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あ だ ば な ─ 徒 花 ─

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養老まにあっくすエッセイ集②
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言葉の向こうにあるもの

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす  デザイナーをやっていると、お客さんから言われてモヤモヤする言葉がある。それが「解像度上げて」だ。ほとんどの場合、お客さんが実際に望んでいることは、解像度とは無関係であることが多い。たぶん、クリエイティブ関係の仕事ををしている人はみんなわかってくれると思う。  解像度はdpiという単位で表される。これはdots per inchつまり、1インチあたりいくつの点々で構成されているかを表している(ppi=pixels per inchという単位もあ

私の読書術

 読書論ならたくさんある。古くはショウペンハウエルの『読書について』(岩波文庫)だろうか。この本でいまでもよく覚えているのは、「良書は二度読め」である。本は二度続けて読め。良い本ならなおさら二度読め。これを読んだのは大学生のときだが、実践したのはだいぶ後になってからである。  私はあまりテレビを見ないが、DVDが登場してから、アニメやドラマは何度も繰り返し見られることを想定して作られるようになったという。たとえば、視聴者がリアルタイムでは見落としてしまうような「気づかれなくて

安楽死とトロッコ問題

【書評】『安楽死が合法の国で起こっていること』児玉真美/ちくま新書 𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす  どうしてみんな「死ぬ」という選択しか考えられないのだろう。著者が言うように、「死ぬ権利」を認めてもいいけれど、同時に「生きる権利」も認められなければならない。  免疫学者の多田富雄さんは67歳のときに脳梗塞で半身不随になり、発語はできず食物も自力では飲み込めなくなった。しかし、彼はそのときから「本当の意味で生きている」と感じるようになり、その日々を『寡黙なる巨人』(文春文庫

私たちは何のために働いているのだろう

 戦後ドイツの文学にはKurzgeschichteと呼ばれるジャンルがある。これは日本語に訳せば「短篇」「ショートストーリー」としか言いようがないのだが、本当に2〜3頁しかないのである。とりわけ、ノーベル賞作家であったハインリヒ・ベル Heinrich Böll (1917-1985) の作品は人気があり、数多くのKurzgeschichteを残した。今日はその中から、私のもっともお気に入りの一篇を紹介したい。  とはいえ、この作品は本邦未訳のため、以下は筆者の拙訳であること

ファンタジーに託して

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす  私の書斎には一首の歌が飾ってあります。大学のときの恩師が詠まれた歌で、筆書していただいたものを額に入れて掛けています。こんな歌です。   胡蝶にも   佛果にいたる花の色   隔てぬ梅に   飛び翔りてそ  現実には蝶々が梅の花を見ることはありません。なぜなら、梅が咲く頃には彼らはまだ蛹の中にいるからです。春から秋に咲くあらゆる花々を眺め、そのまわりを舞うことができる蝶々も、梅の花だけは見ることができない。それゆえ蝶々は梅の花にあこがれる

客観性は「真理」か

【書評】『客観性の落とし穴』村上靖彦=著/ちくまプリマー新書 𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす  毎日スーツを着てパンプスを履いて仕事に行くことがどうしても無理──そういう理由で一般企業への就職をあきらめた女性がいる。「そんなことくらいで」と思うだろうか。「努力が足りないのでは」と思うだろうか。しかし、多くの人にとって何でもないことだとしても、彼女が就職を断念しなければならないほどに苦痛と感じるのであれば、少なくとも彼女にとっては、それは耐え難い苦痛なのではないか。  客観性

『君たちはどう生きるか』を、僕たちはどう読むか

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす  白状すると、僕はこの本に不当な先入観を持っていた。しかし、それには歴とした理由がある。ご存知のように、岩波文庫はジャンルごとに色分けされている。外国文学なら赤、日本文学なら緑といった具合だ。そしてこの『君たちはどう生きるか』は青である。青は哲学や思想──カントとかヘーゲルとかショウペンハウエルとか、日本人なら西田幾多郎とかだ。だから僕は、「この本は偉い先生が人生の意味を説いたお堅い本に違いない。そんな大きな問題が文庫本一冊でわかってたまるか。

