見出し画像

余白を愛する


人間にはバイオリズムってありますよね。

生きていれば、当然、
好調の時もあれば、調子が上がらない時もあります。
それに加えて女性であればホルモンの変動もあり、
日々の中で『波』があるのは当然のことです。

これをまったく無視していたのが私です。

  • 調子が上がらない自分

  • できない自分

  • 体調の優れない自分

  • 休む自分

  • 何もしない自分


これらをまるで認められませんでした。

スパルタにも程があります(笑)


調子が悪くても、疲れていても、やる気が起きなくても、
休みたくても、ぼーっとしたくても、

『止まってはいけない!』

『努力を続けなければいけない!』

『向上し続けなければならない!』

と、
自分で自分にムチを打っていました。


体調を崩して休んでいても、
心が休めることは無かったように思います。

まるで、目の前にニンジンをぶら下げて、
『走れ!走れ!走れ!』
『止まるな!止まるな!止まるな!』
とやっているようなイメージです。

自分の本音を聞くようなことなど、まったくありませんでした。

常に、焦燥感がありました。

何をやっても満たされませんでした。

安心感などありませんでした。


それなのに、
私は自分を大事にしていると思っていたし、
『自分には価値がある』と心から思っていると思っていました。
ややこしいですね(笑)

焦燥感も完璧主義も、
自分を受容できていなかったためにあったものなのですが、
その時はまったく気が付いていませんでした。


自分と向き合い始めると、
膨大な一人時間を必要としました。
一日の内で、何度も何度も、なんなら毎瞬ごと、
一人になりたくて、内にこもりたくて、
外の音も光も、とにかくあらゆる刺激を入れたくなくて、
ちょっと買い物に出掛けるだけでも倒れ込んでしまう程でした。

自分はどうしちゃったんだろうと、その時は戸惑いましたが、

必要なことだったんだと思います。


私にはまったく余白がありませんでした。
それを自分で許していなかったからです。


今までそれをしていなかった分、
膨大な余白を必要としました。
自分の心を感じ、
自分を労り、
何を望んでいるのかを知り、
どうしたいのかを探り、

そのように自分を大切に扱うには、
たくさんの余白が必要でした。



自分を少しずつ受容して行き、
少しずつ動けるようにはなったものの、
以前の私の1/3程度しか動けるようにはなりませんでした。

でもこれが、本来の私のペースなのだと、もうちゃんとわかっていました。
自分を追い立て、責め立て、ムチを打っていた頃の、
なんと詰め込みすぎていたことか。


そんなに頑張って、みんなみたいになろうとしなくても、
あるいはみんなよりも抜きん出てやろうとしなくても、
自分のペースで歩けるようになってきました。
とってもゆっくりだけど、私にとってはそれが心地好いのです。


人生を愛するには、
自分を愛するには、
余白を大切にする。


たくさんの余白の中で、
私はとてもゆったりとした呼吸をしています。




最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?