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eスポーツ時代。必要なのは学歴か、フォロワーか。

こんにちは、よろずです。

高校生活が終わったので、せっかくなので卒論ならぬ卒業小論文的なものを書けたらいいなと思っています。

この高校時代を振り返って、自分が感じたことと言いますか、学んだことと言いますか。
おそらく大人たちには知り得ない、今の若者の悩みを発信すると共に、いま悩んでいる同世代の人に僕の答えを発信できればいいなと思います。

「フォロワーの数=幸せ指数」の令和時代。

今年の7月、Bughaという16歳のアメリカ人がフォートナイトというゲームの大会で3億円稼いだというニュースが日本でも大きく報じられました。

日本人のサラリーマンが生涯稼ぐ額が2億円って言われてますから、豪遊しない限りはもう何不自由なく生きられるお金を僅か16歳で稼いだってすごいことですよね。

今や彼のTwitterのフォロワーは61万人、Twitch120万人、YouTube151万人、Instagram約200万人。

偽りのない、「インフルエンサー」なのです。

ゲームでもスポーツでも、はたまた自分の"アイデア1つ"でもYouTubeでお金を稼いだり、人気者になれる時代です。

例えば、僕の通っている高校は男子校なのでおもろい男の子がいっぱいいるわけです。

中にはTik Tokでその面白い才能を存分に発揮して、バズりまくってる友達もいて。
才能が数字で可視化できる世の中になっています。

人気者は生まれながら人気者で、高校だけでなく小、中学校にも沢山友達がいますから、SNSのフォロワーもいっぱいいるわけです。

そういうフォロワーの多い子は友達を通じて更に多くの友達とネットで知り合い、渦を巻くようにフォロワーが増えていって、その結果別の高校で彼女を作る「ネット恋愛」まで手軽にできる時代になっているわけです。

くぅ、羨ましいぜ…

友達も多くて、彼女もいる。そういう子は間違いなくフォロワーが多くて、Instagramでは常にストーリーが虹色に輝いていて、幸せに生きていることがはっきり見えてしまいます。

光があれば闇があるように、その逆も然り。

友達が少なければフォロワーの数は一向に増えることはないし、ストーリーが更新されることもありません。

学校では友達と普通に話しているように見えて、至って普通に暮らしているように見えて、スマホを開けば空っぽのLINEとやり込んだスマホゲーム。

共学では正直どうか分かりませんが、男子校では悲しきかな、今の時代、現実よりもネットの中の方が実生活に寄っているような気がしています。

フォロワーの多さ=幸せに生きているとでも言えましょうか。

「好きなことで稼げる時代」における、勉強の意味。

好きなことで稼げる時代のことを、仮に「eスポーツ時代」と題しましょう。

昔はゲームが幾ら上手かろうが、世界で1番の実力があろうが、ゲーム会社に勤めなければ、ゲームに関わってお金をもらうことは難しかったと思います。

だから、ゲームという分野で稼ごう、良い企業に就職しようと思うと、必死に勉強していい大学に入学して、高い学歴競争を勝ち抜く必要がありました。

しかし今の時代、ゲームが上手ければプロチームの方から声がかかるし、世界1位なんて取った暁には、Bughaさんのように、一夜で世界を股にかける超有名ゲーマーの一員です。

そんな時代に伴って、学歴社会はもう時代遅れだなんだ言われるようになってしまって、ますます勉強に興味がない若者にとって、勉強する意味が全くもってなくなっているように友達を見ていて思います。

僕は高校2年生の頃、僕は勉強する必要がないんだなと考えるようになりました。

僕が今からどれだけ勉強しても、東大にはいけ…

たのかもしれません。本気で勉強すれば東大に受かっていたかもしれないんですけど、中学から勉強を頑張ってきた人間と大学で重なった時、僕は勉強で1番にはなれないだろうとその時思ったんです。

不得意なことを頑張ったところで一番に勝てやしないものに、頑張る価値がどこにあるんだろうと思って、好きなことをやろうと、そう誓いました。

そんな僕は来年、大学に入学します。
お母さん。僕は丸くなったよ。高い入学金。ありがとう。

っていうのは冗談で、本当にeスポーツ企業に就職を考えていました。

自分は好きなことをやって生きていくというが夢で、その好きなことがeスポーツで、好きなことを仕事にできるチャンスが高校生で回ってきたのなら、大学は遠回りになってしまうのではないかと考えていました。

ただ刻一刻と進路と受験が近づいてくるにつれて、僕は将来、eスポーツ企業で働き続けたいのか、はたまたこのnoteで自分の考えを発信していきたいのか、天秤に掛けた時、後者に傾きました。

多分、よろずとして文字を書けるのは僕しかいないし、eスポーツ企業に就職して、経験したことを記事に書くのは大学に行ってからでもできるけれど、「大学で経験したこと」を記事にするのは、就職を先に取った場合できないだろうなと思って、大学に進学しようと決めました。

僕の場合、この好きなことであるnoteを書いて、がっぽり稼ぐことはできていないんですけど、好きなことを続けて幸せになるには、幾ら勉強に価値がないと言われようが、頑張って勉強して、大学に入って、また勉強する必要があるなと思いました。

自分の人生を、時代の波に流されるな。

実際のところ、もう学歴なんてものは今の世の中必要ないのかもしれません。

YouTubeのチャンネル登録者数を増やす力だったり、Twitterのフォロワーを増やすスキル、「インフルエンサー力」の方が、もはや学歴よりも優遇されている時代です。

AIの発展で人間の仕事が奪われるこれからの世の中、勉強だけできても意味がない。

「先行きが予想しづらいこれからの社会、知識だけでなく、自ら問題を発見し、答えや新しい価値を生み出す力が重要になる。」

なにいってんだばーか

僕は自分の人生に、今の時代もこれからの時代も関係ないと思います。

学歴社会だから勉強するとか、これからAIに仕事を奪われるようになってしまうから、銀行員は目指さないとか、eスポーツ時代だから儲からないゲームはやらないとか。

もちろん時代と自分のやりたいことが見事にマッチしてるならやれば良いと思うんです。
でも、「時代がそうだから」とか、「友達がみんなこれやってるから」とかで自分の人生適当に過ごしてたら、ろくなことないと思うんです。

勉強がんばりたいなら、幾らフォロワーの数の方が優遇されようが、がんばればいいと思います。

受験に落ちても、テストの結果がどれだけ悪くても、その頑張りを評価してくれる人は絶対にいます。

勉強が苦手なら、幾ら学歴社会と言われようが、自分のやりたいこと、ゲームでもなんでも好きなことを全力で、精一杯やってみたら良いと思います。

家族がどれだけ反対しようと、友達から馬鹿にされようと、一歩ネットの世界に出かけてみたら、評価してくれる人は意外とたくさんいることを自分の肌で感じられると思います。

今の時代、必要とされるものは学歴でもフォロワーでもありません。   ごめんなさいタイトルの答えになってなくて。でも僕はそう思います。

自分の必要とするものが学歴なのか、はたまたフォロワーなのか、それともそのどちらでもないのか。

自分の必要とするものこそが、あなたの人生に大切なものだと思います。

時代なんかに左右されず、自分の人生を生きて、幸せになってほしいです。


好き勝手自由に生きて、人様に迷惑かけていいわけやないで。



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