日本語が通じない

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす  20年前、「人に壁あり〜解剖学者 養老孟司〜」というドキュメンタリー番組が放送された(2003年、NHK)。その中に、ずっと気になっている場面がある。養老先生の講義を聞いた学生と、養老先生とのやりとりだ。 その後も、「言葉の定義が先」と言って譲らない学生と、「常に動いている言葉というものを固定することはできない(意味がない)」という養老の議論は平行線をたどる。  むろん、言葉の定義が必要な場合はある。しかし、私が気になったのは、この学生が「

人生に早送りはない

【書評】『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ──コンテンツ消費の現在形』 稲田豊史=著/光文社新書 𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす  読む前は私も、素朴に早送り視聴を否定していた。たとえば、10秒の沈黙シーンがあれば、それは沈黙であっても、意味のある10秒なのだ。それを飛ばしてしまうというのは、作品に対する〝冒涜〟ではないのか。  しかし、読むにつれて少し考えが変わってきた。なぜ、いまの人は早送りで観たがるのだろう。それを考えるうちに、だんだん早送り派の気持ち

座右の銘

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす  座右の銘を訊かれたら、「1日10分、人間が作らなかったものを見なさい」と答える。身の回りを見渡すと、人間が作ったもので溢れかえっている。机、パソコン、テレビ、時計、ボールペンなどなど。観葉植物を置いている人もいるかもしれないが、私はこれを自然とは言わない。人間がそこに置いたものだからである。もしも床板の隙間から草が生えてきたら、あなたは癒されるどころか急いで引っこ抜くだろう。  なぜ人は自然を嫌うのか。自然を嫌う? そう、人間は自然を嫌ってい

正解のない世界

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす  アメリカのバイデン大統領が、岸田首相の肩にポンと手を置いている。「お前のボスはオレだ。」そうい意味の仕草らしい。私はアメリカ人ではないし、アメリカで暮らしたこともないので、本当かどうかは知らない。おそらく、一つの心理学的解釈でしかないだろうと思う。心理学的解釈というのは、「鼻を触ったら嘘をついている」みたいな話である。  嘘をつくときに鼻を触る人は、実際いるだろう。私もやりそうな気がする。だが、鼻を触ったから必ず嘘をついているという証拠にはな

文学は何の役に立つか

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす  ツイッターで面白い絵を見つけた。そこには十冊足らずの本が積み重なっており、男の足がその上に乗っている。床にはハサミで切られたロープが横たわっており、男がこれから首を吊ろうとしているところだとわかる。傑作なのは、その本の題名である。「◯◯になるための方法」「◯◯必勝法」「◯◯︎︎な人になる習慣」など、いわゆるハウツー本ばかりなのである。  「文学は何の役に立ちますか?」「小説を読んで何のためになりますか?」こういう質問はもうウンザリするほど聞い

未来からの搾取

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす  かつて南北問題と呼ばれた問題があった。北半球を主とする先進国と、南半球に位置する発展途上国との著しい経済格差から生じる、政治的・経済的問題である。だが現在、この南北問題は複雑化し、北半球の中にも貧困国はあるし、先進国の中にも富裕層と貧困層の格差が顕著になってきた。そこで、地理的な意味での南部ではなく、地球的規模における南部として、「グローバル・サウス」という呼び方が広がっている。  われわれ先進国の贅沢なライフスタイルは、このグローバル・サウ

隠された日本の貧困

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす  あなたはどうやって大学に行きましたか? この質問に「電車で」とか「歩いて通っていました」と答えるのは「恵まれた人々」なのだという。この質問は踏み絵みたいなもので、いまでは多くの人が「学費をどうやって工面したか」という意味に受け取るらしい。むろんその背景には、現代の大学生の少なからぬ数が、アルバイトで学費を捻出したり、奨学金という名の借金をしながら大学に通っているという現実がある。  私はここで、8050問題を想起せずにいられない。ご存知のよう