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甘やかされっ子の末路

思えば子供の時から「普通」にできないことがあった。
家に帰ったらその日使った箸やお弁当と学校からもらったお便りと連絡帳を出して、宿題をし、鉛筆を削ったりランドセルの中の教科書を入れ替えて次の日に備える。
これらが全部苦手だった。
箸もお弁当もお便りも連絡帳も家に帰ると存在を忘れていたし、おやつを食べてテレビを見て夕飯を食べたらミニバスに行って、帰ったらお風呂に入って寝ていた。
宿題は当然やっていないし、教科書も当日の朝に揃える子だった。

実家は祖父母と一緒に暮らしており夕飯の支度は祖母がしてくれていたのだが、休日は母が朝昼晩の料理を担当する。
共働きで自分が起きている時間帯に両親に会うことがあまりなかった私は、休日の母の料理をほんのたまにだけ手伝うことがあった。
その時言われて1番困ったのが食材を「適当に切る」こと。
適当とは具体的に何かを母に聞くと、返ってくるのは「食べやすい大きさ」。
一口大ってどのくらいなんだ?
小学生の私は大体何cmくらいと言われなければわからなかったし、感覚として1cmがどれくらいだから3cmと言われたらこのくらいだな、というものがなかった。
もちろん、料理によって、野菜によって、切り方も変わってくる。
カレーに入れる人参を細かくいちょう切りにしてみたり、お味噌汁に入れる大根がやけに分厚かったり薄すぎて切るのに時間がかかったり。
ここら辺は料理をしたことのない小学生だったから仕方がないが、「適当(適度)」が本当にわからなかった。

勉強は不得意ではなかった。
授業で見て聞いたことをそのままテストで書けばいいだけだったから、考える必要もなかった。
しかし、高学年になるにつれ、テストで100点が取れないとなぜ取れなかったかを追及されるようになった。
時期が被っていたかは定かでないが、5~6年生の時の担任が大嫌いで、4年生まではほとんどの科目で3を取れていたのに、5年生の一学期の通信簿は2と3の数が入れ替わっていた。
確か二学期から成績は盛り返したものの、先生の好き嫌いでかなりモチベーションも授業への態度も変わってしまう子だった。
私を叱った父親は当時、相当焦ったに違いない。

4年生から始めたミニバスも、試合に出て良くないところがあるとダメだったところをよく指摘されていた。
試合中にどう動いたら良いのか全くわからず、とりあえずコーチに言われた通りに動いているつもりなのだが、他人の動きに合わせて臨機応変に対応するということが全くわからなかった。

ミニバスに入ったきっかけも、兄が入っていた地元のクラブチームの試合を観に行くたびにコーチやクラスメイトからしつこく勧誘を受け、断り切れずに入った。
そもそも運動は苦手で、児童の体力作りを目的に学校に取り組まされていた毎朝校庭を10周走るという朝マラソンも、走った周数を誤魔化してクラスメイトに白い目を向けられるような児童だった。

宿題は家でやって来ないから朝マラソン後の朝読書の時間にやってクラスメイトからよく指摘されていた。
「別に出せばいいんだから。そもそもお前に関係ないじゃん」とか思っていた。
夏休みの宿題も、学校で立てさせられた計画の通りに終わらせられたことはなかった。
1日やらなくても明日2日分やればいいや。2日やらなくても、その後2日で3日分の宿題を割ってやればいいや。
そう思っているうちに夏休みは終わっていき、終盤に差し掛かってようやく大慌てで宿題をこなす。
学年が進むにつれ、最終日までに終わらない宿題も増える。

これら全てが、大きくなったら自然とできるようになると思っていた。

結果として、何も出来ないまま大人になった。
私は未だ、みんなが当たり前にできることができない。
正確に言えば、やろうと思ったら最初だけはできる。
しかし全く長続きがしない。
他人から言われたことも言葉通りのこと以上を理解するのが難しく、自己判断がなかなかできない。
そのくせ、無駄な部分にはこだわりを見せるせいで、業務は全く進まない。

そんな人間が会社で活躍できる訳もなく。
徐々に残業時間も増え。
仕事にも集中出来ずミスが増え。
先延ばし癖は直さないまま納期を守れずに叱られ。
異動しても業務内容を理解出来ず。
質問をしに行っても「何を聞きたいのかがわからない」と言われ。
そのまま仕事で唯一関わる人間からは冷たい態度を取られ。
(やることをやらないので当たり前である。)
そのうち報連相すらできなくなり。
自己責任ではあるが、全てが辛くなってしまって、体調不良を起こした。

適応障害とのことだったが、ストレスから一時的に距離を置けば治るはずの体調も上向きになってきたはずだったのに、復職を目前にしたら再度体調を崩してもう何ヶ月も休職を続けている。

正直、私が世の中に提供出来る価値が何もないのが現状である。
普通の人なら「じゃあどうするの?」となるところだと思う。
私も思っている。
私はどうするの?
人には得意不得意があるとはいえ、それにも限度がある。
社会人としてあまりに基礎的なことが全て不得意となると、生きる資格さえ感じられない。
私が死にたいと思い続けていたのは、当たり前のことができない自分には生きる価値がないと思っていたからだ。
もちろん、当たり前のことをやっていないのは自分が悪いので、そんなのただの甘えであり逃げである。

ちなみに、長期的な人付き合いも苦手で、ごく一部の人間としか関わり続けることができない。
私を表面的にしか知らない人に話すと驚かれることが多いが、友人はめちゃくちゃに少ない。
仕事も人間関係も全てが上手く行かせられない。
でもそれも、自分がやらなきゃどうしようもないわけで、やってない自分が悪いのだ。
やらなきゃいけない。
でもやりたくない。
頑張ってもその頑張を長続きさせられない。
もう全部のことから逃げ出したい。
逃げられないなら死ぬしかない。

元の職場に戻ったところで、転職したところで、どうにかなる問題ではない。
根が腐った木は枯れるしかない。
これが甘やかされっ子の末路である。

ちなみに。
「自分はダメ人間だぁ><」と当たり前の事実をとやかく言っている暇があるのなら、闇雲にでも動いた方が効率がいいことはわかっている。
そのくせに失敗したら怖いなんて言っているからお前はダメなんだ。

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