか安心感のようなものもある。皆、なんだかんだ行き着く先は同じなのだ。誰かが一人勝ちすることはなく、誰かが一人取り残されることもない。いずれにせよ、「次に見れるのは322年後だよ!」というのは強烈な脅しだ。洗顔剤を買い忘れても明日買えば良いし、ドル高を理由にハワイ旅行を数年延期しても構わない。「生きている間」にまだチャンスがあるから。でも、今回の皆既月食、天王星食は話が違った。

赤い月

 19時30分。ビールの酔いが回った少し気怠い体に、半ば無理矢理にジャケットを羽織らせ、外に出た。肌寒い11月の夜の空気が静かに街を流れていた。顔を上げて夜空を眺めると、すぐに普段と違う点に気がついた。昨日まで眩しいくらいに黄色く光っていた満月が、赤みを帯びて薄暗く光っていた。これが皆既月食か。昔見たことはあっただろうか?正直思い出せない。そもそも、今まで生きてきた中で起こったことがあったのだろうか?そんなことを考えていたが、調べる気も起きず、何となく近くの川へ向かって歩いた。道中では、月にスマホを向ける何組かの姉妹や夫婦、親子とすれ違った。通常、月は太陽の光を反射し、黄色く光っている。皆既月食では、月が地球の影に隠れるため、太陽の光が届かず、薄暗くなる。赤く見えるのは、太陽の光がそれでも少し届くためらしい。では、天王星食とは何か。水金地火木土天海で覚えさせられたように、天王星は地球よりも太陽から離れた星だ。地球の衛星である月が地球と天王星の間に入り、地球から天王星が見えなくなるのが天王星食らしい。皆既月食は肉眼で見えるから実感を持って体験できるが、天王星食に関しては「まあ、そういうものか」程度のものだった。そもそも、日常的に天王星を見ようとすることがないから、多くの人は隠れたとて違いが感じられないだろう。まあとにかく、私はいつもと違う赤い月を見ながら、川沿いを歩いた。いつもと違う表情を見せる月は美しかったが、私の頭を支配したのは、依然として442年や322年という茫漠とした時の長さであった。宇宙の理によって、既にどうしようもなく決定されているその時間。既にそれが終わった今となっては、生きている間には全く同じものをもう見ることができないという少しの切なさが残る。何も今回の天体ショーが私たちにとって劇的な変化をもたらすものだったわけではない。どうでもいいと思い、家でスマホをいじっていた人もかなりの数いたはずだ。でも、そんな些細な人生で一度きりのイベントを通して、私は全てのモノが持つ「限り」について考えた。

受け入れ難い事実

 誰かと会って別れる時、あと何回会えるだろうか考える。陽が沈みかけるあの美しい光景を、あと何回見ることができるだろうか考える。あと何回夏が去るのを見届けられるだろうか考える。

受け入れ難い事実:全てのモノには「限り」がある。

そんな当たり前の事実を、私もついこの前まで受け入れられて無かった。私の祖父は今年亡くなった。数年前から寝たきりの生活が続いており、帰省の度に弱っていっているのが目に見えて分かった。あと何回会えるだろうか。そんな不安を拭い去ることは出来なかった。だから。だからこそ、祖父母の家を発つ際には、次の長期休暇でまた会うことを約束した。そして別れ際には決まって手を振り、「またね」と伝えた。それが最後だと思う覚悟なんて私には到底できなかった。それを何度か続けるうちに、本当の最後はやってきたのだった。結局のところ、人間は毎度毎度、それが最後だと意識して日々を送ることなど無理なのだ。それはあまりにも辛いし、涙が出てしまう。だから私はまた、性懲りも無く「またね」と言って別れよう。祈るように。お互いに言い聞かせるように。それでいいのだと思う。でも、たまには。442年ぶりの天体ショーが見れた今日くらいは、全てのモノに「限り」があることを思い出し、どんな時間も大切にしようと思おう。

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