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言葉の向こうにあるもの

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす

 デザイナーをやっていると、お客さんから言われてモヤモヤする言葉がある。それが「解像度上げて」だ。ほとんどの場合、お客さんが実際に望んでいることは、解像度とは無関係であることが多い。たぶん、クリエイティブ関係の仕事ををしている人はみんなわかってくれると思う。
 解像度はdpiという単位で表される。これはdots per inchつまり、1インチあたりいくつの点々で構成されているかを表している(ppi=pixels per inchという単位もあるが、意味するところは同じだ)。解像度が高ければ、より精細に表現できることは確かである。でも、解像度イコール画質ではない。
 解像度と画質は無関係ではない。それどころか、画質にとって解像度は重要な要素だ。けれども、画質にとって必須の要素ではない。もし高解像度=高画質なのだとしたら、パソコンのモニタは72dpiでしか出力できないのだから、WEBの画像は全部低画質なのだろうか。私はTシャツのデザインもするが、布の表面は紙よりもずっと粗いので、300dpiで作ってもそんなに細かくプリントできない。では、Tシャツに使う画像は低画質でもいいのだろうか。いやいや、もちろんそうではない。
 解像度は定量的に表すことのできる数値である。しかし、画質とは「質」なのだから、数値で表すことはできない。数値で表せないものを数値で言おうとするから、混乱が起きる。しかし、お客さんにそんな説教をしたって始まらない。上の説明が簡単に通じたら、デザイナーはこんなに苦労していない。
 仕方がないから、私はお客さんに「解像度上げて」と言われたら、「もっと綺麗にしてほしいんだな」と勝手に脳内変換する。それがいちばん話が早い。こういう例は、おそらくどんな仕事でもあるのだろう。業界用語や専門用語でなくとも、本来とは違った意味で一般に流布しているケースは珍しくないからである。ただ、デザイナーはとりわけこの言葉の問題に敏感だという気がする。
 たとえば、「ポップなデザインにしてください」というのは、非常によくあるオーダーだ。この「ポップな」とはどういうことだろうか。辞書を引くと、pop=popularの短縮形で、「大衆的な」という意味らしい。ポップ・アートというのは、要するに1960年代のアメリカで人気だった(popularだった)表現だ。だから、アンディ・ウォーホルに代表されるような、色使いが鮮やかでコントラストの強いイメージをまず思い浮かべる。
 ところが、お客さんと実際に話していると、どうやらポップという言葉は、「元気な」とか「にぎやかな」という意味で使われることが多いみたいだ。場合によっては「かわいい」という意味のこともある。たしかに、ポップ・アートは元気がある感じがするし、かわいいと表現できなくもない(この「かわいい」という言葉がまた曲者で、それが意味する幅は非常に広い)。このように、われわれデザイナーは地雷探知機のような用心深さでもって、いつも言葉の向こうにあるものを探っている。
 言葉そのものを聞くのではなく、その言葉を通して相手が何を伝えようとしているのかを聞く。これって、じつは仕事以外で人と話すときも、とっても大切なんじゃないだろうか。なぜなら、巷ではこのようなディスコミュニケーションで大喧嘩している人をたくさん見かけるからだ。
 お客さん、ポップって言ったよね? ポップってそういう意味じゃないんだよ。これだから素人は困るんだ。もっと勉強してから来いよ。私がこんな言い方をしようものなら殴り合いである。ところが、SNSではこういう殴り合いが日常茶飯事なのである。そして、頭の回転が速くて論戦に長けた人ほど、始終そうやってモメている。そんな風に鬼の首を取ることが、その人が本当にやりたかったことなのだろうか。相手がバカだと思うなら、自分がバカに合わせればいいじゃないか。バカじゃないんだから、そのくらいわかるだろう。

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