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ゲージ 


例えば誰かとの関係値を示すゲージのようなものがあるとする。

それは人ごとに友人、恋人、兄弟、敵など、大まかに振り分けられたゲージが同時に存在し、その数値はその人との事象や想像による独断的な評価が作用して上下する。
自分のゲージは決して相手には見えないし、相手のゲージも同様に見ることはできない。

律儀な、あるいは退廃的な人間にとってこの複雑なパラメータの管理はひどく億劫なものである。
なぜならあらゆるゲージが同時に存在することにより、ある人間が多くの役を兼ねることもあるし、その与えた役を継続的に担ってくれるか分からないからである。

そこで人間は互いの関係性を示す呼称を設けた。
そうすれば私や、あなたや、あるいはその呼称を知った第三者にその関係性を確定させ、ルールがあることを容易に知らせることができる。

しかしこの性悪説に備えた呼称制度にも問題がある。
それはその関係性を承知した相手やそれを知った第三者と自分とで遵守するルールの基準に違いがあり、且つその愛や敵意を複数同時に有している場合があることである。

ある人間は異性とメールのやり取りをすれば浮気として恋人の関係は反故だと言うし、ある人間は恋人以外とセックスをしても裏切るような疚しさは無いという。

ある人間は意見を違えた敵を存在しないように扱うし、ある人間は激しく罵り合った敵でさえ親のように愛している。

私はあなたを大事にするから、あなたも私を大事にしてください。
大事にするなら私と同じやり方で大事にしてください。

なんだか怠くて面倒に感じませんか。


仮に私を愛していなかったとしても、まるで愛しているように感じることはできるのだから。

20240811

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