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小学校教員が通算50回のコーチングを受けた今、考えていること

「コーチングってなんだか胡散臭いなぁ…」

そう思っていた私が、通算50回のコーチングを受けるまでの話です。

なぜ50回も受け続けているのか、そしてコーチングを通して得られたものは何なのか、その辺りについてこのタイミングで一旦言語化してみることで、誰かにとっての参考になればいいなぁという思いで書き進めてみます。

このコーチングについては過去にも取り上げているので、これらと見比べながらお読みいただけると幸いです。

1.あの時コーチングを受けていなかったら…

「たられば」の話はあまり好きではないけれど、ここ数年の個人的な変容を語る上で欠かせないものが今回のテーマである「コーチング」。
もしコーチングを受けていなかったらと考えると、この数年の人生が確実に違う道を進んでいたと断言できるので、その代表例を挙げてみると以下のような感じに。

・ミッション・ビジョンの作成し、進むべき道を方向づけることができた。
・優柔不断な私が、自分で異動のタイミングを決断することができた。→そのことが確実にプラスに働いている。
・noteを中心に「書くこと」に取り組んだ。→新たな繋がりや雑誌の原稿依頼も受けた。
・答えのない学校「Leaning Creator's Lab」への参加。
・先生の幸せ研究所「先生のマイプロジェクト」への参加。校内コンサルタント養成講座へ参加。

特に、異動のタイミングについて相談した時は、運動会の運営も重なり、相当しんどい時期でした。コーチングのテーマとして取り扱わなければ、きっと思考停止の状態で「残れるならそのまま残ろう。」と、いつもの優柔不断な自分が出てきていたと思います。

もちろん、異動のタイミングに正解なんてないと思いますが、異動先の隣の学校に先述した「Leaning Creator's Lab」の参加者がいたり、マイプロジェクトで推進してきた「働き方改革プロジェクトチーム」が立ち上がっていたりと、偶然が重なっていて勝手に運命のようなものを感じていました。

2.続けてきたから得られたもの

通算50回のコーチング。(初回は2020年8月4日だったようなので、3年弱続けていることになります。)

基本的に飽きっぽい自分が、これほど長く続いているものは他にないと思います。そしてそれは、伴走していただいている方が心から尊敬・信頼できるからだと感じています。

下の記事は、その方が書いた記事。その一部を引用させていただきました。

コーチングやファシリテーションを学ぶのであれば、やはりまずはご自身が実際にコーチングやファシリテーションを体験し、価値や魅力、可能性を感じてみることが非常に重要です。
その際によく耳にする失敗談が、コーチングを学んでいる最中の方や、コーチングという言葉をなんとなく理解している方からコーチング的な関わりを受けた結果、「一回受けてみた結果、コーチングが嫌いになった」という感想を持つ方がいらっしゃるという話です。
「なんだか、質問を通して誘導されている感じがした」「相手の関わりが、偉そうに感じた」「自分の話したくないことにまで、踏み込まれた感じがした」などなど…。
私が (2)コーチングを受けてみる、でおすすめしたいのは、一定数の研鑽や実践を積んでいて、且つ自分と相性が良さそうなプロのコーチから少なくとも数回は継続してコーチングを受けてみるということです。

私の場合、「コーチングを学びたい」という動機が入り口ではないのですが、それ以外の方にも当てはまる内容。
悪く言えば、誰でもコーチと名乗れてしまう世の中。この辺りがコーチングというサービスの難しさなんだろうと思います。

3.広がるコーチングサービスに対して思うところ

そんなことを考えていると、最近よく目にするようになったのが「先生向け」のコーチングサービス。

一般的なコーチングと比べると、「キャリア」はもちろん「学級経営」、「授業」といった先生ならではの部分にアプローチしていきたいということが読み取れます。
コーチを拝見すると、教員をしている、もしくは教員経験があるという人がほとんど。それだけ専門職だからということでしょうか。

知り合いの方にもそういったサービスでコーチをされている方もいますし、自分自身も「今まで受けてきたコーチングを自分も誰かのためにできたらな…」という思いが心の奥にあるので、悪く言うつもりは全くないのですが、そういった現状に少し違和感を感じている自分もいます。

一言でいうと、「いい先生がいいコーチとは限らない」からです。
コーチングを受けていて感じるのは、やはりコーチングというスキルとその人の在り方が相当問われるということ。

コーチングを継続して受けていると、自分もコーチとして他者にこんな関わりができるといいなという気持ちが生まれることがごまんとあるのですが、軽い気持ちで「自分もコーチになりたい!」とは言えないなぁとも感じています。

4.先生にコーチ(伴走者)を

それでも「先生に(こそ)コーチが必要だ」と声を大にして言いたいのは、閉鎖的と言われる学校・学級で働く私の視野を広げ、自分自身にとってよりよい変容の手助けとなったからです。
特に、コーチングを通して様々な場への越境を促してもらったことで、大きく成長させてもらったと実感しています。

学校の中で過ごしていると、「先生」という職業柄か、良くも悪くも「教えることが好きな人」が多いように思います。
「あの人は1聞いたら10返ってくるから…笑」と揶揄されるくらい、どれだけ忙しくても丁寧に教えてくださる方もいます。

そうした「ティーチング」中心の関わりは、毎日を生き延びることで精一杯な初任者などには有効な一面もあると思いますが、中長期的にみるとその人にとっての気づきが得られにくいというデメリットも感じます。

先日、初任者に対する先輩教員の関わりを見ていても、ほぼ毎日のように「振り返りの時間」と称して「〜していたのがよかったと思う。」、「あそこはもう少し〜した方がいい。」と一方的に先輩が思ったことを伝えている光景がありました。

下の図はコーチングと他の支援の違いについてまとめられたもの。
※以下のページから引用させていただきました。

ここからも、「教師」と「コーチ」の関わりは、真逆のものであることがわかります。
もちろん、経験のない初任者にとってティーチング的な関わりは必要不可欠だと思いますが、先ほどの関わりは学習者(初任者)にとっての「振り返り」にはなっていないなぁとモヤモヤしています…

こうした経験からも「先生にコーチを」(欲を言えば職場の同僚同士でコーチング的な関わりが増えることを)という主張をしておきたいのだと思います。

おわりに

3年弱に渡るコーチングを受けてきた経験をまとめるということで、いつもより長い文章となってしまいました。
(何かとバタバタしており、最初に書き始めて3週間ほど経っているので言いたいことがうまくまとまっているか心配…)

現時点での私の願いとしては「先生にこそ、コーチングという関わりが丁寧に広がるといいなぁ」ということです。
あくまで一個人の体験を通した願いですが、コーチングに少しでも興味のある方にとって、少しでも参考になれば幸いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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