コミュニケーションが”すべる”のはなぜ?
本日もご訪問いただき、誠にありがとうございます。ケロリンです。
私は事務・秘書代行として独立して2023年2月で丸7年、現在8年目に突入しています。前職の社会保険労務士事務所でのサラリーマン時代を合わせると、社長秘書的役回りは気づけば16年目なんですね。ある種とても感慨深いです。
前回は、社長様の仕事の指示の出し方の性質次第で、その業務の達成度が大幅に変わってくるため、”性質別報告の肝”はどこか、という話をしました。
では、その肝を押さえようとしても、なかなかうまくいかない場合があり、なんとも対処しようがなくて途方に暮れる時は、どうしたらいいのでしょうか。
今回は、コミュニケーションがそもそもすべる(かみ合わない、違和感がありまくると感じる)原因はなんなのか
そこから見ていきたいと思います。
身近にあったわかりやすい実例で検討
今回は、どんな状況が起きていることで生じた違和感、ストレスなのかの説明をしようと思います。
私事で恐縮ですが、
私は家族の中ではけっこうなコミュニケーション障害です。
家族は、父、姉1、姉2、姉2夫(義兄)、私の構成ですが、
コミュニケーションが通じやすい高さ順に並んでいただくと
姉2夫(義兄)>姉2>姉1>父
というラインナップになります。(詳しくは姉1≒父ですが)
実の血がつながった血族よりも、義兄との意思疎通が最もできているという結果なんですよね。
では、なぜこのような結果が生じるのでしょうか?
それはそもそも、自分が思っていたりやろうとしたりすることを、
「相手が理解しようという姿勢が双方にあるかどうか」だと思うのです。
姉1≒父の特徴は、【自分の中でわかりきっていることは説明や主語述語を省いた発言が”無意識に””頻繁に”出る】という点が最大ポイントです。
それは具体的にどういうことか?下記に実際にあった会話例をあげてみます。
与えられた条件だけ純粋にみると、
父の中では、②の事実は”他者に説明する必要のないこと”に最初からフォルダ分けされていて、私に客観的に伝わっている情報は➀④⑤の情報のみです。
ですので、
(1)私としては、最近かかりだした①の病院の予約が11:30だという前提で話をしています(ここですでに食い違いが生じています)。
(2)一方父は、②の自宅から徒歩2~3分ほどで到着できる病院を”父だけが脳内想定”して会話を進めているため、内容にかみ合わない部分が徐々に大きくなって違和感につながっていきます。「何の話???」ってやつですね。
(3)父は自分の話が伝わらないときに、残念ながら「伝わるまで言い換えて話をするタイプ」ではないです。
”脳内想定”は【相手が知っているのが大前提】とそもそも考えて無意識に言葉を発しているため、言い直しはなく一点張りで、3度目くらいには癇癪を起します(年齢的・性格的には想定内)
(4)姉1は今父が行こうとしている病院は【➀の病院ではなく②だという】父の足で徒歩5分の距離だよと助け舟を出してくれはするのですが、【】部分の前提は姉の脳内だけの話で、外向きには全く出していないので、最終的に私には話の全貌がさっぱり見えなかった・・・のでした。
ケロリン側の視点
物事には常に多面性があります。
今回の病院の件は、父側からすれば、
「歩いて5分の距離にある高血圧の病院に11:05に家を出て行って帰ってくる」だけの話です。
だから、私がしきりに訝る意味が、「一体何にこだわっているのか?」と、まったく理解しようとません。
一方、話がちっとも見えていない私からすると
「行くだけで1時間半かかる①の病院」の予約が11:30にもかかわらず、11:05に家を出るというのはそもそもなにが大丈夫なのか?
