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4月15日

ばあちゃんが死んだ。初めて死んだ人間の皮膚を触った。ばあちゃんは眠るように目を閉じていた。眠っているのと死んでいるの違いはなんだろう。私は長い時間眠っている。でも眠っているから死んだわけじゃない。死にそうだな、もう目を開ける瞬間はないかもしれないと感じながらニ三日連続して眠り続けることはある。死んでいるばあちゃんを目の前にして、ああ眠っているのと死んでいるのは違うんだということを感じた。いっぱいの花に包まれ、黄色や青やピンクや白や鮮やかな花に包まれたばあちゃんを見て心が和らいだ。寂しそうだと感じてしまう私たち家族の心に色とりどりの花は咲いている花は、ばあちゃんを華やかに囲ってくれていて寂しそうだという気持ちをなくしてくれた。花に囲まれたばあちゃんの姿を見て救われた思いだった。たぶん私だけじゃなくて、家族みんな。エレクトーンの音楽もお花と同じように、ばあちゃんの死に寄り添ってくれた。ただ音楽だけが流れる時間だった。エレクトーンを弾いてくれた彼女は音に捧げて演奏してくれた。進行してくれた方や司会をしてくれた方、バスの運転手さん、告別式を支えてくれた方にありがとうと思った。ちゃんとお別れ出来るのは当たり前じゃなくて、すごく幸せなことだって知ってるから。ばあちゃんが苦しかったことつらかったことは全部この世に置いて楽しかったこと嬉しかったことだけ持っていけたらいいなと思った。

偶然なのだけれど、井浦新さんを追って『ワンダフルライフ』という映画を観た。是枝裕和監督の作品。死んだ人が人生で一番記憶に残っている思い出をひとつだけ選んで、その記憶だけを持ってあの世へ行くというお話。選んだその記憶以外は、忘れてしまうという。楽しかった嬉しかった幸せだった記憶だけを持っていく。私がばあちゃんに願ったことと一緒だった。是枝さんも、大切な人を亡くしたときにそういう風に思ったのかなと思った。人が記憶を語るシーンが多いのだけれど、人が何かを語るには語る相手が必要で。聴いてくれる相手が必要で。仕掛けとして映画を観ているお客さんがその相手となったり。基本的には記憶を選ぶお手伝いをする仕事をしている人が担当となり、一人一人から話を聴いていく。話を聴く側だった方が、語ったり。そんなシーンもあって。心を開かないと本当のところは語れない。ひとりでは自分の気持ちに気付けなかったり、わからなかったり、選べなかったりする死者の方ひとりひとりが担当の方との対話を重ねて、ひとつの記憶へとたどり着く。丁寧に話を聞いてもらうって愛だなと感じた。ばあちゃんは人とお話するのが大好きだったから、こんな風にばあちゃんも誰かに丁寧に話を聴いてもらってたくさん語って語られて語って。楽しかった嬉しかった幸せだった特別な瞬間だけを持ってあの世へ行けていたらいいなと思った。

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