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幻にもならなかったいのち

浴槽に浮かぶ金魚を見つけても動じなくなって少女の終わり

「金魚」の比喩は宇佐美りん『かか』から拝借した。あの書き出しを読んだ瞬間、鈍器で頭かち割られたような衝撃を受けた。あまりに痛すぎて続きを読めていない。『くるまの娘』も『推し、燃ゆ』も読みたいのだけれど、これ以上傷つくのが怖くて読めないまま数年が過ぎた。気付いたら四度目の春を迎えて大学を卒業し、もう夏も通り過ぎて秋に差し掛かっている。早い。

新たに傷つくのは嫌だけど、過去に傷ついた事象に関してはもう一度それを追体験しようとする癖がある。”正しく傷つきたい”というか、同じことで同じように傷ついて安心したいみたいな。この現象に名前はつけられるのだろうか。ピーターパン症候群とかシンデレラ症候群、不思議の国のアリス症候群なんて可愛い名前の現象が沢山あるのだから(症状は可愛くない)、これにも何か可愛い童話的名前をつけてほしい。

そろそろ婦人科に行かなければと思っている。思っているうちに次の周期が来ちゃって通院を断念するのを三ヶ月ほど繰り返している。学習しろ。普段は予定日より一週間早く来るパターンが多かったから、今回予定日を数日過ぎてもなかなか来なくて不安だった。しかも行為後だったから余計に怖かった。避妊はしていたけど絶対大丈夫ってわけじゃないから。もし本当に妊娠していたらどうしよう、と思いながら下腹部を撫でて鳥肌が立った。妊娠検査薬を買いに行く勇気もないのに、子どもを産んで育てられるはずがない。
以前、スーパーの帰りで一緒に夜道を歩きながら「万が一妊娠したらどうするか」について彼と話したことを思い出した。そのとき私は「中絶する」と即答した。「ただでさえ子どもを望んでいて準備万端な状態であっても難しい子育てが、準備どころか覚悟もままならない奴に務まるはずがない。子どものために、はじめから産まない選択をする」。そう断言したし、本当に心からそう思っていたのに。ちょっと生理が遅れただけでこんなに不安になるなんて思わなかった。”ここ”にいのちがあるんだ、と思ったらどうしても”堕ろす=殺す”の文字が脳裏にちらついて、中絶なんて到底出来そうになかった。中絶は選択肢のひとつであって殺すことでは絶対にないと信じていたのに。もし本当に妊娠しているのなら産みたいと思った。それが私のエゴであることも分かっていた。いっそのこと死にたかった。思考回路はどろどろと熱く煮えたぎっているのに、脳の中枢や身体の芯は氷柱のように冷たく尖って、頭がおかしくなりそうだった。

結局、予定日から数日遅れて無事に生理になった。心底ほっとした。
妊娠という問題はいざ身に降りかかってくると不安の度合いが桁違いで、あの夜「中絶する」と断言した私はどこまでも他人事だったんだと気付いて愕然とした。私は女で、100%の避妊方法なんてなくて、妊娠する可能性はいくらでもあること。ここ数週間で身に刻まれた不安と恐怖は、一生忘れない。

五つ年上の従姉は二人目の子どもを妊娠中で、来年の2月に出産予定らしい。今回は性別を聞かずに産むんだって。へえ、そんな方法もあるのか。無事産まれたらキッズ・ベビー用の雑貨を贈ろう。タオルとか消耗品がいいかな。私もいつか母親になる日が来るのかな。4年ほど前までは「絶対母親になんかならない」って思ってたけど、今は少し、ほんの少しだけ母親になった自分を想像できるようになった。手のひらにすっぽり収まるほどちいさな手を握って、子どもの歩幅に合わせてゆっくり一緒に歩いている。でも、隣に夫であり父親でもある男の存在(男に限らず、自分以外の保護者の存在)を想像することは全くできない。男の役割を果たすものがいなければ妊娠はできないけれど、男がいなくても子どもは成長するし、私は母親になってしまう。不思議だ。不思議で、残酷で、無責任で、恐ろしい。世の中の大多数、そして両親をはじめとするご先祖様はみんな誰かの親になっている。その紛れもない事実が、当然の如く脈々と受け継がれてきた血縁が、無性に怖い。

ふと窓の外を見やると、雲はまだ夏の様相を残しているのに、空の青さがもう秋めいている。いつのまにか蝉の声も聴かなくなっていた。こうやってどんどん季節は移ろいゆくし、私も歳を重ねていく。最近、頬骨の辺りにちいさなシミがぽつぽつできているのを見つけた。徹夜はまだできる。高校生を見て子どもだと思うようになった。二十歳を過ぎてから21、22、23と年を取るスピードが年々加速している気がする。23になってから三ヶ月目を迎えようとしているのに、未だにしっくりこない。たとえ年齢を誤魔化しても年号に現実を突きつけられる。ミレニアム・ベイビーの宿命だ。

秋でも夏日が続くから季節感がバグってしまう。食べ物で積極的に季節を感じていきたい。昨日は安納芋のパンを食べた。今日はちょっと早いけど、冬の先取りってことでおでんを食べよう。好きなひととも今後おでん屋さんに行く約束をしている。来年の春には京都旅行の計画も立てている。鴨川を歩いて、等間隔に座る人影を見て笑いたい。そしてそこに仲間入りしたい。たのしみをちょっと遠くに配置して、今日をなんとか生き延びていきたい。

頑張りすぎるな。ほどほどに。自戒。


p.s.
ちなみに不思議の国のアリス症候群は私もなったことがある。診断は下りてないからあくまで自己判断だけど、大人になってからテレビでこの症状について紹介されているのを見て「昔の私これじゃん!」ってなった。人の頭がめちゃくちゃ大きく見えたり、顔のパーツがばらばらになって下手くそな福笑いみたいになったり。近くにあるはずの物がすごく遠くにあるように見えるから、腕を広げて実際に机などに触れて距離感を探りながら歩いたこともある。ルイスキャロルにも世界がおかしく見える瞬間があったのかな……

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