この情報を知りたかったのです。
見ていただいた上で、最初に説明した父側と、↑の私側の情報のすり合わせをするとどうなるのでしょうか。
すり合わせの事実的客観的結果は・・・
❶常識はみんなの常識と思いがち
→《行間を飛ばすコミュニケーション》
物事の多面性について
どうして私がそれを省略しないよう気を付けているかというと
そのひとつひとつに言語を発する人の思惑が入っているのですが、決してそれがあからさまに相手方にわかりやすいわけではないからなんですよね。
そのような観点で、じっくりと相手の行動を観察するとき
【自分の中でわかりきっていることは説明や主語述語を省く】という点が、障害の第一の原因としてあがってくるのかな、と思うわけです。
このフレーズにちょっとこころがざわっとした方は思い当たると思います。
「自分の常識は、世間の常識ではない」という言葉。
しかし、自分の中では当たり前だと思っているからこそ、無意識に省略してしまう。
当然、相手は当たり前だと思っていない(そもそも内容を理解できていない、前提条件自体を知らない双方含む)ので、理解が追い付かず、混乱します。
あなたは相手の混乱に全く気付けないか、うっすら感じたとしてもそのまま走ってしまう。ついてきていると予測して。でも、あなたがゴールについた時振り返ったら誰もいない。
・・・ということになってしまうんです。
上記のような展開のことを、私は《行間を飛ばすコミュニケーション》と呼んでいます。
もちろん、誰でもがそういう傾向はあると思うのですが、そこに、
★そもそもその飛んだ行間を拾おうと思って事後的にでもそちらに意識を集中できるタイプと
◆そちらに意識を集中できない(しない)タイプと
に大別されると考えます。
★行間を拾おうと意識を集中するタイプは当然穴埋めのための補助事実を集めよう(与えよう)とするか、ストレートに何が伝わっていないのか質問をしてくれます。
他方、◆行間を埋めることに意識を集中できないタイプは、【こちらはわかりきっていること】になぜ何度もしつこく質問してくる(何度も説明させる)んだ???だから、さっきから言ってるでしょうが!になります。
ですので、まずはうっすらとかみ合っていないなと感じる場合は、★行間を読もうとするタイプの性格のかたが、
➀そもそもお相手が行間を飛ばしていて
②その行間を埋めることをお相手に求めるのも難しいのだ
ということをいったんは飲み込んだうえでその後の会話を進める必要があると思うのです。
それをしなければ、お互いが「どうしてこの人とはこうも会話が成立しないのだろう?」という思いを持ちながらコミュニケーションを継続することになるので、理解し合うことが前提とされるビジネス関係ならまだしも、最も遠慮のない対話が飛び交う家族の中ではコミュ障の連続・・・で、抱えるストレスもMAXということになってしまうわけです。
そして、理解し合うことが前提となっているビジネス関係でも
「してもらえたらいいなぁ」と思ってコミュニケーションをしていると、それをそもそもする必要がないと思っている、もしくはそれがなぜ必要なのかそもそもの理解が追い付いていない方々との意思の疎通が非常に困難になる、ということなのです。
相手のニーズをよく聴き取ることが「はじめの一歩」の秘書・事務代行サービスとしては、いったんは相手のコミュニケーションのベルトコンベアーに身を任せ、最後まで聴き切ってから、不明点をご教示いただくという流れにこちらからもっていくのがセオリーだなと
今回の経験を通してあらためて思い知ったわけなのでした。
❷コミュニケーションは一人ではできない相手方の必要な行為
キャッチボールがひとりではできないように、コミュニケーションもそもそもひとりではなしえない行為です。
たとえ今あなたの目の前に、あなたのボールを受ける位置にキャッチャーが座っていようと、そのキャッチャーがそもそもあなたの投げるボールを受ける意思がなく、微動だにしない場合は、それはもはやコミュニケーションではありません。
もしあなたの雇い主や上司がそのような傾向がある場合、
その点に気づくことができるかどうかでその後のあなたのストレス具合は全く変わってきます。
本来仕事でかかわる人間関係にそのような”言い捨て型”があっては、
今後どうなっていきたいかの【すり合わせが全くできない】ということになるので、こちら側は相当なストレスになります。
また、あなたは自分の何かが悪いからうまくいかないのではと、もんもんと考えることになり、精神的にまいっていってしまいます。
相手とのコミュニケーションにがどうにもずれる、かみ合わないと考えるときは、相手の態度が”キャッチボール”をしようとしているのか、それともそもそも受ける気がない、受けられる球を返す気がないのかをよく観察してみるといいでしょう。
後者の場合、【自分が相手のそのようなコミュニケーションに不快な思いをした】という事実を事実としていったんは認めるとともに(自分の感情へのケアとそれ以降の傾向と対策のため)、
できる限り
・その後の一対一のやりとりを避ける
・対話だけでなく同じ内容を文章でも残す(電話だけでなく同じ内容をメールでも送っておく)などの対策を講じる必要があると考えます。
上記の、【自分がそのようなコミュニケーションに不快な思いをした、という事実を認める】ことで、いたずらにご自身の自己肯定感を低めることはなくなると思いますし、自尊心を損なうこともなくなるので、このステップはぜひとも踏んでいただきたいと思います。
まとめ
いかがでしょうか?
私はここに記した内容を自分の中で、そういうことだったのかと腹落ちするまでに長いこと人生の時間を費やしてしまいました。
きっかけは、人間関係とエンパワーメントについて大きな気づきをくださった方のひと言だったのですが、一事が万事そのような意思伝達しかない家族というコミュニティに生まれた時から属していた結果はあまりに長くて重い物でした。
しかし、現在はそれに気づき、自分の感情と理性をコントロールできていますし、「無理!」と思ったら我慢を自分に強いなくてもいいし、物理的に距離をおいてもいいのだ(追って説明しないのは相手の問題であって私が受け入れ強制される必要のないことだという思考の整理)と割り切ってからは自分の領域を相手に明け渡してしまうこともなくなりました。
家族という関係でなくても、一般的に目上の方や職場の上司などにそういった傾向がある場合はこの一点を思い出していただけたら大変幸いです。
本日もここまでお読みいただきありがとうございました!
なにかのお役に立てましたらうれしいです。
よろしければまた次の記事でもお会いできるのを楽しみにしております!
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