がんばってない私はえらくないの?
2年程前から始まった長女の不登校。
紆余曲折を経て、今は週に2日ほど、私が付き添いながら校内に入り、先生と会って少し話をして、帰る。
そんな状態が続いていた。
ある時、先生にこう声をかけられた。
「例えば給食を食べるとか、宿題を頑張るとか、
何かひとつ挑戦して欲しい。
何かひとつがんばって欲しい。」
私は、
「学校に来ることをがんばってますよ。」
「生きることをがんばってますよ。」
という言葉が喉元までこみ上げてきたが、それを飲み込んだ。
先生も、娘の前進を願い、その想いからかけてくれた言葉であることはわかっていたし、私は極力人との輪を乱すようなことはしたくない。
それでも言ったって良かったのかも知れない。
子育てに限らず、
がんばった人や、その結果を称える風潮に、最近私は違和感を覚える。
がんばった人はえらい。その努力の末に得た結果だって素晴らしい。
だけどそれに対する周囲の過度な称賛に、何だか違和感を覚えてしまう。
「がんばってない」人はえらくないの?
そう感じてしまう私はひねくれ者なのかも知れない。
「がんばっている」
「がんばれていない」
その基準も人によって違う。
みんなが難なく出来ることが難しい人だっている。
がんばる力が湧いてこない人もいる。
がんばりたいことも人によって違う。
みんな同じようにがんばれるわけじゃない。
価値観は、それぞれ違う。
だけど、
みんな、生きることをがんばっている。
生きているだけで充分がんばっている。
命は、そこに在るというだけで価値がある。
その上で、がんばってもがんばらなくても、どちらでもよいと私は思う。
何をがんばるのか、何をがんばらないかの決定権は、本人だけにある。
そんなことを思いながら、
なぜだか涙がこみ上げてくる。
年賀状も書かずに、そんな想いをnoteに書いている、年末。