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途上国ベンチャーで働いてみた:緊張のはじまり(通算1日目)

繰り返しになるが、2019年6月20日木曜日、私はダッカに降り立った。

空港にはホテルの送迎ドライバーが迎えにきてくれていて、事前にホテルからコンファームの連絡が来ていなかったので不安になっていたがひとまず安心した。ホテルは5年前に泊まったところよりもだいぶ小綺麗で、湿気た布団に小さな虫(というかGというか)がわいていた当時の記憶に比べると格段に良い環境で感動した。[写真参照]

ちなみに私はどこでもどんな環境でもわりかしよく眠れる。最近までそのことが特別長所だと自覚したことはなかったが、周囲の人たちを見ていて、これは私のひとつの特徴だったのだと知った。この時も一晩ぐっすり眠った私は、翌朝約束の時間8時にホテルのフロントで迎えを待っていた。2ヶ月間インターンで働くことになったベンチャー企業、そこの現地勤務メンバーが迎えにきてくれることになっていた。

しかし、来ない。

待てど暮らせど、来ない。

時計の針が10時を回った頃、ようやく若い日本人の男の子がひとりひょっこり現れた。

「すいません!ちょっと朝まで作業してて、、寝坊しました。。」

まじか。。ベンチャーってやっぱりそういう感じか。そういえば現地の社長体育会系って聞いてたしな。。

「ぼく、4月に新卒でここに来ました。生活?割と困らないっすよ、まあ先月ちょっと胃やられて初めて寝込みましたけど。。ちなみに休みもらったのそん時が初めてっすね。今月から、一応週一だけ休みもらってます」

その男の子(Kくん)は丁寧に淡々と自己紹介を済ませ、車でシェアハウスに案内してくれた。引っ越したばかりというそのシェアハウスは想像以上に広く、日本人2人+マレーシア人1人で暮らすには十分な広さがあった。家賃は電気水道光熱費込みで月40000タカ(50000円)前後だったと思う。その日が定休日だったマレーシア人の同僚は、私が物音を立てて部屋に入っていってもまったく気づかない様子で、正午近くにもかかわらずいびきをかいて寝ていた。リビングのエアコンはがんがんに効いていたが、全体の空間が広すぎるせいか各自の部屋の中はとても暑く、報われないエアコンからは大量の水滴が滴れていた。ちなみに、物件探しからエアコン設置、私の部屋のベッドや蚊帳の組み立て、部屋中の排水管ちかくの穴塞ぎやGの卵掃除(...!)もKくんが現地社長指示のもとでやってくれたらしい。

「オフィスと健診センター案内しますよ」

シェアハウスから徒歩2分の場所にあったオフィスだが、行き着くまでにハードルがあった。ひとつは広い車道の横断。ダッカ市内に歩行者用横断歩道がある場所は、私が知る限りグルシャンサークルと呼ばれる市の中心部のみだ。横断歩道の模様が書いてある場所は他にも見かけることはあるが、機能している横断歩道はほぼこの一箇所だ。ちなみに、そこには信号機があるが、信号の機能を実際に担保しているのは交通整理員(工事現場で交通整理しているおじちゃん的な)である。次から次にやってくる自動車と、CNG(バイクを緑色の鉄格子で覆った亀のような乗り物)、リキシャ(日本の人力車をルーツとするド派手な三輪自転車)の流れ、そしてややもすると一車線内で右からも左からも向かってくる(要するに逆走する輩が一定数いる)状況の車道を反対側まで渡り切るのは、なかなか勇気とコツがいる。慣れれば、ハンドパワーで車を止められるようになるし、図々しさというか図太さも身につくので人生においては一石二鳥(?)だ。

もうひとつのハードルはエレベーターだった。オフィスビルに2台あるエレベーターのうち、オフィスのある7階に泊まってくれるのは一方だけだったが、どちらかの箱はたいてい止まっていた。おそらくオーナーが電気代を節約したいためだ。セキュリティバイ(バイ=bhai というのはbrotherの意で、街中でウェイターやリキシャ引きなど見知らぬ男性に声をかけるときにはよく使う)が仕事してくれるときは良いが、お祈り中や深夜の場合、動かしてもらえないこともあった。特に深夜、午前0時を回っていたりすると、夜勤のくせに起きてこないか、利用規約違反だのなんだのとごねてチップを要求されたりとなかなかの面倒っぷりであった。これはシェアハウスのエレベーターも同様で、セキュリティバイとの深夜バトルの疲れと、部屋に上る階段途中で出くわしがちな大きな大きな黒いGへの恐怖は比較的精神を蝕んだ。

話を戻すと、このバングラ降臨初日、私は同僚となる新卒一年目の男の子(Kくん)に案内され、オフィスや事業の現場である健診センターを見学して回った。そしてその翌日から、とんでもない緊張と怒涛の日々が始まることになった。

(続)



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