王家vs革命軍(大英帝国物語④)

おひさしぶりです(°▽°)

では。


次の王家

次の国王は誰か。

エリザベス1世には子がいなかったためにエリザベス1世の王家(テューダー朝)は断絶することとなり,次の国王はスコットランドの王家(ステュアート朝)が「ジェームズ1世(1603-1625)」としてイギリス国王も兼任することとなった。このジェームズ1世と次の国王となったチャールズ1世(名前ややこしい,1625-1649)はそれまでのエリザベス1世のスタイルである「イギリス国教会を中心とする政治」をそのまま踏襲したが,しかし,王権を強化するためとして他の派閥であるプロテスタントを厳しく迫害していった。この迫害や議会を無視した増税などによる独裁政治の結果,ステュアート朝の2代目国王となったチャールズ1世は議会と決定的に対立することとなり,この軍事対決に敗北したチャールズ1世は国王であるにもかかわらず,プロテスタントのリーダーによって処刑されることとなった(ピューリタン革命,1642-1649)。

処刑されてしまったチャールズ1世の人生の転機は,議会を開かずに独裁をしはじめた頃にあった。

ここでキリスト教の勢力を一度整理しておく。

ルターが現れるまでにあったローマ帝国から続いている伝統的なキリスト教宗派を「カトリック」という。このカトリックのやり方におかしいんじゃいかと疑問を突きつけた宗派が「プロテスタント」となる。カトリックは「正当な」みたいな意味を持つ言葉で,対してプロテスタントは「抗議」みたいな意味を持つ。カトリックはローマ教皇を頂点とし,各国の教会から収入を得ており,位の高い聖職者はかなり大きな特権を持っている。対してプロテスタントは聖書の内容を特に重視しており,今までのカトリックのやり方が全く聖書に沿っていないことを問題にし,聖職者たちに今までのような大きな特権を認めていない。カトリックは労働を「罰」だとするが,プロテスタントは労働を「善行」だとする。カトリックは教徒間の利子つき貸借を認めないが,プロテスタントは教徒間の利子つき貸借を認めている。こうしたことからプロテスタントは商業と相性が良かった。

一時ヨーロッパは皆カトリックだったが,ルターの抗議と印刷技術の発達をきっかけにしてプロテスタントはドイツからフランス,オランダ,イギリスなどに広まっていった。また,プロテスタントは広まる過程で枝分かれして多くの宗派をつくっている。そして,カトリックとプロテスタントのあいだくらいにいるのがイギリス国教会となる。

対立,そして

エリザベス1世が死亡しジェームズ1世を経由してチャールズ1世が即位した頃(名前ややこしい),ドイツでは他の国を巻き込んだ大規模な宗教戦争(30年戦争,1618-1648)が行われていた。

フランス王家と婚姻関係のあったチャールズ1世は支援をするために戦争費用が必要になり,その費用を増税などで賄おうとした。しかし,議会はそれに反対し「そういった身勝手な取り決めはできないってマグナカルタで決まってますよねぇ(権利の懇願,1628)」という意見書をチャールズ1世に提出した。不利だとみたチャールズ1世は一旦このお願いを承認した。しかし,不満だったチャールズ1世は独裁を強行しはじめた。イギリス国教会の立場を強化するとともにプロテスタントを弾圧,増税などを勝手に行い議会を無視しつづけた。そのあいだ議会にたくさんいたふたつの勢力,プロテスタントは信仰の制限に不満を持ち,ジェントルマンは勅許などによる商業の独占に不満を持つこととなった。そして,こうした独裁もだんだん限界に迫ってきたために仕方なく議会を開くことになったが,その議会では当然チャールズ1世の暴君ぶりに避難が集まり,さらにはこれまでつづいてきた絶対王政のしくみ自体を完全否定する動きも出てきた。しかし,反チャールズ1世運動をつづけていても埒が明かないということで,反チャールズ1世側の勢力ながらも国王に歩み寄る穏健派なども同時に増えていった。

こうして議会の中は,チャールズ1世を支援する「王党派」と議会による政治を目指す「議会派」の真っ二つに分かれ,最終的には武力衝突することとなった。また,議会派の内訳ではプロテスタントが多かったが,ジェントルマンは双方に分かれていた。

■ ピューリタン革命

ピューリタンとは,イギリスのプロテスタントのことをいう。

このプロテスタントであり議会派であるひとたちは国王軍を打ち破り,そして新しい政治体制をつくりあげた。そのリーダーとなったのがクロムウェルだった。プロテスタントであり下院の議員だったクロムウェルは,訓練された国王軍に対抗するためにプロテスタントを中心に議会軍をつくりあげた。しかし当然,その議会軍は戦闘になれている国王軍に敗北することとなった。そこでなんとか議会軍を強化したいと考えたクロムウェルは,「貴族じゃなくても心意気があれば指揮官にするよぉ」といったり「おれたちはあいつらみたいにお金のために戦ってるんじゃなくて,おれたちの信じるもののために戦うんだよぉ」といい,それまでの常識を打ち破るようなスタイルの革命軍を作り上げることに成功した。隊員となったのはプロテスタントのジェントルマンや自営農民たちだった。そして数や経験の不利を覆し,見事に議会軍が勝利することとなった。



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