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届かない

noteにはなるべくポジティブな発信をしようと思っていました。
過去のこと等、苦しい胸中について書いたものもありますが、
基本的に私は、
自分にも世界にも常に希望を持っていたいのです。

ですが、
自分も世界も、明るい側面と暗い側面があって成り立つものです。
それらを否定したり、
どちらか一方を見ないようにしてしまうと、
バランスが崩れます。
両面が“在る”のが健全な状態だからです。

以前の私は、
自分にも世界にも、「こうあるべきだ」
「こうあらねばならない」
という想いが強かったように思います。
そして私は見事にバランスを崩しました。


自分の内面を見つめるようになってから、
自分の要求を満たすよう心掛けています。
今まで無視をしていることにすら気付いていなかった、
自分の声を聞くようにしています。


自分のことは、それで良いのです。
ですが、
世界や他者のことに対しては、
自分の力ではどうすることも出来ません。

以前は出来ると思っていました。
誰かを助けたい、世界をより良い場所にしたい、
そうせねば、と思っていました。
その想いが消えたわけではないし、
私はやはり基本的には、周りのこと、全体のこと、末端に居る人のことを想います。
意識がそのように動くのです。


ですが、
それを本当に実行するには、
まず自分を救わねばならないことにようやく気が付きました。

私は、
私の中の小さい子どもが渇望しているものを、
無視し続けていました。


世の中に、
どんなに人生を幸せに生きるための方法論が溢れていても、
自分自身がそれを正しく受け取れないと、
それらの言葉は届きません。

人は自分自身の体験や気付きからでしか、
本当の意味で気付くことはできないのだと思います。



ですが、
迷ったとき、苦しい時、知りたい時、絶望している時、

誰かの声に救われることもあります。


声が、言葉が、
まったく無意味なものでは無く、
時として誰かの心の灯りになることもある。

ここに居る人たちは、
それを知っている人が多いように思います。
それを信じて、言葉を送り出す。
そういう優しさが溢れている場所だと思います。



目に見える現象として自分が何もできない時、
無力感にさいなまれます。
しかしそれはエゴであるとも思います。


私は、
私が世界や他者に対して出来る最善のことは、
ポジティブな想像をすることであると今は思っています。

自分がありのままであること、
それを自分で認められていること。
世界や他者がありのままであること、
それを自分が認められていること。

その上で、
明るい未来を描く。

希望を持ち、
幸せな未来を想う。

それが
自分に出来る最も最善なことなのではないかと
思っているところです。


そうであるべき、
そうでなければ、
というような、強制力や強迫観念ではなく、
切望のようなものでもなく、
もっと静かで、
凪のような
祈りのような
そんな気持ちです。


お付き合いいただき、ありがとうございました。

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