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春は嫌いだ

昨日の鬱が嘘のように、今は洗いたてふわふわの枕に上機嫌で頭を預けている。
昼間のうちにお風呂に入ったのが功を奏したらしい。そのあと過食しちゃったからマイナスだけど、映画を2本立て続けに観られたから結果プラスになった。

昨日の天気は知らない。晴れていたのか曇っていたのか、カーテンを閉め切っていた部屋に空の色は届かなかった。気温が高かったのは肌感覚で分かる。Instagramのストーリーではみんなが桜を見に行っていた。桜、桜、酒、友、桜、桜、桜。薄桃色の攻撃力は存外高くて、私のHPはどんどん削られていった。青い桜とかあったらいいのに。キキララみたいで可愛い。

昨日の朝、いつもの時間に目覚めて、起き上がろうにも起き上がれなくて、出勤は無理だと悟った瞬間に再び眠ることを決めた。朝礼が済んだ頃に職場に電話をかけて病欠の連絡を入れた。平熱を表示する体温計を見ながら発熱を装い、鼻を摘みながら鼻血を装った。実際、微熱はあったし鼻血も出やすい体質で、先週も突然の出血に見舞われたばかりだった。昨日はどちらかといえば健康体で、しかし身体がベッドに磔にされているかのように動かせなかった。電話の向こうで軽快な始業の音楽が聴こえた。相手が受話器を置いたのを確認して、こちらも切った。そんな細かいところにばかり気を遣って、大事な他の部分に目を向けられないから駄目なのだ、と自分を咎める。

それからはもう泥のように眠った。
途中、水分補給やお手洗いのために数回起き上がったけれど、陽の高い間中本当に昏々と眠り続けた。眠りすぎて昨日の記憶が曖昧だ。20時頃にようやく起き上がって、そういえば固形物を何も口にしていないことに気付き、バナナを齧ったのを思い出した。映画を1本観て、ぼーっとして、日付の変わった1時頃にまた眠りについた。昼間あんなに寝たのにすんなり入眠できた。

今日は10時過ぎに目覚めた。
暑くて布団を剥いだらしく、足元が乱雑になっていた。首元もじっとりと嫌な汗をかいていた。頭で何か考え始めると身体が動かなくなってしまうから、極力何も考えないようにしてお風呂場に直行し、浴槽を掃除して湯を張った。

昨日はどうしてあんなに鬱だったのか分からない。本当に突然の鬱転だった。本来ラピッドサイクラーなので、ここ数ヶ月で鬱が来なかったことの方が異常だったと考えればまあ辻褄は合うが、それにしても突然だった。
仕事が嫌なわけじゃない。
職場に苦手な人がいるわけでもない。
むしろ仕事は好きで、職場がこちらに来てくれるならいくらでも仕事がしたい。でも出勤する気力が湧かなかった。身体も動かず頭もろくに働かず、脱水で重怠い鈍痛が走る頭を抱えて布団に沈むことしかできなかった。

せっかく掴んだ安定を手放したくない。
仕事は辞めたくない。諦めたくない。
また精神科にちゃんとお世話にならなきゃいけないのかな。薬を飲み続けなきゃいけないのかな。新しい病院を探すのも億劫だ。いっそのこと逃げてしまいたい。…でもそれじゃあ、自分から逃げるようで嫌だ。今年で24歳になる、この地に引っ越してきて明日で丁度1年になる、ちゃんと自分自身と向き合わなければいけないのに。自分の人生に当事者意識を持たなければいけないのに。

夜、窓を開けた。
春を通り越して夏の匂いがするようだった。生温い風が素肌を撫でる。纏わりつくようで気持ち悪かった。私が望んでいる少し肌寒いくらいの空気は、季節は、もう通り過ぎてしまったのか。温もりに身を埋めることはできないのか。湿度の高い空気に素肌を晒して生きねばならないのか。
吐く息が白い時期にマッチの灯火の如く思い出していた人のことを、灯火が不要になった今、忘れてしまいそうで怖い。いちばんよく会っていたのは混凝土をも焦がすような強い陽の照りつける夏の時期だったのに、アイス片手にこちらへ手を伸ばす人の顔を、声を、上手く思い出せない。ひとりでも生きていけるけれど、それでもあなたに会わないと生きていけない気がするんだよ。私は昔、こんなに弱くはなかった。

明日は仕事に行く。明日頑張れば明後日は元々休日だ。存分に気兼ねなく休める。FAXが溜まっているんだろうな…新刊も早く並べたい、売上に直結するから。仕事は好きだ。仕事はしたい。身体が追いつかない。頭が追いつかない。
私は自分が思うよりはるかに無理をしていたのかもしれない。緊張の糸を張り詰めすぎていたのかもしれない。緩めることを覚えたい。緩め方を知らないから、自分の慰め方を知らないからこんな結果になるんだろうけれど。また何度も同じ過ちを繰り返すんだろう。その度に後悔する、もっと愛されていれば、って。


きみは元気ですか。
予定通りなら4月から院生ですね。もう引っ越しは済みましたか。知り合いのパン屋さんの2階に部屋を借りたと言っていましたね。家賃を安くする代わりに暇なときはパン屋で働いてくれ、と交換条件を出されたと困り顔で笑っていましたね。きみがあまりにパン屋が似合わなくて、私もつい笑ってしまいました。新居に遊びに行く約束もしました。海の近くに住めるなんて羨ましいです。体調はどうですか。慢性的な頭痛と腰痛は少しは良くなりましたか。亜鉛サプリの飲み過ぎには注意してくださいね。息をするように煙草をお喫いになられますが、あんまり生き急がないでくださいね。まだ私に雪柳を供えさせないで。私は元気です。きみがいなくても案外大丈夫。でもあんまり大丈夫にさせないでください。
じゃあ、またね。


宛先不明の手紙をここに供養させて。
…いや、供養だともう一生会えないみたいで嫌だな。じゃあ一時保管で。
恋と呼ぶには傲慢で、愛と呼ぶには怠慢で。
それでも、生きていかなきゃいけないから。

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