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オタクライシス脱却を目指して

集中して何かの作品を観るということが減った気がします。
そのせいか、観た作品のネタを拾う力が弱くなりました。
これは私にとって最大の危機です。
何せオタク力の低下を意味しているのですから。
オタクとしてのクライシス、オタクライシス到来です。

私は『ジョジョの奇妙な冒険』が好きです。
なので、話のわかるオタク相手にはジョジョネタを使うことが多いです。
いえ、正確には「多かった」が正しいのですが。
「ネタがわかる」というのはお互いに共通言語があるということ。
側から見れば何を言っているかわからない会話だからこそ、伝わる時の喜びはひとしおというもの。
そういったネタが多ければ多いほど、つまり引き出しが多ければ多いほど、オタク同士の会話は盛り上がるものです。

去年の秋か冬か、私が体調を崩し始めたのはそのタイミングです。
その頃から頭が上手く働かなくなりました。
自分がどんどん面白くなくなっていく様を自分で感じ取れてしまうというのは何とも苦しいものでして、今も「自分つまんなくなったな」とたまに落ち込んでしまうことがあります。
別に元が面白かった訳ではないので、こう思うこと自体、病気という悪魔が勝手に私の頭の中で囁いているだけなのかもしれませんが。

アウトプットが満足にできない悲しみ。
それと同時に、冒頭に話したように、集中して何かを観るということが減ってしまいました。
これは私が忙しくて時間が取れないということではありません。
頭に靄がかかったように、作品の内容がなかなか入ってこないのです。
集中できないから、何かをしながら流し見することになる。
これでは脳みそというスポンジには何も溜まっていきません。
スカスカのスポンジからは何も漏れることがない。
握ってもカスがこぼれ落ちるだけ。
今の私の脳みそは、水分も何も含んでいない、しかもクタクタで吸水力も落ちてしまったスポンジみたいなものなのです。

これをどうすれば良いか、これも当面の私の課題であるなと感じています。
人は手に入れたものからしか何かを生み出すことはできない。
自分のアウトプットに自信がない今の私は、何かしらをインプットすることで自分の引き出しを増やすしかない。
しかし、そのインプットすらままならない脳みそ。

悔しい。
自分がどんどんつまらなくなるこの様が。
悔しい。悔しい。悔しい。

でも、見方も昔とは変わってしまったような。
承太郎も康一に言っていましたね。
「観察しろというのは……見るんじゃあなくて観ることだ…聞くんじゃあなくて聴くことだ」と。
書いていて思ったけれど、私にはこの「観る」ことができなくなってしまっていたのだなあ。
とりあえず、「意識する」ということし解決策は見つからないのだけど。
オタクとして楽しいオタクライフを送ることができるようになるために、「見る」でなく「観る」ことがまたできるように頑張っていきたいと思います。

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