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教えてはならぬ 感じよ

今朝の入浴中

昨年、頭の中にやってきた
『教えてはならぬ 感じよ』
という言葉と

道案内の出来事のことが
思い浮かぶ

その日
待ち合わせ場所に
向かっていると
女性が 私に声をかけた

女性は スマホを見ながら
この辺りだけれど
わからないと
店の名前を告げた

聞いたことのある店名

たぶん あの辺りにあった店が
そんな名前だったような・・・

と あやふやな記憶で
女性を案内したが

私が記憶してた店は
なかった

改めてスマホで検索して
声をかけられた場所まで
もどると

真向いの店から
「ここだよ」と
女性の友達が出てきた


新しくオープンした
小さなお店で
店名は
小さく記載されていた

女性は目的地の前に
到着していたのだった



申し訳ない気持ちになった・・・

女性に店を聞かれた時
「知りません」と私は
言えなかったんだ

知ってることを教えて
助けようと したことが
かえって
目的地から
遠ざけてしまったという
経験をした。

・・・・・・・・・・・・

私は ついつい
こうすれば良いのではと
知っている情報を
相手に教える
(自分の答えで 助けようとする)
癖があった

『教えてはならぬ 感じよ』
という言葉は

自らの力で
辿り着くことが 答え

私の 答えを 教える は
かえって
相手が探している 答え (目的地)から
遠ざける ことがある

ということを 感じ取りなさい
そういう意味なのかなぁと
感じた。

教える ことは
私はしなくて良いと
解釈した
(自ら辿り着く
相手を 信頼し 安心する
「やっぱりそうでしょ
自ら解決したでしょ
良かったぁ 安心した」と言う
セリフがでることになる)

・・・・・・・・・・・・

この体験をふまえ

答え とは
誰かが知っていて
教えてもらう もの だと
思い込んでいたが

答えは
私は 知っている

自分自身に たずてね
答えを 感じとると
すんなりいくのかな

教えてもらったり
情報を集めすぎることで
本来の目的地
(自分というパートナーを幸せする)
から
遠ざかっていないですか?

と言われているような

そんなことを
感じました。

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