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1985年の日本シリーズ。この年、阪神タイガースが西武ライオンズを下して球団創設以来初めての日本一になったのは有名な話です。このニュースを知ったまっしろシロクマ(当時8歳)。「阪神は初めての日本一なんだ。じゃあ、そんなチームに負けちゃったチームを応援しよう!」と、よく分からない謎の理屈を発動。高校野球で応援していて大好きだった清原和博氏が西武に入団したこともあり、翌年から西武ファンとなりました。

私は勘違いをしていましたが、実際のところ当時の西武は弱い球団ではありませんでした。(そもそもリーグ優勝していますし…)しかもその後、常勝黄金期へと入ります。ここで最初の勘違いに気付きそうなものですが、そこは子どもでした。「私が応援しているもんね!」勘違いは続きます。

球場へ応援に行ったことは数回しかありませんが(しかも本拠地ではなくて東京ドーム)、TV中継があるときには本当に楽しみにしていました。清原・秋山・デストラーデ・辻・石毛・伊東・工藤・渡辺…当時の選手たちを思い出すだけで、あの頃のワクワクを思い出します。

メガホンを処分する前に撮った写真がありました。

転機が訪れたのは森祇晶氏が監督を勇退された1994年。後任は東尾修氏でした。

喧嘩っ早く、しかも麻雀賭博で警察沙汰になった東尾氏の現役時代に私は良いイメージを持っていませんでした。四十歳を超えた今なら「麻雀賭博?トンビ、馬鹿だねぇ…」と思うくらいでしょうが、当時10歳の子どもだった私には「警察沙汰、イコール、悪い人」と大ショックだったのです。

そんな私の中でのイメージ最悪だった東尾氏が監督に就任したことで、応援する気をそがれてしまいます。その後、清原がFAで巨人へ移籍したことが決定打となり西武ファンをやめてしまったのでした。

それからしばらく、特にご贔屓球団を決めずにTVで野球中継を観ていました。これはこれで肩に力が入らずに観られて良いものだなぁ~と思っていました。

次なる転機は、阪神の監督が星野仙一氏だった頃。職場に阪神ファンの方がいらっしゃって、選手の情報が載っているムック本をお借りして読んだことがきっかけです。その後、徐々に虎党の道へ。六甲おろしを歌えるようになり、桧山ダンスも習得。自宅の室内でジェット風船を飛ばし、ファンクラブにも入りました。(現在は退会)

現在の私は…
球団2度目の日本一が見たい!
今度は虎党として見たい!!
見たい!見たい!見たいぞーー!!

そんなことを夢見ながら、家でまったりと(?)阪神の応援をしています。
(球場で観戦するのは盛り上がって楽しいですが、私は人が沢山いる球場へ行くより、お家観戦の方が性に合っているようです。でも、1度は甲子園球場で観戦したいです‥!)

なお、東尾さんに対して「嫌い」とか「イヤ」とかそういう感情は、今ではもうなくなっています。「まぁ、若いうちは血気盛んだったりするよね。試合中は興奮する脳内物質がガンガン出るだろうし…。それに、間違いを犯さない人間なんていないよね」と思っています。

自分にとって嫌なことをした他人を、自分の心を偽ったり、努力をしてまで許す必要はないと私は思います。けれど、年齢と経験を重ねていくにつれて、自分に対しても他人に対しても許せることが増えていったりします。そして、許せる気持ちが出てきたときには意固地になったりせず、それを認めて受け入れた方が自分もラクです。全ては自然の成り行きで、自分の気持ちの赴くままで良く、そんな自分を許すことが出来るとラクチンなのかなぁ?と最近は感じています。

一方で、プロ野球選手は子どもに夢を与える仕事でもあるので、そこら辺は球団含めて気を付けて欲しいなぁ…とは思い続けています。

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